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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 気ままな夫婦の約束事はひとつだけ  
コラム名: 第14回「正論大賞」受賞記念対談   
出版物名: 正論  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 1999/03  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  フジサンケイグループが主催する第14回「正論大賞」の
受賞者は、作家で元文化庁長官の三浦朱門氏に決まった。
バランス感覚にとむ、風格のある知識人の受賞は「正論大賞」に
ますます輝きを増すことになろう。
その記念対談を産経新聞と本誌で掲載するにあたって、三浦氏に対談相手を
相談したところ、氏は即座に曽野綾子夫人の名前をあげられた。
実をいえば、こちらも希望していた組み合わせであった。
この対談は平成10年12月9日、曽野綾子夫人が会長をつとめる
日本財団(東京・虎ノ門)で行われた。
いやな顔も見せずに、夫人の勤務先まで足を運んだ
三浦氏の度量に感心したものである。
授賞式は2月16日、都内のホテルで行われる。
なお対談内容は産経新聞1月1日付朝刊に掲載されたが、本誌では
スペースの関係で割愛した部分も収録した。

司会/本誌編集 大島 信三 
 
 
 
 
「長生きも三文の得」
 
??「正論論賞」、おめでとうございます。
 
三浦 ありがとうございます。大した評論活動もしていないが、永年勤続表彰かなと思っています。
 
曽野 小学校の精勤賞。成績はよくなくても、風邪もひかないで毎日ちゃんと学校へ行く子というのは、エライ子でしたね(笑い)。
 
三浦 村松剛さんなど年下の人が亡くなっています。「早起きは三文の徳」というけれど、「長生きも三文の徳」なんですね。
 
??曽野綾子先生は第三回「正論大賞」の受賞者。ご夫妻で受賞というのは、すばらしい。
 
曽野 ありがとうございます。
 
三浦 女性のほうは数が少ないから、当たる確率も高い。
 
曽野 パチンコのチューリップが大きい。いまはチューリップなんていわないのかしら。
 
三浦 敵が狙うときに、女性だとね。
 
曽野 弾が当たりやすい。私は太ってますから。
 
三浦 日本の陸軍て愚かなんだよね。将校だけ別の服を着ているでしょう。狙撃兵はその服をポンと撃てば、あとは動けなくなってしまう。
 
曽野 将校のほうに悪い服を着せるようなシステムにしないと。一時の中共軍は、同じだったそうですね。よく見るとわかったそうですけど。
 
三浦 アメリカ軍も一緒だ。後ろから見るとわかるのよね。ヘルメットの後ろに階級章が書いてある。
 だから将校はいやでも最前線へ行かなきゃいけない。そういう点、日本的思考のなかには実用にならない、権威主義があるよね。
 
曽野 プラグマティックでないのよ。日本の国内で納得されれば、それで済むところがあるんですね。
 
??たしかにそういう面がありますね。
 ところで三浦家では、お正月をどのように過ごされていますか。
 
三浦 おせち料理を食べます。私は、おモチが好きで、雑煮にしようか、安倍川モチにして食おうかと、焼きながら考えるんですよ。
 量的にたくさん食べられなくなったのが残念ですね。
 
曽野 私の育った家は、おせち料理を大みそかの三十一日に寝る間もなくつくっていました。もう、うんざりでした。お正月は三が日、全部お客さまでしょう。お嫁に行っても、こういう生活なら、いやだなと思っていました。
 結婚しましたら、そうじゃなかった。作家なんて無頼なものですね。年末は大阪まで自動車で行ったりして、あそこは正月も家にいないと評判になりました。
 お正月の夜は、原則として一人で暮らしている方を家に招待します。未亡人になった人、結婚しない人を招いてすき焼きを食べます。ことにご主人を亡くした方を呼びます。
 
??招かれた人は嬉しいでしょう。
 
曽野 お正月が一番いやなんですって。みんなは家族と楽しんでいると思って。「そんなことない。正月から喧嘩しているところもある」というんですけれど、自分だけが取り残されていると思うんですね。
 
??この正月は日本ですか、シンガポールですか。
 
曽野 ことしはシンガポールです。主人の姉をさそってまいります。十年間、夫をみとって、未亡人になっております。
 子供もいませんから、お正月は賑やかな方がいいと思っています。
 
 
一番いいのはマンパワーの輸入
 
??お二人の共通の関心事はなんですか。
 
三浦 老後の二人の生活のあり方ですね。人に迷惑をかけないで生活していくにはどうしたらいいか。どういう設備をしたらいいか。そんなことをときどき話しています。
 
曽野 老後のお料理を考えているんですよ。イタリアへ行きましたら、野菜が煮崩れておかゆみたいになっているのがありました。野菜スープじゃないんですよ。野菜の残りものを全部入れて、煮上がったら塩やトマトを入れ、最後にオリーブ油を入れるだけなんですって。
 これなら歯がなくても食べられる。もし力がなくなって野菜を切れなくなっても、そのまま煮ればいいんですから。
 
??三浦先生、「料理は私のほうが上手だ」とおっしゃっていましたが。
 
三浦 うん、自信はあります(笑い)。いまの野菜のごった煮だって、スープにしようが、雑炊にしようが、カレーにしようが、いろんな作り方を知っていますよ。
 
??いずれ、人に頼らなければならないときがきます。
 
曽野 一番いいのは、フィリピンあたりからマンパワーを輸入することです。失礼な意味じゃなくて。あちらには働きたい人がいる。こちらには人手がない。何年間か、日本にいらしていただく。きちんとした労働規制を作って。
 シンガポールは、入国するときに厳重な健康診断をします。半年ごとに妊娠検査があります。妊娠していることがわかったら翌日送還です。
 
三浦 フィリピンの女性がシンガポールで出産すると、その子供はシンガポール人になります。そうすると親の移住も市民権もやがては認めなきゃならなくなる。人口を増やしたくないから、そういう措置をとっているんですね。
 
曽野 あちらは外貨が稼げて、こちらもお世話になれる。そういう冷静な考え方があってもよいと思います。
 
三浦 老後は外国でおくったらいいじゃないかという考え方が一時ありました。私はそれに反対ですね。費用は少なく済んでも医療や衛生、治安を考えると問題がある。日本の物価高はそのコストだと考えるしかないですね。
 とくに治安の上で問題が大きいんです。老人夫婦を誘拐して、日本の家族に金を要求するのは簡単ですから。
 
??余生をどう使います?
 
曽野 シェークスピアをすべて読んでみたいですねえ。もちろん日本語で。
 
三浦 昔は、土地を持っている人は豊かだったわけです。土地持ちは食糧を持っている人でしたし。同時に食糧を生産する人間を支配することができた。ある時期は土地持ちが一番金持ちでした。
 アダム・スミス以来、貨幣が出てきまして、お金持ちが豊かになったんですね。
 もっと豊かになった時代では、土地もお金もさることながら、時間だと思うんですね。自分の時間を持ち、その時間の中身を充実させる能力のある人の生活が一番豊かになると思います。
 シェークスピアを読むのもいい。あるいは日が昇り、日が沈み、星が輝き、星が消えていくのをじっと見ていて、そこで限りなく自然との合一感にうち震える。そういう充足感を持てる人生でもいいと思うんですよ。
 
 
この仕事は小さくだまされてもいい
 
??曽野先生は、創作活動と並行してボランティア活動に没頭されていますが。
 
曽野 私は、個人的には「海外邦人宣教者活動援助後援会」という小さな民間グループをつくって働いています。
 これはアフリカなど海外で働く日本人の神父と修道女を支援する会で、ことしで二十七年目になります。修道女たちは貧困のどん底で働いていらっしゃいますからね。
 それから日本財団ですが、こちらは大きな規模のNGO(非政府組織)ですね。
 どちらにしても、プラグマティックであるかということが求められます。そのためには、人間のいやな心の部分も正視しなければならない。
 「惻隠(そくいん)の情」というか、あの人、辛いだろうなという気持ち。それと同時に、だまされないように気をつけ、きちんとお金の行く先を見届ける。そういう配慮が両立しなきゃいけない。
 このごろ、そればかりを思っていまして、日本財団の若い人たちにも、難しいことだけれど、頑張ってやらなきゃいけないといっているんですよ。
 
三浦 キリスト教もイスラム教も、その根幹にあるのは性悪説です。人間というのは本質的に悪いもの。世界観を異にする人間が接触するときに素直に話が通るわけはない。そこで彼らは七転八倒する。ここが性善説の日本人と根本的にちがう点です。
 たとえば保険の契約でも、日本の場合は、親の代から火災保険をお願いしているから間違いないとか、いつもの勧誘員が来たら、ああ、もう一年たったのかと無条件に継続している。
 保険契約書の後ろを見ると、細かい字でいっぱい書いてある。こういうときは払わない、ああいうときは払わないと書いてある。でも、われわれは性善説でその人を信用して、来ると「今年もよろしくお願いします」。お茶を出して、お菓子を出して、印を押してしまう。日本人は甘いんだ。
 
曽野 契約の精神は、日本人に一番難しいですね。
 契約というと、相手が悪いことをしたときのことを予想して条項を決めておかなきゃいけないけれど、日本人はなかなかそれができないでしょう。
 しかし私たちの仕事は、相手から最終的には小さくだまされていいんです。大きく、はいけませんけど。
 
??曽野先生のところにはいろんな方が頼みごとでいらっしゃると思います。
 
曽野 きのう私たちの小さなNGOの方にいらしたアフリカのチャドにいる日本人シスターは、「十万円ください」っておっしゃった。ま、かわいらしい請求なんです。救急車に渡す金も必要なんです。門前で倒れていたり、血を流している人がいれば救急車を呼びますね。
 ところがアフリカではお金を払わないと救急車に乗せてくれない所が多い。「金払えるか」「払えない」というと、救急車は帰る。
 そのときにシスターたちは自分の車で運んであげるか、あるいは救急車に乗せるお金をやらなきゃならない。
 それと治療を受けるためのお金を、「何人来るかわかりませんけれど、推測で十万円ほどいただけませんか」というんですね。
 アフリカの、そういう現状を知らないと出しにくいお金ですね。その日本人シスターたちを信頼するから出します。
 
 
独立や繁栄がもたらした崩壊
 
??曽野先生は産経新聞や本紙(平成10年11月号「喜びを忘れて」)などでアフリカの惨状をお書きになっていますが、ひどい状態ですね
 
曽野 アフリカの植民地が解放されて以後の惨状は、これも書き留めておかなきゃいけなくなってきています。
 物質的にひどくなっただけではなく、精神の問題もひどいんですよ。
 
三浦 植民地時代のほうがよかったという意味ではないが、植民地時代のときにはまだしもあった人間の帰属意識、あるいは人間のモラル、それがまさに崩壊しかけている。文明国でも“都会のジャングル”なんていう言い方で出てきますけれども、文明国は文明国なりに、中進国は中進国なりに、途上国は途上国なりに、伝統的な精神の崩壊が起こりつつあるという気がしますね。
 
曽野 きのういらしたシスターの話も、政府軍がある村にやってきて駐屯すると村にある食料を食べ尽くすんだそうです。なにもなくなると次の村へ行く。次の村は困るので、自ら畑を焼いて、家を壊して逃げるという。
 緒方貞子さんの国連難民高等弁務官事務所はご存じでしょうけど、これは全く新たな形の難民ですね。
 
三浦 植民地時代ですと、イギリスでもフランスでも宗主国が一応軍隊をきちんとコントロールしますから、そういうことはないわけです。持ち出しになろうとも、兵隊にはある程度のものを食わせていました。
 
曽野 当時だって、悪いことをするのもいたじゃない。
 
三浦 もちろん白人たちのなかには、むちゃくちゃなことをする人間もいた。現地人をムチでひっぱたいたりする人もいたと思う。しかしギャング集団みたいな軍隊が、村々を荒らすということは少なくともなかったと思うよ。
 独立国になると、隣の国と戦争しなきゃいけないために、分不相応な軍隊を持っちゃう。そうすると軍隊に給料を払えない。メシも食わせられない。着せるものも着せられない。ということで略奪までいってしまう。つまり独立によって、かえって社会は崩壊していく。
 日本も繁栄することによって、社会が崩壊していくんですね。
 
曽野 いま日本人の三種の神器は、携帯電話とクレジットカードとパソコンだそうですね。それがないと生活できない。いずれも電気を必要とします。
 私は初めてわかったんですけども、中発展国と、発展停止国というのがあるんです。発展停止国というのはまず電気がない。電気がないと、現代の三種の神器も役に立たない。
 携帯電話は電池だっておっしゃいますけれども、電池が買える国じゃない。そういう国には民主主義がないんです。いまだに族長支配なんですね。
 
三浦 日本財団にお願いしたいのは、よく日本は豊かになったけれど、豊かさの実感がないという。そういう人をさまざまな国に放り込んで一カ月現地体験をさせたらよい(笑い)。
 
曽野 飲める水で体を洗って、トイレを流しているんですからね。これだけでも王侯貴族です。
 
三浦 もったいない。飲める水というのは、ヨーロッパ人だって人々は買っています。
 
 
「ペンは剣よりも強し」はウソ
 
??この日本に腹立たしいことはありませんか
 
曽野 マスコミの言論弾圧です。いまでもれっきとしてありますから、産経新聞以外は。
 このあいだ私は自分の日記が出ないので自費で出版することを考えて、ある出版社にご相談しました。
 
??曽野先生のような大家が出版を断られる。過激な内容にびびって。
 
曽野 ちっとも過激じゃないんです。実態を見ていただくために出版するんです。
 「自費出版をお宅はやってらっしゃいますね」って聞いたら、笑っていらっしゃいました。「笑いごとじゃないです。五百部刷っていただくにはいくらかかるでしょう」って、こちらは真剣です。
 この出版社のご返事が出ないうちに、あるところが救ってくださいました。「あなたが書くのだから、何を書いても、当方は関係ありません」という出版社が出てきました。
 それでいいんです。私が全責任を負うのですから。
 私は一生日記をその出版社から連続で書き下ろしで出していただくことになりました。
 
三浦 世界始まって以来、自由な言論なんていうのは本当にあったんだろうかという気はしますね。
 マスコミ自身がチェックする場合もあるし、政府がチェックする場合もある。占領軍や教会がチェックする場合もある。
 「ペンは剣よりも強し」というのは、あれは建前だ。
 
曽野 あれは嘘ね。絶対剣のほうが強い。
 
三浦 その嘘っぱちを、書くほうも、出版するほうも、読むほうも、十分意識したほうがいいと思う。
 
曽野 私なんか剣で脅されたら、すぐ心を売ろうと思っていますから(笑い)。
 
三浦 遠藤周作と一緒に長崎に行ったことがある。温泉の熱湯をかけて改宗を迫ったところがあるんですよ。
 遠藤は、「誰かひしゃく持って近づいたら、あ、転びます、転びますって、その場で転ぶ」と。「お前は?」というから、「僕も」って。遠藤は〇・五秒、私は〇・六秒で転ぶ。
 遠藤が、「女ってのはしぶといから、曽野綾子なんて意外と殉教するんじゃないか」といったんだ(笑い)。
 
曽野 とんだ見当違いだわ。私は、いろんなとこにいままで、絶対転びますって書いてきたんですもの。
 
三浦 圧力に弱いですよね、日本は。圧力と自己規制。
 
曽野 自己規制です。
 
三浦 日本のような狭いところで角突き合わせているところでは、自己規制なんて、すぐわかる。サラリーマンが三人で昼飯食べに行くとき、このメンバーだったらラーメンだなとすぐわかるようにね。
 
曽野 それはすごい才能ではあるのね。
 
三浦 本当の問題は、転んでから始まる。殉教しちゃえば、そこで人生は終わりますから。転んでからあと、どういうふうにその問題を自分で受け止めていくか。それをしつこく書いたのが遠藤周作だと思う。
 われわれはいろんな形で転んでいると思うんですね。その転び方をはっきり自ら認めて、それをどう自分のなかで正当化していくか。
 多分小説を書く営みの根源は、そこにあるような気がしますね。
 
 
夫婦が本当に協力しあえるためには
 
??三浦先生、溌剌(はつらつ)として人生の真っ只中にいらっしゃる妻なる人にジェラシーを感じませんか
 
三浦 べつに。
 
曽野 私はアフリカへ行くのが好き。そちらは嫌い。はっきりしています。
 そちらの好きなことは、うちへ帰るとお風呂へ入って、縞模様のパジャマを着て、ゆっくりご飯を食べること。それが最高の幸せなんです。
 
三浦 それから「鬼平犯科帳」などを見てね。テレビを見ながら、いつの間にかウトウトするらしい。
 ハッと目を覚ますと、さっきは侍がチャンバラしていたのに、いまはミニスカートの女の子がちょろちょろしている。これ、どうなっとるんだ(笑い)。
 
曽野 あなたは好きなことをしていますものね。私も、まあ好きなことをします(笑い)。
 
三浦 自分で自分の生活を立てられればいいわけよね。インディペンデントというのは、相手を寄せつけないという意味じゃない。
 インターナショナルになる前にナショナルであるべきだというように、夫婦が本当に協力しあえるためには、ディペンド(依存する)を越える、それがインディペンデントでしょう。
 身の回りのことを妻に先験的に頼るのは、インディペンデントじゃないから、相手にジェラシーを感じたり、居なくて困ったりするんですね。
 
曽野 私たちはおしゃべりですから。もう二人で徹底してしゃべっています。
 
??今日のような雰囲気で?
 
曽野 もっと口が悪いですよ。
 
??曽野先生は畑仕事が好きだそうですが、三浦先生は大嫌いとか。
 
曽野 こちらは大嫌い。それでも食べることはちっとも遠慮せずに食べる。荘園農主と奴隷みたいな感じなんですけど(笑い)。
 
??週末を過ごされている三浦半島のおうちでは、ミカンが取れるとか。
 
曽野 ミカンの木を二十本ぐらい植えたんですね。それがいまだんだん収穫できるようになって、二百五十キロから三百キロ取るわけです。
 
??畑では何を?
 
曽野 難しいものは作らないんです。大根は深く掘らなきゃなりませんでしょう。大根畑の間にいるんですから、お隣さんのを譲っていただいています。レタスは移植しておけばモコモコ生えますね。うちの一家の健康は、私の家庭菜園のせいもあるとも思っています。
 
三浦 ただね、彼女は気が短いですから、ミカンはあと二週間待ったほうがいいと思ううちに取っちゃうんですね。早いと甘味が足りない。
 
曽野 いえ、鳥が食べるからよ。
 
三浦 鳥が食うようにならないとだめなんだ。鳥と人間が競争する。鳥が食い始めたら慌てて取る。
 
曽野 鳥に意地悪してね。
 
三浦 鳥も食わないうちは、人間も食っちゃいけない。私は農業をしないから、あんまり積極的な口出しはできないけれど(笑い)。
 東京の家にある柿の木一本だけは、私のテリトリー。私がよしというまでは取ってはいけない。これは日本一うまい柿と思っています(笑い)。
 
 
夫をだめにする方法
 
??三浦先生はご健壮でなによりです。なにか特別の健康法でも。
 
三浦 健康の秘訣はやはり悪い妻を持つことじゃないでしょうか(笑)。
 
曽野 そうそう。
 
三浦 そうすると亭主は常に緊張していなきゃいけない。そして絶えず体を動かさなきゃいけない。「姑殺すに刃物はいらぬ。上げ膳、据え膳すればよい」といいますけれど、亭主をだめにしようと思ったら、上げ膳、据え膳至れりつくせりでいくことです。「おい、靴下。おい、お茶」というと、パッと出てくるようにすれば、亭主は早く死ぬんじゃないでしょうか。
 
曽野 さる方の、とても活躍している奥さまがいらっしゃるんです。その奥さまが、「今度、どこどこへ一週間行くわよ」とおっしゃるんです。うちを想像してください。
 それからあとはこちらの言葉ですけれど、普通の夫だったら、誰と行くんだろう、その奥さまは美人だからちょっと心配ということがある。それは別としても、どこへ行くんだ、それは暑いところか、寒いところか、病気の心配はないかと思うでしょう。
 
三浦 ところが、そうじゃない。
 
曽野 そこのご主人さまは、「僕のメシはその間、どうなるんだ」っていうんですって。うちでは、「僕のメシは族」っていうのがあるというんですね(笑い)。
 三浦朱門サンはベッドメーキングを自分でピチッとなさるんです。これが健康の秘訣ね。それでホットケーキと目玉焼きも作る。自分のほうがうまいと言い出したんですよ。これは便利なことだと思って、ときどき朝、「今日はホットケーキにしましょう」といって、私は座っているの。バターとメープルシロップだけ出して。ホットケーキは女房より自分が焼いたほうがよいと思っているので、喜んで焼いてくださるわけ。
 
三浦 ほんと、うまいですよ。商売やろうかというぐらい(笑い)。配偶者のためにやるというんじゃなくてね、なんかのことで彼女はいない。家のことをやってくれる人がいないと、私は勇気りんりんとしましてね。ウン、世の中の人がかつて食ったことのない料理を冷蔵庫のなかのもので作ろうかと思うんです。
 
曽野 それは創作と、そっくりなんですよ。
 
??三浦先生は買い出しもされますか。
 
曽野 買い出しはもともと好きだったんです。
 
三浦 彼女は、魚を見るのはうまいんです。肉を見るのは、私は彼女以上か彼女並みかわかりませんけれど、うまい。ウン、これはこういうふうにして食うとうまそうだというのはわかる。
 
??曽野先生から健康管理についてうるさくいわれますか。
 
三浦 うるさいんですよ、あの薬を飲め、この漢方薬を飲めと。私は柔順にホイホイ飲んでいますが、なんの薬か全然知らないんです。ひょっとしたら、ヒ素かもしれない(笑い)。
 
 
「妻をめとらば曽野綾子」の意味
 
??“暗黙の契約”というか、夫婦の間の約束事はありますか。
 
曽野 暴力を振るわないことですね。私は小さいときに暴力を振るわれましたので、精神的に傷を負っているんです。それで多分三浦は暴力を振るわないんでしょう。
 私も振るわない。茶碗を投げたことは一度もありません。口は悪いですけれど(笑い)。
 
??小さいときに暴力を……。
 
曽野 父が暴力を振るう人でしたから。私がときどき、「家庭内暴力の私は体験者ですから」というと、「あなたが振るったんですか」といわれるんです。あれは一一〇番作ったり、なにしたって絶対救えないものなの。
 
三浦 結婚したてのころ、同人雑誌の仲間に対する態度のことで言い合いをしたことがあったんです。あの人、大変口が悪いので、思わずカッとなって、籐椅子をパッと振り上げたことがあるんです。
 そのとき彼女が、変な言い方ですけれど、固まってしまったわけです。それを見たとき、この人は暴力に耐えられないんだなということがわかったです。それ以外は腕力を行使しようとしたことはないと思うんです。
 私が育った家庭はかなり常識外れの家庭でしたけれども、人間関係は非常に凡庸だったですね。
 
曽野 そうね。あったかい家庭だったですね。
 
??第一条「暴力を振るわない」。で、第二条はなんですか。
 
曽野 あと、なにもありません。
 
三浦 結婚は契約だといいますけれど、私は契約ということはあまり考えたことはないですね。ただ政治家に会うと、たまにこういうんです。
「僕は一人の女性と結婚するとき、君を幸せにするといった。そのときに良心がうずいたのに、あなた方は一億二千万人を幸せにするという。あなた方は本当に偉い」って、いや味をいうことがあるんです(笑い)。
 結婚というのは、ちょっと相手をだましたところがある。結婚生活は、罪の償いというところはあります。
 
??なにか、あったんですか。
 
三浦 いや、なにもない。そういう具体的なことではなくて。
 
曽野 私たちの友達で、結婚したら三年以内にベンツの車を買うといって外人女性と結婚した人がいたけれど、買わなかった。そういうたぐいのことですね。
 
三浦 そうそう。私は昔からホラをふく趣味がありましてね。戦争の終わり頃、汽車に乗って大学へ行くために東京へ来るとき、前にいたおばさんが「学生さん、あんた、将来なにになる」というから、「東京帝国大学総長、文学博士になる」といったら、ハッと驚いて握り飯一個くれちゃったんですよ(笑い)。
 
曽野 やっぱりホラもふくことね。当時の握り飯は偉大なものよ。いまでも好きだけど。
 
三浦 私が緒婚するときも、多分、口から出任せをいったに違いないという気がするんですね。相手はカタギだから、世間通りのいいことでだましてやりましょうと。
 はっきり覚えていますが、彼女の父親が、「あなたは日大で先生をしているというけれど、ちゃんと月給を取れるようになるんですか」と聞いたことがある。父親として娘の生活が心配だったんでしょう。その頃は、まだ芸術学部の時間講師でした。生活力はないわけです。
 
曽野 夏休みは月給が出ないんです。
 
三浦 たまに小説が売れるぐらいだったんですね。私は、「ええ、芸術学部の学部長ぐらいにはなりますよ」と、いとも簡単にいったんです。学部長にならずに教授で辞めたことは、ちょっと嘘をついたような気がしないでもないですね。
 
??三浦先生はいまなお色紙に、「妻をめとらば曽野綾子」とお書きになる。初心をお忘れにならない(笑い)。
 
三浦 これは大きな誤解なんです。「妻をめとらば才たけて見目うるわしく情けある」って鉄幹の歌ですよね。私も才たけて、見目うるわしく情けある人と結婚したかった。
 ところが現実として、妻をめとらば曽野綾子になってしまったんですよ。
 
??後半が抜けているわけですね。
 
三浦 そうなんです。
 
曽野 かなわなかった部分を抜いたわけです。
 
三浦 そうそう。どんな夫も、「妻をめとらばわが女房」ということになると思うんですね。結果的には「しまった」と思っても。向こうもそう思っているんでしょうけど(笑い)。「こんな会社に入るんじゃなかった。しまったな」と思っても、それが人生ですよね。だから、それなりに精一杯誠実にやっていくよりしょうがない。
 
 
第二の人生は夢のあるものに
 
??高齢化社会の到来で「第二の人生」をどうおくるかが、大きなテーマになっています。
 
曽野 第二の人生は、夢のあるものになさったほうがいいと思います。もう金でもない。七十になったらあと二十年生きるか、十年かということでしょう。それなら最後に危険を冒しても、やりたいことをやればいい。私は、冒険は老年への贈り物だと思っています。
 
三浦 昔、浅原六朗という小説家がいたんです。日大で創作の指導をしていたんですけれど、その方が七十歳で辞められた。浅原さんが七十二、三のときかな、渋谷のマンションに住んでおられて、ご無沙汰していて気になったので家へ帰る途中に寄ってみたんですね。とてもお元気で、「君ね、年をとったら田舎の養老院なんか行っちゃだめだよ。こういうところに住みなさい」。なぜかというと、「下の通りに喫茶店があるだろう。あそこにいると、青山学院の女の子が来るんだよ。向こうはもうこっちを警戒しないから、僕はおごってやるよといってね、彼女らの話を聞く。これ、結構面白いよ」(笑い)。
 
??遠藤周作さんの短編(「六十歳の男」)にも似たような話がありました。
 老人ホームを静かな場所ではなく、駅前の賑やかなところに建てた例があり、評判がいいと聞いています。
 
曽野 それはいいことですね。美術館をご覧になったり、若い奥さんが買い物に行くスーパーにいらしたり、人生の只中にあるって大事なことなんですよ。
 
三浦 浅原さんはいま流行りの援助交際のハシリだったんだな(笑い)。
 
曽野 コーヒーおごるぐらいじゃ、みみっちいわね。ブランドもののハンドバッグとか、アルマーニのボディコンの服とか買ってあげなきゃ。
 
三浦 老人になって時間を持ち、その時間を充実して持てるようになりたいと思います。漱石は「草枕」の冒頭で、雨のなかを濡れていく自分は惨めでつらいけれど、それを外側から見れば、これは一幅の絵であると。ここに小説を書くメリットがあるんです。将来、激痛で悲鳴をあげる瞬間があるかもしれない。自分の不甲斐なさにヒステリーを起こすかもしれない。しかし、その合間、合間には自分のそういう状態を客観視できればいいなと願っています。
 
曽野 本を読んでいてもいまのほうが、あふれるばかりの思いがあります。若いときはずいぶん読み落としていました。ある観念で一つのテーマを読み終わったところがありました。いまは、なにげない一行に感動します。
 私、突如として数か月前から詩を書き出しているんです。恥ずかしいですけれど、死ぬまでに詩集を作ろうと思っています。まあ、いい年をして、というんでしょうが(笑い)。
 
??多忙な日々から早く解放されて書斎の人になりたい、と思うときがありますか。
 
曽野 いえ。三十代の終わりに不眠症になったときに、書斎にこもっているから余計虚しくなることがわかりました。いまは一切の生活にどんなことも拒否はしないんです。夜のパーティーとか、もともと嫌いなことはさぼりますけれど。
 それ以外のことはなんでも面白い。料理から、畑から、詩を書くことから、人の悪口をいうことから。悪口は、その人の面前で素早くいいます。褒めるのは陰がいいと思っています。
 私は老年に大きな夢を持っているんですよ。自由にできますもの。だって、子供はどうでもいい。最後は冒険して死んだらいいと思いますね。
  
三浦 私の昔の同級生の一人は、戦争中パイロットで、そしてシンガポールからインド洋に索敵って、つまり敵の艦隊の動静を探りに行って帰らなくて戦死した。もちろん戦死といっても、遺骨もなんにもないんですけど。
 ですけどね、彼が飛び立ったのは朝日を背にした明け方だと思うんですけれど、夕日に向かって索敵のために飛び立っていくというのは、老人にとってカッコいいことだという感じがしますね。
 もう一ついっておきたいのは、若い人の世話になるにしても、肉親じゃないほうがいいんじゃないかという気がするんです。
 肉親である場合に、お互いに本当の愛情とか気持ちとは別に、「これまでしてあげてるのに」とか、「これぐらいしてもらってもいい」とかいう過度の思い入れがお互いにある。それがかえってだめにしてしまう部分がある。
 
曽野 同級生の友達とよく話したんですよ。私の母のほうが先に亡くなりましたけれど、二人とも一人娘で、「ほんとに母には腹が立つのよね」って同じこといってるの。両方、悪い母親じゃないんですよ。でも年をとったら頑固で、面倒くさいんですね。もう腹が立って、けんかをするわけです。友達もおんなじです。私が愚痴をこぼすと、友達は、「だけど、あなたのお母さまはわがままだけど、年寄りだからね」って。それなら母親を取っ替えて面倒みたほうがいいんじゃないかって、よく笑ったんですよね。
 
三浦 世話になるほうも、実の娘だったら腹が立つけれど、他人がやってくれていると思えば、「すいませんね。またおもらししちゃってごめんなさい」ぐらいはいえますよ。
 
??まだお話を伺いたいのですが、時間となりました。どうも、ありがとうございました。
 
 
 みうら・しゅもん 大正15年(1926年)、東京で生まれる。東京大学文学部言語学科卒。長く日大芸術学部教授をつとめた。文化庁長官、日本文芸家協会長、日本芸術文化振興会長、東京都教育委員、教育課程審議会長を歴任。昭和42年に『箱庭』で新潮社文学賞、同58年に『武蔵野インディアン』で芸術選奨文部大臣賞、同62年に芸術院恩賜賞をそれぞれ受賞した。芸術院会員。
 
 その・あやこ 昭和6年(1931年)、東京で生まれる。聖心女子大学英文科卒。同62年に第3回正論大賞、平成5年に芸術院恩賜賞をそれぞれ受賞した。主な著書に『遠来の客たち』『誰のために愛するか』『神の汚れた手』『夜明けの新聞の匂い』『神さま、それをお望みですか』などがある。第31回吉川英治文化賞を受賞。平成7年、日本財団会長に就任した。
 



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