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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 学級定員?先生に子供はよくわからぬ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 289  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/11/22  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   文部省が一学級四十人の定員という規定を緩和して、都道府県の自由な選択に任せる、とテレビが言っていた。子供の数が減って来たので、もっと小人数の学級も作れるようになったのだろう。
 また今までのように通う小学校を最初から決められるのではなく、通学の区域だけが決まると、その中から自由に選べるようにした土地もあるらしい。
 一学級の人数を減らそうという動きは、つまり先生がもっとよく子供のことを知って教育できるように、という意図によるものなのだそうだが、私はそういう時、いつも小さな煩悶を覚えるのである。
 私は子供の時から、先生に対して、尊敬とそうでない感情との双方を持っていた。私は八割方までいい先生に受持ちになって頂いたが、先生が生徒のことをよくよく知るなどということはできるものではない、と最初から思っていた。殊に私のように両親が不仲な家庭に育つと、家庭のことなど先生に知られたくないのだ。家が「火宅」だと、子供は親を恐れ、毎日不安を抱き続けて生きるから疲れている。時には親を恨みもするけれど、同時に終始親を庇う気持ちもあって、そんな「家庭の事情」など先生といえども他人に介入してもらいたくはない、と思っているのである。
 つまりどんなにいい意図を持った先生であろうと、生徒のことなど、本当に理解することは本来不可能なのだ。それが人間の宿命なのである。
 しかし四十人学級でも、眼が届かない、ということになると、だんだん世間はぜいたくになり、三十人学級がいい、二十人学級でも多過ぎる、十人でもだめだ、ということになって、今に一対一、生徒一人に先生一人でなければ、ほんとうの教育は不可能だと言い出すかも知れない。私はそれよりも、先生も友達も、ほんとうに自分を理解してくれるなどということは、人間的にも物理的にも不可能なことだ、と最初から思い諦め、自分で自分を保ち、自分で自分を教育する癖と強さをつけた方がいいと思う。
 また通学区域だけが設定されて、いくつかの学校の中から自分の子供を通わせる学校を選べるということになると、今度はどんな学校か、その選択をするデータがなさすぎる、という声が出ていた。
 私は個性豊かな厳しいしつけの宗教学校で育ったから、個々の学校は個性があって、それを自由に選べる方がいいと思ってはいるけれど、そこにどんな先生がいるかとか、他の父兄はどんな人たちか、などということはわかるわけがないと思う。その証拠に最近ではどこかに痴漢の先生がいるし、奇矯な振る舞いをする先生を簡単に辞めさせるわけにはいかないという陰の事情も抱えているのである。
 子供は近い学校に通わせて、そこで出会った人生を、いい面も悪い面も運命と思って受け止める方が強く複雑な人間を作るだろう。
 



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