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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 介護保険?この制度『老人』を知らぬ人  
コラム名: 自分の顔相手の顔 104  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/12/15  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   介護保険の仕組みについて、私の周囲の人に聞いてもよくわからない。自分の無知を棚に上げている私がよくないのだけれど、十一月から十二月にかけて三週間も日本にいなかったのだから、などと、言い訳をしている。
 一人が一月二千五百円ずつ払うことに、抵抗のある人も多いだろうが、私は少し働いて稼いでいるから、出させて頂くことは少しも反対ではない。しかし保険料を払えば介護してもらえると思うのは全く甘いだろう。ああいう制度を思いつくのは、老人を介護したことがない人だろうと思う。
 私の母は一時、枕元のベルを十分に一回鳴らした時期があった。何の用かと思って行ってみると、頻繁なおしっこのこともあったが、「ただ鳴らしてみたの」と言うこともあった。実の子供なら、それで腹を立てても、「意外とまだ悪知恵があるんだな」と喜んでもどちらでもいいのだ。しかし介護保険となると、行ったか行かなかったかで問題になるだろう。
 お金があっても人手はどうにもならない、というのが、私の苦労だった時代もある。まだ母が寝たきりではなかった頃、母が倒れると私はお手伝いさんなしに講演旅行にでかけられなくなった。そういう状態が頻発したので、私はずっと誰か家にいてもらうようにしたのである。すると母は「病気の時だけ人手を頼めばいいじゃないの」と言うのだった。家政婦会に電話をすればいつでもすぐ人を廻してもらえるなら、私は当然そうしたのである。しかし母にはその事情がわからなかった。
 介護保険を充たすなら、外国人の労働力を「輸入」する他はないだろう。いくらお金があっても、今の日本人の労働力だけで、介護ができるわけはないと思う。フィリピンの女性など、介護には優しいから向いている、とよく聞かされる。しかしいろいろな国からの出稼ぎの人の中には、家庭の中の金品を盗る人もいる。そういうクレームが出る可能性に対しても考えなければならない。
 舅は、八十七歳の時に直腸癌の手術を受けた。手術はうまく行ったのだが、人工肛門がついたことをどうしても認識できなかった。おできができたと思うらしく、始終それをいじる。時には一日に何度も、排泄物を掴み出して、布団や寝巻になすることもあった。
 その頃、私の家では乾燥機が活躍した。洗濯機も戸外に一台、汚物を洗う専門のを置き、室内にそれ以外の洗濯物を洗う機械を置いた。介護保険が、日に何度も繰り返される汚れた寝巻や布団の始末までできるとはとうてい思えない。
 その頃私が考えたのは部屋ごと洗える装置だった。どこに排泄物をなすりつけてもすぐきれいに洗え、部屋ごと乾燥できる仕掛けである。今でもそのアイディアは残っている。
 これからは高齢者が病気にならないように緊張することが一番有効かもしれない。それが最高の自衛手段で任務のように思う。
 



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