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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 来年もまた?社会にお返しできますよう  
コラム名: 自分の顔相手の顔 201  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/12/28  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   十二月下旬に入る週末は、イラク攻撃の最中だった。
 アムネスティなどのグループが非難の声を上げているように、アメリカの対イラク攻撃が、人の命をおもちゃにした弱いものいじめだとしたら、CNNなどのメディアの画面の中で殺人行為が行われているわけで、私などやはり心のどこかが落ちつかない。アメリカ軍もイギリス軍も全く死傷者が出ていないということは、この戦いがどんなに一方的な力で押し切られているかがよくわかる。
 それなのに、日本のテレビはどこものんきなものである。芸能界の裏話、競馬、お笑い、スポーツ…バグダッドでは人の生死がかかっている危機的生活が強いられているというのに、それらは全く「よその世界」扱いである。
 しかしもしかすると、バグダッドの現実的な市民は、英米軍のピンポイント爆撃をすっかり信頼するようになっていて、大統領官邸や、軍の基地や、通信放送施設などの建物にいない限り、アムネスティが言っているほどの危険はない、とたかをくくっているのかもしれない。それなら、日本のテレビ番組の、のんびりした遊蕩的な姿勢も少しも矛盾していないことになる。
 新聞はまた違う。ちらと見た駅売りの新聞の見出しは「アメリカ軍、ラマダンを無視」とでかでかとうたっている。イスラム教では、二十日からラマダンとよばれる断食月が始まる。これはイスラム教徒にとっては神聖な宗教行事だということを楯にとって、その信仰の妨げをするようなアメリカは、実にひどいことをする、という口調になったのだろうが、これなど軽薄な態度だろう。こうしたスポーツ紙が普段から宗教に対して深い造詣があり、他人の信仰にも敬意を払っていたなどという話は聞いたことがないのである。私などどちらかというと、戦争をしながら相手の信仰を考えるなんて、却ってわざとらしい、と思うくらいだ。昔から異なった宗教同士は、全く相手に理解を示さないのが普通だったのである。
 一九九八年の最後も、世界は決して平和ではなかった。むしろ私は、抗争と対立、苦悩と絶望こそが、人間の世界の普通の様相なのだ、と思うことにしている。ただ或る程度の物質的豊さがあれば、人間はひどく犯し合わなくて済む。生きることに追い詰められず、他人のやっていることにも、無関心という形の寛大さくらいは持てる。それだけでも、私はありがたくてたまらない。
 この欄で、再び無事な一年の終りを喜び合うことになった。しかし私の周囲で、多くの見事な魂が、今年も一年の間に消えて行った。彼らは誰もが善意をもって、果たすべき仕事をなし終えて死を迎えた。その点で私の知人・友人たちの生涯は充たされ輝いている。
 来年もまた社会から多くの恩恵を受けられますように。そしてできればこちらからも、ささやかなお返しができますように。
 



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