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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 抜けない癖?“食”は偉大な幸せだと思う  
コラム名: 自分の顔相手の顔 138  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/04/21  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   最近発表された「農業白書」によると、首都圏の既婚女性の七十四パーセントが、最近一カ月以内に食べ物を捨てたことがある、と答えた。七十四パーセントで済んでいるのだろうか、と思う。一日一世帯当たり、二百五十グラムを食べ残しているという。
 人間は太らず痩せず、健康的な体重維持をできるだけの食物を摂取すればいいのだが、適切ということは実にむずかしい。日本人もものを残すが、ほとんどの国が食べ過ぎだ。
 昔バチカンの文化会議で東欧の貧しい学者に会った。彼はやっとのことで機会を見つけてアメリカに行き、出て来る料理が多過ぎるので驚いた。半分で半分の値段にしてください、と言ったら、それでは商売にならない、と言われた。
 私の家では、私が男みたいな暮らしをしているから、高齢のお手伝いさんに手伝ってもらっているが、それでも冷蔵庫の中身を一番気にしているのは私である。それは昔、私がすばらしい教育を受けたからなのだ。
 私の育ったカトリックの修道院付属の学校は、戦前から、頼めばお昼の食事を学校で食べさせてもらえた。スープ、お肉料理にジャガイモやホウレンソウなど野菜が二種類つく。金曜日は小斎日と言って、イエスの苦難を忍ぶために魚しか出なかった。タラが多かったが、外国人は魚料理が下手でおいしくなかったから、それで苦行をした気分になれた。
 食べる前に長い長い英語のお祈りを我慢する。食事中は上級生から厳しいマナーをしつけられた。スープを音を立てて飲んでも、お皿を持ち上げても、ナイフを口に入れても、手首以上に腕をテーブルに載せても、行儀が悪いと叱られた。
 修道院料理の特徴を、私たちは秘かに「御復活料理」と呼んでいた。もちろんイエスの復活にひっかけているのだが、つまり昨日食べ残した材料を、全く別の料理に仕立てて出すことを皮肉ったつもりであった。スープは残りのすべての野菜を小さく切ったミネストローネ風。コロッケには後で思えばイタリア風にチーズをまぶしたご飯まで入っていた。
 当時はけっこうそういう料理をけなした癖に、後年、私もその習慣を踏襲するようになった。だから教育は大切だ。私は正式に料理など習ったことがないので、自由に材料を買って来てお客様用の料理を作りなさい、と言われたらびびってしまう。しかし、週に一回は必ず冷蔵庫の野菜と肉の引出しの中身を合わせたスープを作るし、乾物の棚の点検も怠らない。ワープロに疲れると立って行って、豆を煮たり、おから煎りを作ったりする。気分転換に料理は一番手近でいい。
 それでも結構な量の屑が出る。仕方がないから、肥料にして小さな畑を作っている。飢餓の年に、地べたにへたり込んだまま手の届く範囲に生えている草を食べていたエチオピアの男性の姿を一度見てから、食べられることは偉大な幸福だと思う癖は抜けない。
 



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