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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 審議会?傍聴者は会議の妨げになる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 261  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/08/10  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この七月二十七日に、「司法制度改革審議会」の第一回会合が開かれた。これは二十一世紀の司法のあり方を考えるため」とされており、十三人の委員の多くが法律の専門家だが、末席に直接法律とは関係ない私のような者も、いわば法の「ユーザー」として参加している。私は小説を書くために、時々、最低限の法律の知識が必要だったことがある。
 その第一回の会合の時に、この手の審議会がいつも必ず直面する運営上の問題が討議された。会議に第三者の傍聴を認めるかどうかということである。最近の会議は、すべて会議後に会長と副会長が新聞記者会見で、その日の会議の内容を伝え、後日速記録の公開がなされるのが普通だと思う。
 しかし私は、会議の席に傍聴者が入ることは、会議の妨げになる、という考え方を持っている。それは会議というものは、私たちの真剣な仕事場であり、まともな仕事場には、それが画室であろうと、新聞社の編集会議室であろうと、小説家の書斎であろうと、大学の実験室であろうと、例外的な場合は別として見学者を入れることは普通ない、という考え方によっている。
 見られ聞かれていることを意識したら、そこには人間の普通の会話も奔放な思考もなくなり「聞かせ用の会話」が存在するだけになる。ということを私はもうすでに「新潮45」という雑誌の一九九七年十二月号に書いているのだが、もちろんよその方が私の書いたものを一々読んでいてくださるなどと思ったことはない。それに、最近の審議会に秘密など全くない。議事録はインターネットでも公開されるらしいし、委員は知人の新聞記者に、その日のうちに会議の内容を自由に喋るのが慣例のようだ。新聞記者にアイソが悪いのは、私くらいのものかもしれない。
 翌日の朝日新聞(東京本社発行)に、私が「第三者入れない」という考え方であるのに対し、「中坊公平氏(整理回収機構社長)が『国民と司法の距離が遠いことが問題なのだから、審議を国民に近づけるうえで公開は当然だ。サロン化してはいけない』と述べ、高木剛氏(連合副会長)や吉岡初子氏(主婦連事務局長)も同じ意見だった」という記事が出た。
 私が少し驚いたのは、中坊氏が審議会を「サロン化」しうる場所、と見なされたことだ。私は年を取っているせいで、長い年月の間には、少しは種類の違った審議会に出たこともある。しかしそのどれ一つを取ってみても、サロンのような審議会だけはなかった。
 思い出してもうんざりするようなごり押しの委員がいた審議会もあったし、会長の温かいユーモアが談論風発を可能にした審議会もあった。ただしどんな場合でも審議会が生ぬるいサロンだったことなど一度も記憶にない。
 審議会がサロン的でも通るなどと思われるのは私にとっても心外なことだし、誠実な委員たちに対しても失礼だろう。また国民にも誤解を与えるから困るのである。
 



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