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十月七日付けのシンガポールの「ザ・ストレイツ・タイムズ」の記事で読んだ話なのだが、ヒラリー・クリントンはアラファト議長夫人、ソーハに対する憎しみを「ザ・ジュウウィッシ・ウィーク」紙がスポンサーになって行われたフォーラムであらわにしてみせた。 「もし時間を巻き戻せるなら、私は中東への旅行を断ったでしょう」 昨年秋、イスラエルで、彼女は親しげにソーハ・アラファトと顔を寄せ合ってキスしたのである。ヒラリーはこの出会いを後悔しているのだろうか。 「私は明らかに合衆国の代表として出席していたのです。私は正当な外交的な儀礼を尽くすためにいただけなのですが……そのことは、イスラエルに対する私の支援と強い共感に対して、間違った印象を与えてしまったようです」 ソーハ・アラファトが、イスラエルの人々はパレスチナの子供たちに毒ガスを使ったという非難をした後に、ヒラリー・クリントンは問題のキスをしたのであった。もちろんそのキスはファーストレディーに求められる社会的な雅量の範囲内だったのだから、ヒラリーはそのことを正当化したかったのだろう。 ヒラリー・クリントンは後になってソーハ・アラファトの発言を非難したわけだが、ユダヤ人たちの中には、ヒラリーがキスなどせず、すぐその場で言い返してやるべきだった、と言っている人たちがいる。 「私は皆さんに、ニューヨーク州選出の上院議員として認めてもらいたいと願っています。そしてニューヨーク州民の利益の何であるかを求め、守りたいのです」 もちろんこのスピーチは、森総理が神道関係者の集まりで「神の国」発言をしたように、ユダヤ人の集まりで語られたものである。 しかし私からみると、ほんとうに政治はかくも不純なのだ。私だったら直感的に自分が嫌だと感じた人にはキスなどしないだろう。その立場としてそうせざるをえなかった、という言い訳は惨めな限りである。しかも聴衆の感情を票に計算し、その場に合ったことを言う。気持ちの悪い女性だ、という感じしかしない。 真夜中目を覚まして半眠りのままテレビをつけると、ブッシュ候補だったかゴア候補だったか今では覚えてもいないのだが、アメリカの或る典型的な家族を背後に並べた大統領選挙の一場面が出てきた。 いかにも庶民的なお父さんが一番小さい子供を抱き、彼の妻と他の年長の子供たちが、心からこの人を合衆国の大統領として願っています、という感じで、直立不動でバック・ステージを勤めている。その演出計算も単純で愚かしい。こんな場面で国民が騙されるとなめてかかっている大統領を選ぶのは辛いだろうな、と思っているうちに無責任にまた眠ってしまった。選挙のつまらなさは、洋の東西を問わないのだろうか。
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