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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 勇気とは?時代遅れの情熱なのか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 8  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1996/12/03  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   世間はどうあろうと、うちはうちとして、「うち流に暮らす」のが私は好きなのだが、それを実行するには、各人がいささかの「勇気」を持たねばならない。
 ところが困ったことに勇気などというシロモノは戦後、完全に時代遅れの情熱だと思われてしまった。「勇気なんてことを言うから、戦争をするんです」
 と皆が心の中で思い込んでしまったから、勇気の代わりに世間に追従したような考え方をするのがいいことになった。その方が平和的でものわかりのいい人であるかのような感じになれたであろう。
 しかし勇気という言葉は、そもそも戦争で武勲を立てた人にだけ捧げられるものではない。それはむしろ聖書世界でもギリシャ人の思想でも、全く違った角度から見られていたのである。
 勇気はギリシャ語でアレーテーというのだが、それはまず善いこと、であり、気高いことと定義される。と同時に、卓越、徳、奉仕・貢献を示す言葉でもある。勇気はつまり徳そのものなのである。
 そうだろう。人が言うから簡単に考えを変えてその通りにするのでは奴隷の思想である。会社や組合から今度の選挙で誰それを推すことにしましたからと言われて、その人に投票するなどというのは、情ないことだ。私は金で買収するのも、組織で票を動かすのも、同じ選挙違反にして当然だと思っている。
 誰に言われたって、ほんとうに納得しなければその通りにしないのが、人権というものだ。それだけの強さが親になければ、その人らしい人生もあり得ないし、自由な子供の教育もないだろう。
 勇気というものはだから戦争の時に役立つものではなく、平時に必要な徳と同じものなのである。だから子供の躾けだけでなく、お金の使い方、冠婚葬祭のやり方すべてにほんの少しの勇気があれば、自分らしいやり方ができる。
 近頃ジミ婚が流行っているらしいが、うちの家族もジミ葬が好きで、私たち夫婦の親たち三人のお葬式は、ほんとうに世間にひた隠しに隠してやった。でも故人が心から愛した人たちは??それはどの場合でも二十人くらいだったが??皆平服で出席してくれた。それは言葉を変えれば、義理で来る人には一人も出席してもらわなくて済んだ、ということであった。
 今は忙しい時代なのだ。八十、九十まで長生きして、自分の家で穏やかに「老衰」のように亡くなった親たちには、社会的な晴れがましさなどもういらない。子供たちやその配偶者や孫や友人など、大切な人たち全てに囲まれて、この上なく温かいお葬式ができたのも、つまりは流行に乗らずに「うちはうち」を通したからである。何もかも払っても、百万円にはほど遠い葬儀の費用であった。
 



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