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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: アラル海の危機  
コラム名: 昼寝するお化け 第107回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1996/05/31  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私が働いている日本財団の調査で、今まで行く機会のなかった中央アジアの三国、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンを訪れることになった。旧ソ連邦を離れてから、自由経済に移行したとは言っても、なかなか旧体制の残滓が抜けない、という難しさを残している地域だと言う。
 私にとってはほとんど散文的憧れの場所で、天山北路の北側、シルクロードの一部であるというだけで心が躍った。ウズベキスタンに入れぱ、アレキサンダー大王やチムールの活躍の場所になる。
 夜半過ぎ、アルマトイに着いて税関の通過に約二時間。明け方四時近くホテルの部屋に入って、七時にはもう次の日の日程のために出発した。チャーター機のヤク40はなかなか快適な内装で、スチュワーデスのお嬢さんが食べきれないほどのコールド・カットのお肉や飲み物を運んで来てくれる、二時間半西へ飛ぶ間に、情勢の詳しい講義を受けた。
 最初の中継地点クジルオルダは、かつてはカザフ自治共和国の都であった。その頃は、水田七万ヘクタールを持ち、一ヘクタールあたり籾込みで四トンを生産、他に羊、牛、馬、ラクダの放牧をしていた。しかし今では、一人当たりの収入は、カザフスタン全体の半分に落ち込んでしまっている。
 今では砂漠化しているこのクジルオルダでヘリに乗り換え、さらに二時間西へ移動したのだが、こういう強行軍をしたのも、死の海と化したアラル海をどうしても見てもらいたいというカザフスタン側の希望があったからである。もっともこの三年の間にアラル地方には九十二の視察団が入った。しかし根本的な解決策は一つもできなかった。
 アラル海のそもそもの総面積は6万4100平方キロ。日本の九州と四国を合わせた面積より大きかったことになる。今から二十年ほど前までは、まだ水があり、魚も釣れた。アム・ダリアとスル・ダリアの二本の川が流れ込んでいる。アム・ダリアの方にはかなり水が残っているが、途中で水田が水を取ってしまうスル・ダリア川の方は渇水がひどく、今年は特に雪が降らないので水量が減ってしまった。アラル海は海と言いながら、今では浅い所では水深が十三メートルまでに下がってしまっているという。海岸線は、もう百キロも後退してしまった。このアラル海の塩害に関しては五千万人が被害を受けている。
 ヘリは不機嫌に塩の浮き上がった大地の上を飛ぶ。植物の色はほとんどなくなり、やがて弱い砂嵐まで吹いたが、それは、むしろ塩嵐である。後で教えられたことなのだが、毎年七十五トンの塩が、百キロから五百キロの距離まて吹き飛ぱされている、という。アルマトイの大統領官邸でナザルバーエフ大統領にお会いした時の話では百万トンの塩が風で移動しているという。そうして運ばれた塩は、二年前にはスカンジナビアの海岸で、三年前にはヒマラヤとベラルーシでも見つかっている。つまり干上がりかけているアラル海の塩害を放置すれば、ユーラシア大陸全体が被害を受けるというわけだ。
 その荒涼とした無人の死の光景の中で、馬が二頭遊んでいた。白鳥が数羽、塩辛いはずの海に浮かんでいたが、魚もいない海に水鳥が生息するものなのかどうかも疑問として残ったままである。
 ヘリは川原と言いたいような光景の岸辺に降り立ち、私たち以外、人一人いない海辺でプロペラを回し続ける。電源設備も何もない荒野の中では、一度プロペラを止めたら、再び飛ぴ上がれなくなるのである。そして私はあたりに、分厚く散り敷いている貝殻を集める。「アラル海では貝も死んでいた」と書けば、環境破壊の恐ろしさを訴える常套的な文体になるのだが、どの海にだって死んだ貝の貝殻はいくらでもあるものである。
 かつて海岸だったところに船の墓場があるが、その赤錆だらけの廃船の群れの近くの荒野に、住み続けている人たちがいた。ヘリの上から見ると、塩の海の中に二、三十戸の村が踞っていた。ジャンボルという村で、ラクダを飼って暮らしているのだと言う。水は二十キロ離れたところから、タンクローリーで運んでいる。
 こういう光景を見ていると、塩気を含んでいない水をスウィート・ウオーターというのだという理由がよくわかる。しかしそれにしてもジャンボルの村の人たちは作物もとれない、魚もいない、ラクダを使って運搬する物資も市場もなさそうな土地にどうしてしがみついているのか。
 それは先祖の墓があるからだと言う。そう言えば、砂の風に洗われる村の一隅に、一瞬墓地が見えたような気もするが、この人たちが普通の生活を営むためには、途方もない金がかかる。先祖の墓を理由に、他に代替の耕地がないわけでもないのに、移住しようとしない人たちの頑迷さは、困ったことだと私は思う。人は「不運」に見舞われる時もある。新しい生活を受諾しなければならないこともある。そういう気持ちの切り換えの訓練もしておかなければならない。

 世界第2の透明な海だった
 アラル海の死を、小説に書き続けているというカザフスタンのペン・クラブの会長にも会った。
 かつてアラル海は、工ーゲに次ぐ世界第二の透明な海であった。海中の酸素の含み具合も十分であった。しかし現在のアラル海には四十五億トンもの塩があると言われている。
 この方はソ連邦時代に『死に行くアラル海』を既に書いていた。しかしソ連はその原稿に対して報酬は与えたが、作品はどこの雑誌にも載せようとしなかった。アラル海が死んで行くことは、ソ連邦の失政を認めることになるからであった。
 この方は生涯アラル海を書いて行く決意だと言う。こう言う場合の作家の果たす役割は実に難しい。現実以上に悲劇を訴えると現実から浮き上がるし、個人の想いは個人の領域においておかないと、宣伝文学になってしまう。しかし自分が見慣れ、その岸辺の豊かさを愛して来た作家が、海の死を描くことは悲痛な自然だろう。今後もこの海の運命が書き続けられて行くことを願うばかりであった。
 夕暮れの頃、と言っても現地時間の夜九時頃に、私たちは再びクジルオルダまで帰って来たのだが、それから更に病院の視察をするように、と言う。空港からほんの数分の所と言われたが、実際には十五分も荒れ地を走った所に、ブルガリアが建てかけていたという共産党本部みたいな中央塔を持つ広大な病院があった。まだ営業は始めていない、という。建設費は総額八千百万ドルもかかったのだが、そのうち半分はお金が払い切れなくて、借金として残っているという。
 何もそんなに大きなものを建てなくても、小さな病棟一つずつ建てて行って拡げて行けばいいのに、と思うのだが、そういう発想自体が資本主義的なもので、旧社会主義国はいつもまず勇壮な記念碑を貧しい村の入口に建てて来たのである。
 



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