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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 文化ショック?日本の常識は外国の“非常識”  
コラム名: 自分の顔相手の顔 143  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/05/18  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私が外国へ行くのが好きなのは、ほとんどたった一つの理由からだ、ということが最近わかって来た。
 私はもう若くないから長い間飛行機に乗るのも、時差がなかなか抜けないのもけっこう辛い。しかし多くの日本人が当然で正当と思って疑わないようなことが、外国に行くとそうではないことがわかるので、その文化ショックが楽しくて行くのである。
 たとえば日本人にとって人を疑うということはよくない行為だとされているが、日本人以外の人にとって、知らない人を疑うということは、当然の反応であり行為である。それをしない人はつまりバカだということだ。
 「盗む方が悪い」と日本人は言い、事実私もその通りだと思うが、日本以外の土地では盗まれる方も油断があったから悪いということになるらしい。人々はどこでも鍵束を持ち歩いている。家のドアの鍵だけでなく、戸棚にも鍵をかける。
 日本では騙した人が悪いと一方的に罪をかぶせられるが、騙した方も悪いが騙された人にも責任がある、と考えるのが世界的なものの考え方である。だから納得して買ったマンションが、景気の影響もあって後で安く売り出された場合、それに対して損害を補填せよ、などという理屈は、日本以外では思いつかない論理だろう。自分の所有する不動産の値段が下がるということは確かに不運である。しかし人間は、一生に必ず幸運にも不運にも見舞われるものなのだ。いや、もっと正確に言うと、一生不運ばかりだったという人さえ珍しくないことを知っている。不運なしでやりたいと言っても、それは現世では不可能なことを、まともな大人は承認する。
 もちろん、人間は誰でも不運には出会いたくないから、不運を避けて幸運に出くわしますようにと神仏に祈ったり、まじないをしたりする。しかし日本人のように不運は社会的に許されるべきではない、という考えかたも見たことがない。不運はいかなる政治体制、社会状況の中でも残る。
 日本人の貧乏も金持ちも全く桁が違うから、それはおもしろい。まず日本人の家の狭さは、世界的な低レベルである。アジアの各地には、日本以上の狭い貧しい暮らしはあるが、いわゆる中流でも、面積だけはゆったりとした家に住んでいる人は、世界中にいくらでもいる。
 四畳半や六畳の洋間などというものは、ベッドや椅子を入れて使用できる面積ではないから、そんな部屋を洋室として考えること自体が初めから間違いなのだ。四畳半も六畳も、和室としてなら立派なものだ。四畳半の茶室は、宇宙的な思考の広がりを可能にするが、それはそこに椅子やテーブルのような固定された家具を置かないことが条件である。
 多くの外国で貧乏と言えば、ほんとうにその日に食べるもののない飢えの苦しみを意味する。しかしそういう意味での貧乏など、日本にはホームレスでもないのである。
 



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