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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 危険な親切?使えぬ物を送って何になる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 307  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/02/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一万七千人を超える被災者の出たトルコの地震のお見舞いに、阪神淡路大震災の後で使われた被災者住宅が、自衛隊の艦隊を使って運ばれたにもかかわらず、その多くが使われないままコンテナーの中に詰め込まれたままになっている、というニュースをテレビが放映していた。
 その理由は、新しいものを建てるよりはるかに手がかかる、というのである。羽目板が合わなくなっていて隙間風が洩れる。所々にかつての配管の跡の穴が開いていてそれを塞がねばならない。使われている水道や下水の管の太さが違って接続ができない。
 トルコ側の建築業者の不馴れや、手順の悪さや、怠け心もあるだろう。しかし日本も不親切なものを贈った、と言われてもしかたがない。
 私が週末に行って暮らしている神奈川県の三浦市は漁港で有名で、かつては遠洋鮪漁船がたくさん出入りしていた。そんなこともあって市内にいい「金物屋」さんがある。中でも私が驚いたのは、インチ管をセンチ管と繋ぐジョイントのようなものまで売っていることだった。実にこの手の用意が「国際化」の基本なのである。
 私は今まで世界の百八カ国を歩いた。そのほとんどは途上国だから、私は健康を守るためと倹約との二つの理由から、いつも電気炊飯器と電気ポットを持って、歩いていた。
 ブラジルヘも二百ボルト用の炊飯器を持って行ったが、サンパウロ付近は百ボルトだったことを知った時の失望は、今でも覚えている。ご飯は炊けず、炊飯器はじゃま。泣きたくなる思いだった。
 世界中の電気のソケットに合うというプラグを東京から用意して行っても、南アにもイタリアにもそれに合わないのがあった。とにかくその土地に着いたら、電気をとれるかどうかが、旅先でもワープロや電気炊飯器を使う者の、大げさに言えば一種の闘いである。この場合は電気ではなく下水の配管だが、その手の結果を考慮しないでものを送る役所は、何というのんきで無責任なのだろう。
 仮設住宅を送るだけなら簡単なものだ。それをどうしたら早く被災者に使ってもらえるかまで考えるのが当然の親切だろう。ましてや先方が嫌がって「こっちで買って使う方がずっと安く済む」と言うようなものを、莫大な国費をかけて運んで何になるのだろう。
 自分が要らなくなった古物を送る、ということは実に危険なことなのだ。エチオピアの飢餓の時、日本から送られた古着の中の実に多くが、子供のパーティー・ドレスだった。要らないものを人にやって、親切をした気になるのは恥ずかしいことだ。
 人に贈る時には、上げるのが惜しいものか、お金がいい。しかしお金で贈ると途中で必ず泥棒に掠め取られる。その監視は厳重にしなければならない。国際化というものは、それらのすべてを予測する技術をも含むのである。
 



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