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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ボランティア活動?心に余裕をもって焦らずに  
コラム名: 自分の顔相手の顔 418  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/03/20  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   教育改革国民会議で、学校に行っている子供たちには奉仕活動を義務づけた方がいい、と私は思ったのだけれど、それに矛盾するようだが、最近のボランティア活動はどうも少し心の余裕がないような気がする。
 学校へ行っている子供たちは、その時間に奉仕活動でもゆとり教育でも必らずできるわけだが、社会人となるとそれぞれの事情で忙しい。子供が幼い時には手もお金もかかる。お隣の奥さんがボランティア活動をしているからと言って、自分もしなければならない、などと焦らなくてもいいのである。
 ボランティアというものは、時間にも心にもお金にも少し余裕ができてからすればいいことだ。片道百数十円の電車賃さえ出すことが痛いような時代には(どの家庭にもそういう時期がある)、ボランティア活動などすべきではない。グループとしても、人手はあるけれど、お金や物はほとんど寄付する人がない、というのだったら、それはボランティア活動はできない状態なのである。
 今の時代にはボランティアくらいしなければかっこが悪いと思い、とにかくグループを作って必死にお金の出所を探す、というのでは、息が詰まってしまう。お金と物を、少し出してくれる人がいなければ、現実問題としてやって行くのは大変だ。
 はっきりしているのは、ボランティアをしなければ人間の資格に欠ける訳では全くないのだから、そういう時には、「のびのびと、ボランティアなどする余裕のない暮らしを受け入れて」何もしないことだと思う。時と共に状況は必らず変わってくるのだから。
 先日私の所属している小さなNGOは、南アのエイズの孤児たちの施設に、霊安室の建築費二百七十万円を寄付した。そこで働く日本人のカトリックの神父の話によると、両親がエイズで死んで孤児になった子供たちもまた、後を追うように続々と死んで行く。霊安室がないから、埋葬の手順が整うまで病気の子供の隣のベッドに、白布にくるんでおいておかねばならない。こういう設備には普通なかなか寄付がないから、と言われて、運営委員会にかけて申請を認可してもらったのである。
 これは命を生かすためのものでもない。しかし何となく人が人間であり続けるためには必要なもののような気がする。そういうふうに肩肘はらずに自然に思えるまで、私たちのグループも(今年の六月六日に記念日を迎えるが)実に三十年の年月がかかったのである。
 



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