|
イランという国へ初めて行って来た。日本財団がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に対して、クルド難民の医療保護のために百万ドルを拠出しているので、その実態を見に行ったのである。私はお金を出したら現場を見ることが原則だと思う。不満があったら礼儀を失わないように気をつけながら、強力に口も出さなければならない。 滞在期間の約一週間は、町を見る暇もなかなか取れないほどのきついスケジュールだったが、イスラムの休日とサッカーの対ドイツ戦とにぶつかったので、町中の機能が全部お休みになり、仕事も不可能になった。それでやっと観光らしいものをすることになった。イスファハンという古都へ行ったのである。 ところがいいガイドさんに巡り会い、徹底していろいろな質問をしたので、ただの観光とは言えないほど多くのことを教わった。 イスファハンの近くは、オアシスや川の付近を除き一種の砂漠である。大きな木というものは極度に少ない。だから建築の材料としての木材は、支配者の宮殿にしか使えない貴重品である。 貴重品の木はシカモア(アメリカスズカケ)が多く、それは優に十メートル近くありそうな建材として王宮のテラスのような場所に使われている。つまり日本でいえば床柱に当たる使い方なのである。 イスラム教のモスク(寺院)の丸い玉葱型の丸屋根はどうしてできたか。このごろこういうことを教えてくれるテレビ番組も多くなったが、ここでもはっきり答えが出た。 砂漠で無限にあるのは土だけである。それを焼いて煉瓦を作る。煉瓦では平屋根を作ることができない。木材のように、壁から壁へ梁を渡すことができないからだ。 丸屋根(ドーム)というものは、下から丸く煉瓦を積んで行って、最後に頂点の要石をぽんと入れると、それで崩れないのだという。そういう建築方法を考え出した人というのは何という天才だろう。 人は昔から自分の周囲で手に入れられるもので生きて来た。ペルシャ文化は石と煉瓦、日本人は木と紙だった。どちらが豪華だとか偉大だとか比べることはできない。それぞれに自然を受け入れて生きた知恵が輝いている。 おもしろかったのは、モスクの入り口の左右の壁の模様が同じ唐草模様なのに、よく見ると片方はモザイク、片方はタイルと、わざと装飾の手法を変えてあることだった。隅の柱代わりに使われている壺の形の装飾も、明らかに太さを違えて仕上げてある。 それは神の前に人間は不完全なものだ、ということを常に戒めるものだという。それこそ私が好きで書き続けて来たテーマなのだが、これでイランでは半導体などの精密工業ができないことがわかった。日本人は神に成り代わって誤差の極度に少ない製品を作ろうとした。そういう情熱はこの国には初めから哲学としても美学としてもないのである。
|
|
|
|