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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 仮の姿?ポスト外せば…ただの人  
コラム名: 自分の顔相手の顔 27  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/02/24  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   よく世の中でいばっている人に遇う。
 何でいばっているのかわからないけれど、ただいばるのである。私は一度、或る大学教授が部下に向かって「君は僕を怒らせる気かね」ととげとげしく言うのを聞いてびっくりしたことがある。その日本語の中には、「僕を怒らせることは大変なことなんだぞ」というニュアンスが含まれていた。
 誰かを怒らせると大変だ、という「誰か」は確かに世の中にいる。ペルーで日本大使館を不法に占拠しているセルパという男とか、北朝鮮の金正日とかいう連中は確かにそうだろう。セルパも金正日も、怒らせると怒らせた原因になった人が殺されるか、殺されるのと同様の目に遇うから、確かに大変だ。
 しかし「後が大変」というのは「後がめんどうだ」というだけのことであって、いばっている人の偉さとは何の関係もない。
 私たちは皆、この一刻を仮の姿で生きているのである。他人がもし或る男にお辞儀をするとしたら、それはその人が年長であるとか、彼が今、仮に得ている地位に対してなのである。
 或る会社の部長に、社の内外の人がお辞儀をするのは、その部長が一つの権限を持っているからだ。多くは、ビジネス上の権限だから、儲けと密接な関係にある。そんな理屈が見え透いているのに、いばらせてもらうことが実に好きな男が世の中にはたくさんいて、当人にはその滑稽さが見えていないのだから困ったものである。
 人間はもともと何も持たず、病気になれば弱いもので、物質と同様古びて行くものなのである。それを私たちは少し手入れする。醜い姿を衣服で隠し、古びたものは経済の許す範囲で時々新しいものに取り替えて気分を入れ替え、命令系統を示すために、部長の机は課長の机より少し高級なものにしたりする。
 すべてのことは、笑って信じる程度のつまらないことだ。
 地位にある人に対する恭しさは、その人がそのポストに留まる限りのことである。部下がお辞儀をするのは、上役その人の人格に対してではなく、自分に月給を払ってくれる会社の機構に対してなのである。「官僚というものは小心なものなんですよ」
 と私に解説してくれた元・高級官僚がいる。いばれるのも、そのポストにいる間だけだ、ということを知っているからだという。しかし知っていていばるというのも、愚かで醜くてどこか悲しいものだ。
 正確に言えば私たちすべてが仮の姿で生きている。子供を失えば私たちは父でも母でもなくなる。先生と呼ばれるのは教室の中にいる時だけで、知らない町ではただの男か女である。選挙で落選すれば代議士ではなく、退官すれば裁判官でも詐欺師に間違えられる。
 仮の姿である自分をいつも認識して生きる他はない。その意識が謙虚さにもなれば、感謝にも笑いにも自由な精神にもなるのである。
 



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