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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 故蒋緯国さん  
コラム名: 地球巷談 39  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 1997/09/28  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  思い出深い30年前の出会い
 秋分の日の今月二十三日、故蒋介石総統の二男、蒋緯国さんが台湾の病院で八十歳の寿命を全うされました。
 過去の記事を読みながら、私の脳裏には蒋さんとの数々の思い出が駆け巡りました。蒋緯国さんとの出会いは三十年前、所用で台湾を訪問する際、父、笹川良一から蒋さんと会うように勧められたからです。駆け出しの若造の私は一流ホテルに宿泊する路銀もなく、台北駅前の木賃宿に滞在していました。
 当時、戒厳令下の台湾にあって蒋さんは台湾の陸軍参謀学校と三軍学校の校長さん。父、蒋介石総統も存命中であり、台湾では最重要人物の一人でした。連絡をとると、なんと私の宿泊先に赴くとの返事。こちらから参上をといいましたが、有無をいわせません。私の部屋はベッド一つで応接セットもありません。私は宿の主人に事情を話し、一番広い部屋を用意するように頼みましたが、総統の二男が来るなど端(はな)から信じません。
 そうこうするうちに、けたたましいサイレンの先導車とともに蒋さんが到着。慌てたのは宿舎の主人。カギを開けてくれた部屋は確かに応接セットはあるものの、女性の下着の満艦飾、おまけにツインベッドも散らかり放題です。意に介さぬ様子で蒋さんはイスに腰を下ろし、酒を酌み交わしながら談論風発のよもやま話となりましたが、軽く洋酒を一本空ける大酒豪。これを契機に私と蒋さんは意気投合、以来、親密なお付き合いをさせていただくことになりました。
 この話には後日談があります。八年前、蒋さんが東京においでになった際のことです。
 話題が昔話になり「笹川さん、最初にお会いしたとき、女性が一緒だったでしょう」と蒋さんがニンマリと笑います。私は“真実”を伝えるのに冷や汗をかいたものです。米国、ドイツヘの留学経験のある蒋さんは語学の天才、ダンス上手のプレーボーイ、しかもその博識ぶりは大変なものでした。特に易経については一流の権威でした。
 蒋さんは故蒋介石総統の実子ではありません。蒋介石総統の刎頚(ふんけい)の友で中国国民党の元老、戴季陶と日本人女性との間に生まれた人でした。それだけに日本には親近感を持っておられました。母の日本人女性は蒋介石、戴季陶双方と関係があり、男の子の場合は蒋姓を、女の子の場合は戴姓を名乗らせることで合意していたそうです。
 いかにも、中国の大人同士ならではのおおらかな話です。
 蒋さんの願いは中台の統一でした。近年、遠心化の強まる中台関係ですが、蒋さんの易にはどのような卦が出ていたか、生前にお聞きできなかったのが誠に残念です。合掌。
 



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