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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 昔と今?年を取ると遊び方がうまくなる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 238  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/05/18  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   大東亜戦争の時、物資がなくなったので、終戦後の私は、うちの「応接間」と称するたった一間の洋室にかけてあった茶色いビロードのカーテンでオーバーを作ってもらった。
 厳密に言うと、カーテンのひだの山になっているところだけ、色が褪(あ)せていたので、オーバーを裁断する時、その褪色(たいしよく)した部分を避けても、まだ色むらがあった。それでもミドルティーンだった私は、そのオーバーを大切にしていた。ビロードというだけでぜいたくなもので、小公女になったような気さえしていたのである。
 それ以後しばらくの間、私は、自分の身の廻りに物をふやし続けた。便利なもの、きれいなもの、ぜいたくなもの、はいくらでもあったし、また発展し続けた日本経済は、さらにいいものを作り続けたので、私はほしいものだらけだった。
 しかし或る時期から、ということは、私が完全に老年にさしかかってから、私は急にものを減らすことに興味を持ち始めた。というと体裁がいいが、私は長いこと仕事ばかりしていて、家事を疎(おろそ)かにしたから、その結果、整理が悪い状態が何年も続いたのであった。
 いらないものは捨て、教会のバザーに出し、ガレージセールとやらをやっている友人の娘に売ってもらって寄付のお金にし、その結果、戸棚の幾つかはがらがらになってきた。ついでに冷蔵庫の中身も徹底して無駄なく食べるようにしたので、突き当たりの壁が見えるくらいになった。私は残りものを利用しておかずを作ることが大好きなのである。
 昔は金持ちはお倉いっぱいにものを持っている人だと思っていた。しかし今では空間があると光がさしているように見えるし、よく風が通って病気にならないような気さえする。自分が充分なだけ使わせてもらえば、それ以上いらないので、その線をはっきりさせて、単純生活をしたいと思う。
 その代わり、私は磨いたり、継いだり、塗り直したり、研(と)いだりすることが大好きになった。銀器はすぐ黒くなるので昔は嫌いだったが、今は仕事の合間に磨きこんで使うのが大変好きになってきた。真鍮(しんちゅう)の花瓶もきらきらに光らせ、陽射(ひざ)しで荒れた窓辺の木部にはワックスを塗り、そういう手入れをしていると、家の中は落ちついて暖かい空気になる。
 長い年月、遺跡を歩いていて、時々小さな石の破片を持って帰ってきていた。もちろん遺跡を壊して採ってきたのではない。ほんとうにいくらでも落ちているものだ。それらの数千年、数百年の歴史の重みを持った破片を生かすために、最近私なりの遺跡盆景を作った。一メートル二十センチ×三十センチ、深さ五センチのお盆の上に、白砂を敷いて、その上に出土品の破片を置いた。古道具屋で目方売りしているローマン・グラスの破片など散らすと、その光はただごとではない。
 年を取ると、遊び方までうまくなる、と一人で思いこんでいるのである。
 



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