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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 男の色香?身に付け方なぜ教えぬ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 37  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/03/31  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   いつもでかけるといえば、生活の厳しい途上国ばかりなのに、ひさしぶりに前半は自分の小説の取材、後半は日本財団の仕事で、イギリス、フランス、オーストリアの三国へ行くことができた。
 すると、どうしても日本の男性と、外国の男性との表現の違いが目につく。
 日本の女流作家の多くは、やはり男性の色香に大変敏感な方が多いのだが、私は長い間強度の近眼だったので、男の器量を見る習慣が全くつかないままに終わってしまった。というか、どの人も美男子だと言うので、友達に定見のない人だと思われていたのである。
 四十代の終りに眼の手術を受けて視力が一人前になってから、私はやっと現実を見て、男にも女にも、色気というものは生涯残っている、いや、残るはずだ、ということを感じるようになった。
 色気というと、日本人の多くは、セックスの話をすることだと思っている。それほど日本人はその点について教養も貧弱なら、教育も悪いのである。色気の基本は、相手に関心がありますよ、という気持ちであり、それを態度で示すことである。現実にはそうでなくても、男も女も、礼儀として、相手に関心がありますよ、と言い続けなければならない。関心ということは、これまたセックスの問題ではない。「あなたとお話をすることは楽しいことです」ということなのである。
 実際には、お話をして楽しい相手ばかりでないことはわかり切っている。しかし少なくともキリスト教の愛は、心からそうでなくても、優しく振る舞うことだと規定しているのだから、少しも構わないのである。
 ところが日本の男性でこれができる人は極めて少ない。お話しておもしろいというのは、自分の考えがあってそれを表現できる人だから、いくら語学ができても中身がなければだめだし、いくら中身があっても、一言も外国語を喋らないのでは、そのよさを表すことができない。
 以前ヴァチカンで会議があってローマにいた時、或る夜、昔ファルネーゼ侯爵のお館だったという或る国の大使館で、招かれて来ていた某国の大使という人と挨拶を交わしたことがある。このお館の見事さもすばらしいものだったが、この大使という人の姿もはっと目立つものだった。背広の衿の微妙な浮き具合に、男の色香を感じさせるような人物だったのである。というより、その人物を魅力あるものにしていたのは、伸び伸びとした表情の背後にある静かな緊張感だったのである。
 外へ出たら、いつも他人を意識して背をぴんと伸ばしていなさい、などと、日本では教えないのだろうか。私自身、昔の近眼の時の癖で始終猫背になるので、人のことを言えた義理ではないが、茶髪とルーズソックスよりもっとお金がかからなくても一級のお洒落の方法のあることを、子供たちに全く教える人がないというのは情ないことである。
 



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