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著者: 林 雄二郎  
記事タイトル: ディベート不在という現実  
コラム名: [特集]日本社会における『個人』   
出版物名: 季刊アステイオン  
出版社名: TBSブリタニカ  
発行日: 1998/07/01  
※この記事は、著者とTBSブリタニカの許諾を得て転載したものです。
TBSブリタニカに無断で複製、翻案、送信、頒布するなどTBSブリタニカの著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年はわれわれがいま考えなければならないことは何かを反省させられる年となった。中でも最も象徴的な出来事は多くの大企業における総会屋事件であった。何故なら、この事件を通じて、日本の社会がいかにディベート(議論)不在の社会であったかということを世界に示した出来事だったからである。そして、このディベート不在という事実の奥に、現代日本における確固たる個の存在の希薄な様子がうかがえる。
 福沢諭吉が「文明論之概略」を通じて「智には私智と公智とがある。ひとりひとりの頭の中の智、すなわち私智については日本は他の文明国に比してひけをとらないが、その私智を社会全体にひろげて社会全体の智、すなわち公智にすることを全く欠いている。日本が文明国になるためには公智を持つようにならなければならない。」と喝破したのは一世紀以上昔のことである。
 公智を共有するための重要な手段のひとつはディベートであり、そのディベートのためには、まず「ひとりひとりの個人が何事についても明確な考えを持ち、それを的確に他人に伝達することが必要である。」として、そのために三田山上に演説館を開設した福沢諭吉の精神はついにその後開花することなく、教育の場でもディベートの重要性は忘れられてきた。そして今日に至っているのが日本である。
 教育の目標として、「個」の形成がいかに重要であるかを、今回のフォーラムの基調講演者であるProf.Ian Nishは一九六三年に発表されたロビンス委員会の報告書によって紹介している。「個」の確立のために、自己表現の能力の開発が、教育においていかに重要かをこの報告は力説している。これにくらべて、戦後の日本は一方においては独創力の涵養を言いながら、依然としてディベート能力の開発を忘れてきた。日本の教育は大きな忘れ物をしているといわねばならない。
 「個」の確立、それは現代のわれわれ自身にとって最も大切なものである筈である。もう一人の基調講演者である河合隼雄教授も「日本の現代人は個人主義を取り入れようとしつつ、このことを不問にしている。」と指摘している。
 そして、また「個」の確立とは、フィランソロピー実践の基本であることも忘れてはならない。フィランソロピーの実践にあたっては、一人ひとりが社会の構成員、すなわち市民としての自覚と責任感をもち、社会に対する己の考えをしっかりと持つことが必要である。ところが、残念なことに、こうした認識が社会の隅々に行きわたっているとは言い難いのが現状である。フィランソロピーを市民活動という人がいる。一方、市民とは何かと首をかしげる人もいる。なるほど、これではディベートの芽が育つ筈がないであろう。
 新しい世紀、二一世紀を目前にひかえて日本に真のフィランソロピーが育ってゆくために、まず、いま努めるべきは真の「個」に開眼することであると信ずるものである。


はやし・ゆうじろう
1916年東京生まれ。東京工業大学電気化学科卒業。経済企画庁経済研究所長、財団法人未来工学研究所長、東京情報大学学長などを経て、1994年より日本財団顧問。著書に『成熟社会・日本の選択』(中央経済社)、共著書に『日本の財団』(中公新書)、訳書に『資本主義の文化的矛盾』(D・ベル著、講談社学術文庫)など。
 



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