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十月二十日の皇后陛下のお誕生日のお茶会は、ごくうちうちのお催しで、多くは、恩師のような方たちでいらしたけれど、そのお席で楊興新(やんしんしん)氏という中国人の胡弓(こきゅう)演奏家の演奏を陪聴(ばいちょう)することができた。 履歴によると楊氏は一九五五年中国遼寧省生まれ、平成元年来日、日本女性と結婚、定住を決意した、という。他に氏がそのお祝いの席で、胡弓を手にしながら語られたところによると、一家は文化大革命の時に父を拘留(こうりゅう)され、厳しい生活を味わった。 胡弓というのは蛇の革で張り、弓には馬の尻尾を使う。すべてその土地の動物の自然な命の分与である。 その夜楊さんは、自分の作曲した二つの曲を紹介した。一つは皇后陛下の御歌集から取った「瀬音」である。「わが君のみ車にそふ秋川の瀬音を清みともなはれゆく」に感動して曲にしたのである。 「皇后陛下の陛下に対するご愛情に感動しました」と楊さんは語った。それが作曲の動機になったようである。興味深いことに、私の聴いた「瀬音」は、しかしすばらしく普遍的な光景を思わせる作品だった。独断的解釈だったらお許し願いたい。それはたとえば、田舎で畑や田圃(たんぼ)を作る夫婦が、仲良く一日の仕事を終えて、村の小川のせせらぎを聴きつつ家路に就く光景を思わせるものだった。天皇・皇后両陛下のお立場を思わせる、何ら特別で高ぶったものもなかった。 「黄砂」という曲は、楊さんの自伝的な中国大陸を語っている。いつも彼の心の中にある祖国の、黄砂の中で人々は生まれ、黄砂の中で笑い泣き、黄砂の中で愛を見つけ、黄砂の中でひそかな生涯を閉じた。どんな地球の最果ての土地でも、一人の命は砂粒のように消えるが、然しその人が存在したという事は大きな事実で私たちはそれを大切なことに思う。黄砂は人を破壊しながら人を育てる。 楊さんの胡弓は、せせらぎの水音を聞かせる。馬を嘶(いなな)かせ走らせ、黄砂を吹き沈黙させる。天皇・皇后両陛下は、あらゆる人生を深く味わうことに心引かれるご性格だから、こういう音楽を、お誕生日のお祝いに集まった人たちにも聞かせたいと望まれたのだろう。そしてこういうことが若い芸術家の励ましにもなれば、と望まれたのだろうと思う。 プログラムには、楊さんの履歴の私的な部分も書いてある。 「妻がくも膜下出血で倒れ不自由な身となり、今もリハビリ中であるが、その妻を含め、障害を持つ方々を励まして社会復帰を援助する意味で、『星の基金』を設立。各コンサート会場に障害者を招くなどして……」 文学にも音楽にも二つのものが不可欠だ。喜びと悲しみ、幸運と挫折である。そのどちらをも持っている人は「祝福された人々」だ。そして私たちのほとんどが、その資格を持つ。幸福だけを喜び、不幸には文句を言うだけの人には、理解できないことだろうけれど。
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