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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 学内の暴力?退職後の警官、自衛官に期待  
コラム名: 自分の顔相手の顔 347  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/06/27  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この頃、現場の先生の話を聞くと、数人の暴力的な生徒に牛耳られて、クラスが成り立たなくなっている状況もある、という。先生がもう事態を収拾できなくなっているのである。何しろ、うっかりすると刺されて命を落とすかもしれない、という空気だからだ。
 この数人の暴力的生徒は、自分が授業をボイコットするだけではない。授業そのものをじゃまして成り立たせないようにするという。
 こういう事態を、「どうにもできない」ということの方が無策だろう。世の中には柔道剣道合わせて八段などという人が警察にも自衛隊にもたくさんいる。こういう中から定年退職後の人たちを数人、問題校に、毎日常駐してもらうのだ。
 こういうとすぐ「武力肯定なんですか」とか、「警察を学校に導入するのかね」とお定まりの反論が始まる。しかし武力だか暴力だかを最初に行使したのは、彼ら生徒の側なのだ。もちろん暴力に暴力をもって応じないやり方はある。しかしその場合は、最初からガンジーのように非暴力を貫き、死ぬ覚悟で対しなければならない。そんなことを先生に期待しても、常識ではむりというものだろう。
 学問の自由を守るために、学内には警察力を入れない、というには条件が要る。そこに暴力がないこと、と自治能力がある、ということだ。自治の能力もなく、暴力を排除もできないところには、本来、警察力を導入しても仕方がないのである。
 しかし物ごとには、穏やかなやり方というものがある。現役の警官を入れるのではない。退職後の元人情警察官、子供好きのおまわりさんという人はいくらでもいるだろう。
 学校に常駐すると言っても、別に、いつも暴力生徒を腕力で取りおさえるだけではないのだ。この頃は女の子でも、柔道を習いたい、という子はいるだろう。いや最近は、セクハラに遭わないためにも、なおさら武力にたけていた方がいい。
 母子家庭で育つ子供には、学校で父性的な話し相手になってもらえる人の存在が増えた方がいいだろう。
 解決の道がないのではないのに、それを妨げているのは、内容も再検討しない「流行の考え方」なのだ。つまり何が何でも「学内に警察は入れない」「武力は否定する」というお題目である。その間に授業ができなくても、子供が死んでも、お題目の方が大切だと考える人たちである。
 教育は人間に対するものだ。そして人間は無限に変わる。その場その場で対処するのも、人間を生かす一つのやり方だ。
 変わらない原則があるとすれば、それは永遠のかなたにある理想の部分である。耐えられる人間になること、充分に言葉の通じる人間になること、すべてにおいて自らを律する人間になること、他人の幸福と不幸を自分のことのように思えること、などだ。それ以前はすべて存在するものを暫定的に教育に動員すればいい。
 



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