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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ある口癖?やさしく意味深い表現だった  
コラム名: 自分の顔相手の顔 422  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/04/04  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   友人のご主人が生きておられるうちに私はお会いしたことがなかった。技術畑から建設会社の社長さんになられた方だという。
 その友達の家に集まると、お仏壇の戸が開いていることが多い。私の勝手な想像だが、どうも私たち「やかましいおばさん」たちが集まって喋るのがよく聞こえるように、という奥さんの配慮のような気がしなくもない。

 亡きご主人は、何か意見を聞かれると「まあまあですな」と答えられるのが口癖だった、と友人たちは言う。そしておしゃべりの間に「お宅のご主人だったら、『まあまあですな』だわよ」と誰かが口真似して笑う。亡き人は今でも妻の友人たちのいささか慎みのない会話をにこにこしながら楽しんで聞いているような感じになる。

 私はこのごろ、この「まあまあですな」という言葉はなかなか意味深い表現だと思うようになった。

 もちろん単に、答えを曖昧(あいまい)にする場合に使われることもあるであろう。しかし世の中には、すばらしくうまく行ったことも、取り返しがつかないほどひどい失敗だったということも、普通にはめったにないのである。静かに観察すれば、うまく行った場合にもいささかの不手際は残っており、失敗した場合でも、必ずその方がよかったという面はあるのだ。

 このごろ、そこの家の息子さんは、お母さんに「どう、おいしい?」と料理の味を聞かれると「まあまあだね」と答えるようになったと言って、友人は笑っていた。しかしこれも、私に言わせるといい言葉である。

 もし息子が、「すごくおいしいよ」と言えば、ほんのわずかだか、むしろ水臭いものを感じる。どんなお料理だって、これが最高ということは、ほんとうはありえないのだ。だから「まあまあ」というランクづけはかなりの褒め言葉だと言ってもいい。

 料理だけでなく、これで最高と思ったら進歩が失われる。反対に「これはひどい失策だ」などとけなされれば、かなりの心の傷を負って元気を失ってしまうだろう。

 「まあまあ」は本質的に優しい言葉だ。労(いたわ)りも励ましもある。妻や母たちは、もう少し具体的で変化に富んだ印象を聞きたがることが多いが……家族の心理に錨(いかり)をつけなければならない立場のお父さんとしては、「まあまあ」という、字面まで錨につけられた鎖に似た返事を選ぶのである。
 



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