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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 『サルボダヤ』?村づくり運動で思い起こした戦後ニッポンの原点  
コラム名: 曽野綾子さんのNGO報告   
出版物名: 女性セブン  
出版社名: 小学館  
発行日: 1998/12/03  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  旧国名を冠したセイロン茶と宝石で有名な、インド洋に浮かぶ島国・スリランカ。日本人にはあまりなじみのないこの国へ渡った作家の曽野綾子さんは、村づくりを行うNGO(非政府組織)『サルボダヤ』の実態を調査。平成不況のまっただ中といえど、富める国・日本はアジアの貧しい国の人々からはどう見えているのか。

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 スリランカ最大の都市、コロンボから視察団のマイクロバスは一路、東へと向かった。椰子やマンゴーの並木が続き、色とりどりの看板が、平和なたたずまいを感じさせる。だが、ものの5分も走ると、様相は一変した。
 迷彩服を着た若い兵士が、ライフル銃を持って検問を行っている。爆弾テロが頻発するこの国の現状を目の当たりにした光景だった。
 マイクロバスの中には、作家・曽野綾子さんが乗り込んでいた。日本財団の会長でもある曽野さんは、財団が援助を行っているこの国の民間援助活動のNGO(非政府組織)『サルボダヤ』の現状を、その目で見たいと訪れたのだ。そして本誌記者も、曽野さんの一行に同行した。
 やがて最初の目的地であるラトゥナブラ地区のボラルゴダ村に着いた。その村にある幼稚園で、子供たちや村人が総出で歓迎会を開いてくれた。木造の集会場(ホール)は、日本財団の援助を元に、『サルボダヤ』が村の人々と一緒に建てたものだった。曽野さんが通訳を介して、日本語で150人ほど集まった村人たちに語りかけた。
「50年前、戦争に負けて、何もなかった日本では、昔から納屋を教室がわりにして勉強しました。そしてたった50年で、豊かな国になったのです。みなさんも、勉強を大切にする気持ちがあると聞きました。だから日本でできたことは、スリランカでもできるんです」
 人口、およそ1830万人のスリランカは、民族的にはシンハラ人・74%、タミル人・18%、ムーア人・8%で成り立っている。ところが、スリランカ独立('48年)以降、政府は“シンハラ人至上主義”を掲げたため、タミル人とのあいだに、民族対立が一気にエスカレートした。
 各地で暴動や虐殺事件が起きているが、こうした政情不安定の中で、“サルボダヤ運動”が産声をあげたのだ。それは'58年、当時、高校教師をしていたアリヤラトネ氏によつて提唱され、同僚の教師や生徒たちによって、徐々に輪を広げていった。曽野さんがいう。
「この運動は村単位で村人とともにその開発を行う、いわば“村をつくる”ものなのです。最初、学生たちが村人たちに奉仕しながら、村落共同体から学ぼうという教育のためだったのですが、それが発展して、道路や幼稚園や貧しい人たちの家の整備、さらに小さな手仕事的な産業の振興、村単位の貯蓄制度の整備などを、住民参加の形で目指すようになった。
 アジアやアフリカでは、これだけの自立の精神をうたったNGOはなかなかないんです」
 日本財団では'90年より『サルボダヤ』に対して援助を開始。'94年からは毎年、約3500万〜5000万円の資金を提供してきた。これは、ラトゥナブラ地区やカルタラ地区といった島の南西にある村々で、主に施設建設費として使われている。『サルボダヤ』によれば、その計図の90%以上を達成したという。

地図で見た日本にいつか行ってみたい
 この日は同じ地区のアンラデニア村などいくつかの村を回った。
 そしてその翌日、隣のカルタラ地区の村・ワウルガレンを訪ねた。
 この村で信じられないことを聞いた。プール付きの家を持つドイツ人の工場経営者が少年たちをレイプしたというのだ。
「少年たちの両親と仲よくなったあと、少年たちを自分の家に呼ぶんだ。それからポルノを見せて少年たちを犯す。
 そんなことが、日常茶飯事で起きているんだよ」拳を固く握りしめた30才ほどの男性は、記者にそう訴えた。
 だが、悲惨な話ばかりではなかった。14才の少女は、学校が終わったあと、塾に通って英語の勉強をしているという。あどけない瞳を輝かせて彼女が英語で話しかけてきた。
「学校で習ったけど、日本はものが豊かでとっても素晴らしい国だそうですね。私、地図で知ってるの。いつか…そう、いつになるかわからないけど、日本へ行ってみたいの」
 そう少女は瞳を輝かせたが「いまの段階では無理でしょうけどね。この村が経済的に豊かになるには、まだまだ時間がかかるのが現実です」(曽野さん)
『サルボダヤ』は貧困層の生活向上と自立の精神を何とか根づかせようと、教育に重点を置き、さらに道路や橋、そして病院をつくってきた。
「やっぱり、大切なのは、子供たちの教育ですね。この運動が教育に力を入れていることが、いちばん評価できること、単に建物を建てるだけではなく、いままで村の中だけで生活し、そのルールの中でのみ生きてきた人たちに知識を与え、そしてそこから判断力を養っていくことが、いまこの国にとって重要なのですから」(曽野さん)

夢にみた新居。あとは井戸とトイレがあれば…
 ブラットシンハラという村はとにかく貧しかった。急勾配の山道を上り、さらに林の中をはいっていくと、1軒の家があった。土壁の小屋のような家は、6畳ほどの広さ。『サルボダヤ』の援助で建てられたものだが、「費用は7万5000ルピー(約15万円)。
 わずか半日でできあがりました」(サルボダヤ職員)
 この粗末な家に両親と3人の子供が住んでいた。だが彼らにとっては、夢に見た新居なのだ。
「今年のいちばんうれしいできごとは、とにかく家を持てたことだ。あとば井戸とトイレがあればいうことないよ」
 そう話す42才の父親は、岩石を細かく砕く仕事。1日、150ルピー(約300円)のお金をもらえるそうだが、ほとんど仕事がない。それにもかかわらずこの5人家族の表情は明るく、9才の長女が見せた屈託のない笑顔が、救いのような気がした。
 村のはずれでは道づくりのまっ最中だった。『サルボダヤ』の呼びかけで、村人たちが鍬を片手に、100メートルほどの道をしきりにならしている。だが、どうやらこれはパフォーマンスだったらしい。視察団が通り過ぎると、作業はストップしてしまった。
「パフォーマンスでもいいんです。私たちに見せるということは、道路をつくることがいいことであるという価値観が徐々に生まれてきているということですから。世界には自分たちの力で道をつくるという考えすら持っていない国も多いんですよ」(曽野さん)
 だが貧困にあえぐスリランカの農村の開発を支援する『サルボダヤ』には、よくない噂もある。コロンボに住む上流階級の紳士がこういった。
「確かに『サルボダヤ』がやっていることは成果をあげているよ。けれど海外からの援助が増えるにつれ、それまでの純粋なボランティア精神が失われ、金持ちの団体になってしまった。指導者のアリヤラトネ氏は、なんたって750万ルピー(約1500万円)もする車に乗っているんだからね」
 こうした風潮に呼応して、カナダやヨーロッパの団体の中には援助を中止したところもある。しかし曽野さんはそれを踏まえた上でこういう。
「『サルボダヤ』の支援から手を引いた団体は、西欧的な民主主義的な開発を期待しすぎて裏切られたと思ったからだという人もいるんです。
 でもスリランカは昔からいままで民主主義ではなく、いまだに族長支配の国です。だからいたずらに民主主義を押しつけるのは間違いじゃないでしょうか。この運動がベストの方法ではないでしょう。
 しかし、いまの状況でこれよりもいいものは見あたらない。ですからしばらくは援助をつづけ、スリランカが変わっていくのを見守りたいんですよ」
 オレンジ色の大地に緑の樹木が美しいコントラストを見せるスリランカ。マイクロバスは走る……。曽野さんはこう語る。
「ひとつの国を理解するのはとっても難しい。でも人間は、自分が見ることのできない未来のためにも種をまかなくちゃいけないと思うんです」
 



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