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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: ノルウェー 北極捕鯨の島々で(中) タラ・クジラそしてワイン  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/01/新年特大号  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  フィヨルドの「親不知」
「Å」というところに案内された。変てこな地名だが、記号ではなくれっきとした地名だ。七つあるロフォーテン諸島の一番南の島の先端に位置する昔ながらの漁港である。アルファベットのAの上に小さな○印をつけると日本語の「ア」と「エ」の中間のようなノルウェー語の母音となる。千年も前、この国の話し言葉にローマ字を導入し、文字化したとき作られたアルファベットで、一字で川という意味だそうだ。「日本流にいえば、川村だ」、一人でそう合点した。
 北極捕鯨のこの島には総人口二万五千人、世界一の漁場をひかえているだけに、思ったよりも定住人口は多い。昔は、フィヨルドの入江伝いに舟で往来していたが、今ではフィヨルドの岩を切り開いて海岸の絶壁を海すれすれに道路が走っている。隣の島に渡るには橋もある。だが新潟の青海町にある北陸道の険路「親不知」(おやしらず)を頭に描けばわかることだが、冬の嵐の日はほとんど通行不可能である。波が高くて危険なので、海底トンネルで、主な島々がつながれている。
 空港のあるレクネスから、車で二時間、トンネルを二つほどくぐって、「Å」に出かけたのである。この朝、案内役のルネ・フロヴィック(北極同盟事務局長)が、「今晩は、クジラの刺身とワインでパーティーをやろう。世界で、クジラを食べる国民は、少数民族をのぞけば、ノルウェーと日本人だけだからね。捕鯨のすべてを語り合おう」と言った。「だが、その前にぜひ見てもらいたい場所がある」。そして、連れてこられたのが、「Å」である。「Å」は、鯨ではなく鱈(タラ)漁の基地であった。
「ロフォーテンは夏は鯨だが、秋は鯖(サバ)とニシン、冬はタラだし。ルネがそう言う。島々のタラ漁は、クジラよりもはるかに歴史が古い。石器時代にすでに、石の錘りと、動物のツノや骨の釣り針で、タラを釣った形跡があるというのだ。
「クジラは洞窟の壁画には描かれているが、まだ人間の手に負える存在ではなかった」。これもルネの解説である。
 ロフォーテンとノルウェー本土の狭間にあるヴェストフィヨルドには、メキシコ湾暖流がはるばるやって来る。だから冬場でも、海水温は四〜六度で、氷は張らない。しかも海底を暖流が攪拌し、プランクトンが海面近くまで舞い上がり、イワシ、甘エビなどの小魚がエサを求めて集結する。これをめがけて、産卵前の北極海のタラが大挙して、さして広くもないフィヨルドにやってくるのだという。
 タラの漁則は十二月から四月まで。私が訪れたのは、オフシーズンであり漁業博物館に案内された。
 博物館といっても、十九世紀の漁村の建物群を、そっくり生かして設計されており、伝統的タラ漁が臨場感を件って迫ってくる。この地のタラ漁は古来から「SQUIRE」(日本流にいえば網元)が仕切っていた。
 日本と同じ制度である。なぜ、地球の両端に位置する二つの国が、相互に交流はなかったはずなのに、網元制度とか、クジラを食うとか、漁をめぐる文化が酷似していたのか??。
 学識豊かなルネにそう言ったら「そういう話は文化人類学者にまかせろよ」と苦笑した。ルネの友人の博物館長の話が面白かった。タラ漁船は帆が一本で小さい。網で捕獲する。冬の天候はおおむね悪い。もちろん昼間も太陽は出ない。
 海も空も船も人間もすべて灰色の世界のタラ漁である。もしシーズンにこの地を訪問したら船ごとに割当てられた狭い漁区の中で、ひしめき合う漁船の風景が水墨画となって、眼前に迫ってくることだろう。
 
「メキシコ湾流の贈りもの」
 タラ漁の海域は細長い。南北は約二百キロあるのだが東西の幅は、本土と島々にはさまれたメキシコ暖流の通路で、狭い。最長でも軽飛行機で二十分の距離だ。だが、ここは世界最大のタラ漁場である。「ここのタラは大型だ。年齢七、八歳で産卵にやってくる。平均で五キロの体重がある。メスは二百五十万粒の魚卵(タラ子)をもっているが、このうち稚魚になるまで成長するのは二十粒くらいかな?」。博物館長の話だ。
 ロフォーテンのタラの漁獲量は多い年で一シーズン、なんと三千五百万尾だったという。狭い海域に、タラがひしめき合っていたのだろう。
「でも最近は漁獲華は減っている。タラだけでなく、サバ、ニシン、サケもね。クジラが異常に繁殖して、サカナを食ってしまうのだ。IWC(国際捕鯨委員会)が捕鯨禁止してからね」とルネ。海の幸の生態系のバランスが“クジラ様”の過保護の結果、崩れつつあるというのだ。
 さてクジラの話である。私のこの島訪問の主題は、クジラである。ルネと村のスーパーマーケットに寄った。醤油とワサビの粉末が目当てだった。「クジラの刺身を食わせる」という触れ込みだったからだ。醤油の小ビンはあったが、粉末ワサビはない。その代わりヒネショウガを三つ買う。締めて日本円で七百円。物価の高いノルウェーにしてはまあまあの値段だが、棚に並ぶタバコ一箱がどれも千円と聞いてびっくりであった。
 ディナーパーティーの会場は、私の宿泊先に指定された「漁師小屋」という名のホテルだ。「Å」で見たのと同じ様式だ。
 十九世紀の木造の漁村の建物をそっくり利用してホテルに転用したもので、もと網元の大きな家が、ホテルのフロントとレストランになっている。客室は離れ家式というと聞こえはよいが、出稼ぎ漁民を収容した「漁師小屋」であった。
 クジラの刺身を前菜に、クジラ問答が始まる。発言者はルネそして、二組の鯨船のオーナー夫妻と私である。
「日本人は生でクジラを食うが、正直いうと私らは苦手だ。オスロには、日本のスシ屋があると聞くが、ロフォーテンにはない。わしらは、わしらの伝統的なやり方で、クジラを食べる」と捕鯨船のオーナーが言う。ノルウェーの漁協幹部は結構英語を話す。英語でそう言ったのである。
 彼らは、通常クジラの赤肉をステーキで食べる。欧州では寿司はコスモポリタンの住む大都会のもので、漁民の食文化はどこの国でも伝統遵守で保守的であるらしい。「でも私らバイキングは、客人を厚く遇する文化を受け継いでいる」とのことで、ステーキ肉をナイフで刻み、チーズの下ろし金で、ヒネショウガをすってくれたのである。
 
クジラのベーコンの行方?
 この夜のクジラ談議は深夜まで続いた。グリーンピースの捕鯨妨害は戦闘精神をもってはねのけることは可能であること。最大の悩みはクジラの収入減ではなく、タラ、サバ、シシャモなどの漁業資源が、増え放題のクジラのエサになり、ノルウェーの漁業そのものが、危機に頻すること。ロフォーテンのクジラ漁民は、カナダやグリーンランドの少数民族の捕鯨数確保のためにも闘っていること。資源の状況から判断するとクジラは現在の商業捕鯨の割当量の十倍を捕ってもおかしくないこと。今月の状況が十年続くとノルウェーの漁業立国は不可能になることなどなど……。彼らは雄弁であった。
 三本目の赤ワインが空になった。ノルウェー産だという。これが飛び切り高価だ。ノルウェー人のワイン好きはある種、南へのあこがれなのかも知れない。「ノルウェーにはブドウ畑はあるのか」と聞いたら、船主夫人がむきになって「南ノルウェーにある。ワイナリーもある」。生産高は? と聞くと「せいぜい一年に数千本かな」と恥じらうように下を向いた。座がしらけた。あわてて、クジラに話を戻す。
 ノルウェーの捕鯨船主はクジラの収入の半分をとり、あとは五人の乗組員で分ける仕組みになっている。ミンククジラの体重は八トン。骨と内臓は海に棄てる。残りは〇・六トンの脂身と一・四トンの赤身である。赤身は一キロ日本円に換算して千円で卸すが、オスロの肉屋ではステーキ肉として千八百円で売られるという。ブタ肉の約三倍、牛のヒレ肉よりほんの少し安いそうだ。
 捕鯨船主が言う。「いまの商業捕鯨の割当量で、ノルウェーのステーキ用クジラの需要は満たされていない。もっと捕れれば価格が下がるので、需要は飛躍的に増える。昔はクジラ肉は安く、庶民の食べ物だった」と。「日本ではクジラのべーコンが一キロ三千クローネ(四万円)もするそうだね。だから脂身の対日輸出を解禁するようノルウェー政府に圧力をかけている」とも言う。
 もしそれが実現したら、ロフォーテンの捕鯨の採算は飛躍的に改善するに違いない。だがEU加盟を目指すノルウェー政府は、国際圧力を恐れて輸出解禁をためらっている。
「脂身は大部分は棄てていた。でも最近、一キロ三クローネ(四十円)で引きとり、大型冷蔵庫に保存する業者があらわれた」という。ロフォーテンの脂身の在庫は五百トン。
 アングロ・アメリカンを中核とする捕鯨弾圧の国際政治を向こうにまわし、この業者は一世一代の大バクチに打って出たのである。
 



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