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最近ブラジルから帰って来た日系の人と車の中で話をした。 「ブラジルでは、お金持ちはどんな車が好きなんですか?」 私は通俗的なことを聞いた。昔ブラジルの日系成功者は「メリケン」の車が好きだった時代がある。メリケンというのはアメリカンのことで、リンカーンとかキャデラックとかに乗ることがお金持ちの証拠だったのである。 相手は私の質問に、一応礼儀正しく、 「そうですねえ、メルセデスとか…」 と答えた。メルセデスというのはベンツのことである。しかしその人は、そう言ってからつけ加えた。 「でも、最近のお金持ちはそんな車には乗らないですよ。金があるとみられたら狙われるでしょう。交差点で止まっていると撃たれますからね。だから最近ではお金持ちは、小さな車を何台も持っててね、その人の車だとわからないように乗り換えたりしてますよ」 じゃ、せっかくお金持ちになっても、お金持ちらしくぜいたくに暮らせないのだろうか、と私は混乱した。すると、そんな私の気持ちも知らずにその人はつけ加えた。 「日本はその点楽ですね。社会が穏やかだしね。国家や警察が守ってくれるから、日本人はみな子供ですよ。自分で自分の身を守るということをしないから」 その人は、ブラジルにいる時は、やはり護身用のピストルを持っていたという。 噂だけかもしれないが、日本から帰って来た人がブラジルの空港に着くと、あの人はお金をためて帰って来たとわかるので狙われやすい。だから親戚一同で守るか、すぐホテルに入って帰国者とわからないようにするのだそうだ。 お金持ちが狙われる社会になったら、誰も金持ちになりたがらないのではないか、と私など思いそうになるのだが、ブラジルには日本にはいないような桁外れのお金持ちがたくさんいるらしいし、またお金持ちになるべく、今なお勇ましく奮闘している人も多いらしい。 それはそうだろう。東京都は気の遠くなりそうな累積赤字を抱えているというのに、それでもまだ都知事になりたがる不思議な男性たちがこんなにもいるのだから、全く同じことだ。借金というものは、自分のことだと首を括(くく)りたくなるほど辛いけれど、公共の借金は全く平気だから、都知事を引き受ける気になるのだろう。 お金持ちの車が交差点で狙撃される社会は、客観的に見ても確かにいいものではない。しかしそれにはそれでまたいいこともある。人間が大人になるということだ。自分で武器を取って、無法者には立ち向かう、というやむを得ざる人生を容認することである。 社会と国家に子供みたいに守られていながら日本の悪口を言い、しかし日本からは決して出て行かないで、日本で稼いでいる人たちは昔からたくさんいた。皆子供だったのだ。
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