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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 天皇誕生日?お祝いの席で心打たれたこと  
コラム名: 自分の顔相手の顔 107  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/01/05  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   天皇陛下は六十四歳になられた。質実で自制心に富み、よく学ばれ、周囲に思いやりの心をかけられる。皇室ご一家の伝統であろう。庶民的な言葉で申しあげる他はないのだが、皇后さまは深く陛下を愛し続けておられる、と思うことがある。それが何よりご夫妻の魅力である。
 天皇陛下のお誕生日のお祝いの席にお招かれして、ひどく心を打たれたことがある。
 それは皇室が、客をおよびになるのに、見栄えの豪華さではなく、心をこめるという部分を細部まで示されていることである。
 お祝いの席には、お膳の上にタイの塩焼き、紅白の蒲鉾、鶴亀のお羊羹などを載せた大きなお皿と、お刺身、茶碗蒸し、炊き込みご飯などが並んでいた。この御馳走の献立そのものは、伝統的な日本の形式で、昔の庶民の披露宴にはすべてこのような折詰が出されるものである。今はこれが贅沢になって却ってできなくなったのである。
 しかし皇室の御馳走の特徴はすべて、たっぷりとして大きいことである。蒲鉾も普通のサイズの倍以上ある。お刺身も、巷間の料亭がもったいぶって出すような二切れ三切れずつではない。むしろ小さな器に、洩れこぼれそうなほどたくさん盛ってある。しかも歯の悪い人でも食べられるように、イカにはすばらしく細かい包丁目を入れ、微かに灸ってある。お茶碗蒸しもたっぷりとふくよかで、これ一つでお腹がいっぱいになり体が温まる。
 人々が炊き込みご飯に手をつける頃、給仕の人たちが、再びお代わりのご飯を別のお茶碗に入れて持って現れた。私など場馴れていないので、「もう充分です」などとご辞退しようとしたら、さっとおいて行かれてしまった。すべてたっぷりと食べて頂くということが、皇室のおもてなしの原則になっているようである。これも昔の日本の美徳であった。
 私の席の周囲には、かつてポツダム少尉だの二等兵だったのという人たちがいて、秘かに観察するところ、その世代の人々はしっかりと二膳目を食べる。その姿がなかなかいい。男は黙って二膳食う、という健やかな感じだ。今どきの若者なら一膳も食べないだろう。
 頂く暇がなかったタイや羊羹などは、両陛下がお立ちになった後、配られる箱に頂いて帰ることになる。私は手をつけられなかった二はい目のご飯も、折りの中にきれいに詰めて帰ることにした。
 近くの男性が、「そうだ、ここは料理屋じゃないんだから、入れてくれないんだ」と言うので皆笑う。大体粛々と無言でご飯を頂くのではなく、適当な談笑の声はずっと続いている宴であった。この男性はいい奥さんに仕えられて、自分で折詰など作るのは今回が初めてらしい。それでも小学生のように指を使ってなかなかお上手に入れた。もう一人の男性は、料理屋でなくてもちゃんと給仕人に手際よく入れてもらった。昔のおもてなしには、こういう自然な暖かさがあったのである。
 



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