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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 厳密な人?いつも手抜きなしでいけるか…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 115  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/02/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、東京へ単身赴任している一人の男性がおもしろいことを言っていた。
 その人はお雑煮が好きで、正月でなくてもよく自分一人でお雑煮を作る。なかなか本格的なのだ。奥さんから教えられた通りに、こんぶと鰹節で出汁を取るのだが、出来上がった味はイマイチである。つまりどうしても妻の味にはならない。
 思い余って郷里の奥さんに電話をかけた。どうしたらあの味が出るのだろう、という質問である。すると奥さんはクスリと笑って、「粉の出汁の元を何でもいいからちょっと入れてごらんなさいよ」と言った。言われた通りにやったら、すばらしく美味しくなった、と言うのである。
 私も手抜き料理の大家?なので、こういう話が大好きである。私もこんぶや煮干しをよく使う。しかし出汁の元の粉も狡く使う。しかし出汁の元だけでやるよりずっと量は少ないはずである。
 私の知人には、こういうインスタント的料理を一切許さない夫がいる。その厳密さは尊敬するが、私たちの生活は、いつも手抜きをしないで生きられるわけでもない。
 私は中年を過ぎる頃から野菜作りを始めたのだが、有機農法、無農薬、とまあ論争の賑やかな時代であった。私は殺虫剤も少し使う。私の体験では、農薬なしに作れる野菜もあれば、なしには済まないものもある。ソラマメなんか、何も使わなければ、茎がアブラムシで太って見えるほどになるし、バラは農薬漬けにしなければいい花が咲かなかったので栽培を止めてしまった。しかし春菊、レタス、ホウレンソウ、フキ、ミョウガ、玉葱、水菜、里芋などは健康優良児で、農薬は何一つ使わなくても伸び伸びと育つ。
 肥料はほとんどが家庭の生塵と牛糞と腐葉土だが、その上に、ちょろっと硫安もばら播いて置くとまことに具合がいいこともわかった。私はどうも厳密、純粋ということが苦手で、いい加減と不純の方が好きなのである。一粒たりとも無機肥料は許さない、殺虫剤も認めない、ということになると、作物は、私たちが要求する程度の値段ではとうてい供給されない。毒も、量が少なければ大丈夫、と私は考えたのである。
 それよりもっと私が困ると思うのは、厳密すぎる精神、頑なな心、悪と自分とは関係ないとする自信である。
 私は適当に少し悪いこともやる人が好きだ。悪いことの量は少ない方がいいに決まっているが、少し悪いことをしたという自覚のある人の方が、自然で、温かくて、人間的にふくよかなような気がする。私は決して悪いことはしません、と宣言できるような厳密な人はおっかなくて、どういう態度で接したらいいのか見当がつかない。
 こんぶと鰹節で出汁を取った上で、ちょっとコナを使う。いい味だなあ、あの人はいい奥さんをもらったのだなあ、と思うのである。
 



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