共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ベラルーシの子供たち  
コラム名: ずいひつ   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/07/13  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  今年一月の下旬、私は日本財団に勤め出してから、初めてチェルノブイリを訪問することができた。一九八六年四月二十六日に事故を起こした時、チェルノブイリは旧ソ連領であった。現場は今はウクライナの最北部に在る、という。そしてその後の放射能による異変は、今回私たちが調査に入ったベラルーシに一番濃く残っているという複雑さであった。
 日本財団は笹川記念保健協力財団に依頼して、九一年から五年間、まず事故当時0歳から十歳までの児童十六万人への検診を行った。その後も現地の要望で、事故当時小児、事故当時胎児、事故後誕生した子供たち一万一千人に対する検診も続けることになった。
 チェルノブイリの事故は、その被災者の不安をよそに、政治的な観点から論じられて、被害を受けた当事者たちはなおざりにされている感がある。日本財団も、そしてもちろん私個人も、原発の将来に口を差し挟む力などないし、またその任でもない。しかしすべてのことはまず冷静なデータを用意した上で、総合的に判断するのが手順であろう。
 日本財団が拠出したお金は、九〇年四月から九九年までに三十五億円余であった。そして私は財団の任務として、お金を出した相手先に対しては、第三者に依頼するだけでなく財団の当事者が自分で調査に当たることを原則にしていたから、私は早くからベラルーシへ行くことを念願にしていたのである。
 現場の診断は長崎大学医学部の山下俊一教授を中心とするグループが引き受けてくださったが、これで被曝後の医療については世界の最先端の知識と技術が導入されたのである。
 私たちがベラルーシのゴメリ地区に入ったのは、この地区の子供たちだけ甲状腺癌の発生率が高いからである。日本などでは百万人に一人という病気が、ここでは百倍の発生率になっている。しかし日本人が考えるように、こうした地区に行けば、原発事故で亡くなった子供の墓が幾つもたち並んでいるというわけではない。早く発見され手術を受けて、これで再発が防げれば明るい未来がある、ということだが、ただ何回も手術を受けることになったり、いつも危険に脅えているというだけで、親たちの不安は大きいだろう。しかし子供たちの中には、日本に手術を受けに行って日本人に親切にしてもらい、すっかり日本が好きになって帰って来たという少女もいた。事故の不幸の中の思いもかけない贈り物である。
 今回ベラルーシに滞在中に、現地と長崎医大との間で、衛星回線を使って患者の症状を画像で送れるシステムが始まった。これは画期的な試みで、これによって疑わしい患者は現地にいるまま長崎医大のドクターの診断が即刻受けられるようになったのである。お金のある患者だけが恩恵を受けるのではない。雪に閉ざされた僻村の患者でも、世界的なレベルの診断を受けることが可能になったのである。
 ミンスク郊外の小学校ではその日、集団検診で二人の疑わしい患者を見つけたと言った。山下先生が記録されている画像を出させてみると、確かに異常は異常だが、一人は膿疱だという。いずれも癌ではないのだが、とにかく異常を見つけてくれれば、こうしてすぐさま正しい診断ができて患者も喜ぶのである。
 私は教育と医療の援助ほどいいと思うものはない。教育は人々に自分で運命を選ぶ力を持たせ、医療はいかなる政治形態下にあっても必要なものだ。日本財団の仕事はこの二つの基本を土台に続けられている。

 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation