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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お歳暮?小さな配慮で便利に生きる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 199  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/12/21  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   暮になると、たいていのうちでお歳暮を頂く。今年は不景気で簡素化されたというが、それでも町を歩いていると、配達の車が忙しそうで気の毒になる。
 お礼状を出そうとして、いつもちょっとやっかいなのは、送状にはなぜか郵便番号がないことである。宅配便の会社のほとんどが、郵政省にアクイを持っていて、わざと郵便番号を書かないようにさせているのではないだろうか、などとバカなことを考えるのも、私のような暇な人間の暮の過ごし方としてはいいのだが、私はもともと郵政省にかなり協力して来たのである。
 最近はEメールなどというものもできたらしいが、私はやはり封書や葉書で手紙を書くから、これがいちいち人手で仕分けできる量ではないことを知っている。とすれば機械に読み取らせる郵便番号を書く他はない。一人一人が僅かな努力で協力すれば配達の機能も円滑に進むと思うから、どんなにめんどうくさくても郵便番号は書き入れて来た。
 しかしお歳暮の配達伝票にはほとんど郵便番号を書き込む欄がない。これはお歳暮をもらった人がたいてい礼状を出さないということなのだろうか。そうとも思えないから、この処置は宅配便の会社が全くこの点で人のことを思いやっていない、ということだろう。
 電報もそうだ。刺繍(ししゅう)つき、花の香つき、塗(ぬり)のお盆のようになっているものなど、贅沢(ぜいたく)なお祝い電報はいくらでもあるが、頂いた電報に住所が記されているのはほとんどない。
 私は勤め先でも私用でも、お祝い電報は必ず無地で(ということは値段も安く)、ちゃんと差し出し人の住所氏名がついて行く形式のものしか使わない。お礼の返事を出させられる先方の秘書課とか、相手とかが、わざわざ住所録を捜し出して宛名を書く手数を思うと、他の形式のものは使えないのである。こういう合理化について、世間はなぜかあまり機敏に反応しない。
 これからは老人の一人暮しも増える。今までのようにおせんべいの封も、ジャムの壜(びん)も、コンビーフの罐(かん)の口も、頑丈(がんじょう)一点張りで、硬くてなかなか開かないとなると、一人ではどうにもならずに、食べないでおいておく老人も増えそうだ。身辺に鋏(はさみ)や罐開けの道具などを置けばいいのだが、そういう配慮もできなくなり、指先も効かなくなるのが、老齢というものなのである。
 老人用の開けやすい封や罐や壜の開発も必要になって来る。自分の体が効くからと言って、相手のことを考えないやり方は、日本人の美徳ではなかった。私の母たちの世代は常に、「あちらさまのことを考えてしなくちゃいけないよ」と子供にもしつけたものだった。
 小さな配慮で、暮しは簡単に便利になる。電報と宅配便の書式の改変くらい簡単なものだろうが、いつになっても改善される気配はない。
 



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