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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 以外と知られていない日本財団の活動  
コラム名: interview 日本財団・笹川陽平理事長に聞く   
出版物名: えなじー  
出版社名:  
発行日: 2000/10  
※この記事は、著者の許諾を得て転載したものです。
無断で複製、翻案、送信、頒布するなどの著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本財団(曽野綾子会長・笹川陽平理事長・東京千代田区虎ノ門)の活動について多くの人は、競艇からの収益金を受けている団体としか思っていないのが現状といえよう。そして、競艇という博打性の富んだものからの収益を利用していることから、日本財団の活動そのものを知ろうとしないのが偽らざるところと言えはしないだろうか。日本には昔から「食わず嫌い」という格言があることはだれでも知っている。まさに日本財団の活動についてもそうした一面が有りはしないか。もう一度同財団の活動を知ってみる必要がありそうだ。
 
 同財団の十二年度の事業計画を見てみると、事業は海洋船舶関係事業、公益福祉関係事業、海外協力援助事業、ボランティア支援事業と日本財団業務(広報、調査研究、特別協賛、貸付事業)の五つの柱で構成されている。年間の事業費は収入がモーターボート競走法により、競艇の主催者である地方自治体から交付される交付金で賄われ、平成十二年度はおよそ五百億円となっている。これに対して支出は、海洋船舶事業に三五%に当たる百六十五億円、公益・福祉事業に三五%に当たる約百六十五億円、海外協力事業に一五%に当たる七十億円、ボランティア支援事業に約三%の十六億円が当てられている。
 同財団にとって一番の柱であるべきところの海洋船舶事業と公益福祉事業がほぼ肩を並べているところに、同財団が公益福祉関係にいかに力を入れているか分かるところである。特に、海外協力事業、ボランティア支援事業を一種の公益福祉事業と位置付けしたら、収入の五〇%を公益福祉関係に投入していることとなり、それらの事業は極めて有益な仕事と位置付けることができるのではなかろうか。
 同財団は昭和三十七年から活動を始めているが、長野県関係への配分をみてみると、平成十一年度までの累系で、体育関係が十一億七千三百二十三万円余、文教関係が一億七千六百四十万円、社会福祉関係が七十三億六千七百九十五円余となっている。この社会福祉関係では、多くの特別養護老人ホームを始め、身体障害者授産施設、保育所建設などその数を上げれば長野県内だけでも枚挙の暇が無いほどである。このうちもっとも目新らしく、そして同財団が力を入れてきたのが、北佐久郡御牧村に設けられた「ケアポートみまき」である。平成五年度から七カ年事業で、合計十九億円の支援を行なってきた。このケアポートみまきは、高齢者の尊厳を大切にする施設で、全員が個室で生活をおくるほか、保健、医療、福祉を一体化。さらに、入居しても在宅の延長として自立した生活が営めるのが特徴だ。
 こうした活動を続ける日本財団・笹川理事長に直接話を伺った。
(聞き手・岩倉幸夫)
 
??財団の存在意義について
笹川 日本人は官尊民卑の傾向がありますね。だからこれまで、税金を納めていれば全てあとは国がやってくれという思いを持ってきた。老後についてもそれを信じ、安心できるものと思っていた。ところが現状はこれまで思ってきた様相とはだいぶ違っている。そこで、国民の中に行政、国に対する不信感も芽生えて来たというのが現状ですね。本来は、国民は自助努力で生きて行かねばならないものなのです。ところが国民は全てを国や自治体がやってくれるものと思っていた。ここに国、自治一体と国民あいだに大きな認識のズレが生じているのですね。民間の財団は、そのズレを少なくするための御手伝いをするものです。市民社会を充実させていかねばならないという現状の中でお手伝いをするものですから、その財団の存在意義は極めて大きいと思いますね。特に国が破産状態になるなど危機的な状態の中、国内の福祉分野を一層充実させていくために財団の存在は益々重要なものとなっていくのではないでしょうか。
 
??福祉面の支援活動についての現状は
笹川 特養老、ケアハウス、デイケアサービス施設などについて、これまで全国で六百四十五件、約一千億円の支援をしてきています。しかし私は最近こう思っています。ただ単に特養老施設をつくるのはいかがかと思うのです。私は老人ホームはどうあるべきか考えています。現在の特養老を見ると老人の尊厳など何もないように見えてしかたがありません。言葉は悪いが、寝たきり老人の大量生産をしているようにしか見えないのです。老人ホームの建設については国も自治体も積極的になってきました。また、私としても前段で述べた通り、若干の疑問を持っているので特養老については順次手を引きたいと思っています。
  
??全面的に老人福祉の面から手を引くということですか
笹川 そう言うことではありません。現在長野県御牧村でケアポートというのがあります。そこは入所者に個室が配分されています。つまり老人の人格が極めて大切にされているわけです。寝かせきり老人の考え方から脱却しているわけです。私としては将来の老人ホームはかくあるべきだと思います。そうしたものには積極的な支援は惜しみません。施設に親を任せるだけではなく、その子供も、施設を取り巻く人々も、施設とともに歩むという考えが欲しいですね。もっと言えば、老人ホームが街の中心にならねばという考えです。ところが現在の老人ホームはどちらかといえばうば捨山。まるっきり親不孝者を大量生産するのを手伝っているようなものではないですか。
 
??移送サービス車、移動入浴車の普及に力を入れているようですが
笹川 私は基本的におとしよりは自宅で面倒を見るのが本当の姿だと思っています。四十年前、米国から帰国途中の飛行機の中で、世界の福祉事情を研究している女性と隣り合せました。その女性が『日本の老人は幸せだ。何故なら日本の老人は家族と一緒に住んでいる。だが欧米の老人は老人ホームに入所、日中は公園などでぼんやりしていることが多い』と話していた。私にはこのことが常々頭にありました。財団としては、老人ホームの必要性からこれまでこうした施設の支援に力を入れてきました。しかし、現状を見る限り、全てとは決して言いませんが、親不孝者のための施設を作った気がしないでもありません。だから今後は、在宅で介護に汗を流す人たちのための支援を考え、移動入浴車や車いす対応型移送車の配備に力を入れることにし、移動入浴車の一千台配備を目標に現在事業を進め、昨年から始めたがすでに四百台が動いています。長野県内にも十台動いています。また移送車についても全国で七百十七台支援し、長野県内には二十台寄贈しました。また自宅での食事サービスも考えていきたいですね。いずれにしてもボランティアの手が必要になるので、そちらの育成にも力を入れていきたいですね。また、健やかに年を重ねることが重要だと考え、老人の間で人気のあるスポーツ・ゲートボールの普及に努め、天候に左右されることのない屋内ゲートボール場の建設にも力を入れてきました。健康な方が老いた方を助けるという共同社会作りにも貢献できると思っています。
 
??日本財団では『死』ということについても真剣に考えようということでセミナーを開いているようですね
笹川 はい『死』というものは誰にでも必ず訪れるものですから正面から考えてみようということでやっています。十月十七日には静岡県の浜名湖競艇場サンホールで「メメント・モリ」と題してセミナーを開きます。つまり人間必ず死ぬのですから悔いのないように死にたい。したがって生きているときには全力を尽くして生きましょうということです。そして見送る人は全力で残りの人生を手助けして上げようではないかということです。私の場合、母親の死と向き合った時、つまり膵臓がんが分かり、手術すれば一〇%の生存の可能性があるが、悪くいけば三か月と言われた。但し手術をしなければ一年大丈夫と言われた。その時私は手術をしない方を選び、全力で尽くす決意をしました。その結果、自分でも納得できる親孝行が出来たと自負しています。だから葬儀の時に涙が出ず、周囲から『冷たい奴』とも言われましたが私には尽くせるだけ尽くして見送ったという安堵感と満足感がありました。もちろん寂しさはありましたよ。つまり『死』は、寂しい、悲しいだけでなく、何時かは必ず訪れるもの。だから悔いのないような人生にしましょうということです。前段の話しに戻ることにもなりますが、人間誰でも年をとり老いるのですから、老人は尊厳の対象としなければならないのです。軽視されるような社会にしてはいけない。これまで日本は経済一本の国であった。これからは、経済ももちろん大切だが、心の豊かさもを求めていかねばならないのではないでしょうか。そのためには老人を軽視する社会に絶対してはならないと思いますね。
 
??海外への支援も積極的にやっているようですが
笹川 はい、やっています。財団は政治、思想「宗教などの壁を乗り越えて支援の輪を海外へ広げております。冷戦構造下の時代でもこの方針を捨てずに行なってきました。その背景には、財団発足当初から、地球上から差別の象徴的病であるらい(ハンセン病)を撲滅しようという目的がありました。この病気は、治る病気であり日本ではほとんど撲滅されました。しかし病気は治りましたが障害の残った人たちが現在日本で、約七千人生活しています。私としてはらい(ハンセン病)は一つの皮膚病であって絶対に差別をしてはいけない病気だと考えています。何とかして二千五年までにこの病気を世界から制圧するために世界中を飛び回っています。だから私はこの支援事業に、より一層真剣にかつ積極的に取り組んでいきたいと考えています。
 
??ボランティア支援活動についても前向きに取り組んでいらっしゃる
笹川 阪神淡路大震災の時、数万人の若者が自主的にボランティアとして現地に駆けつけた。つまり日本人の心の中には、教育がどうのこうのいわれるが、困っている人を助けようという気持ちがあることがはっきり分かった。だからそうしたボランティア活動を側面から支援するためにも重要な仕事だと位置付けていきたい。
 
??本日はどうも長い時間ありがとうございました。
 



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