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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 尊厳?不思議な職業「ホームレス」  
コラム名: 自分の顔相手の顔 269  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/09/07  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   八月二十七日付けの朝日新聞の記事(編集部注=同日付朝刊。東京本社発行版)によると、川崎市はホームレスの人たちに「パン券」を配る人数が増えたので予算が足りなくなったという。
 川崎市は一九九四年からホームレスに対してパン券を配り始めた。
 「希望者に市職員が面接し、仕事がなく川崎市に居住していることなどを確認したうえで『相談券』を支給」したのだそうだ。これを市内にある二カ所の支給所へ持って行くとパン券がもらえ、それを市が依頼した四軒の食料店などに持参すると「六百六十円分」のパンやカップめんなどが貰える仕組みなのだという。
 ホームレスの人たちにすれば、まず相談券、それからパン券、と手数がかかり過ぎ、パンを貰える店もわずか四軒では、遠すぎて不自由だという不満もあるだろう。しかしそれだけのことができる、ということは、どうにか体が動くということだ。
 川崎市はこのために当初一億二千六百万円の予算を組んだが、七月で使い切ってしまった。他の目的のお金一千万円を一時廻しているが、本当に足りないのは一億四千四百八十万円だから、合計するとホームレスのパン券には二億八千万円が必要というわけだ。
 砂漠の掟では、たとえ敵対部族といえども旅人として一夜の宿を借りにきたら、自分のパンの半分を裂いて与えねばならない、という。またイスラム諸国の人たちにとって、個人的にも「喜捨」は重大な神に対する義務である。
 川崎市はむしろこういう人々を助ける仕事を、個人の喜捨に委ねた方がいいかもしれない。そこで初めて出す方も受ける方も、お金と心の重みを実感するだろう。
 近年世界には不思議な職業ができた。「難民業」「災害業」、一番新しいものには「NPO業」というのもある。難民と認定されることは一つの「資格」になり、難民キャンプの生活の方が近隣の普通の村民よりずっと恵まれているという事実が出て来ている。
 そこに今や「ホームレス業」という業も加わりかけた。一人が六百六十円分の食物をもらえ、駅や公園を占拠して、水洗トイレも近くにあれば、飲める水道も無料であり、駅ビルなら食べ物を手に入れるのも比較的簡単というのは、世界的貧困のレベルからみると、垂涎の的と言っていい。
 川崎市は、どうして六百六十円を支給する代わりに、それに見合うだけの労働を彼らの体力に合わせてしてもらわないのか。草取りでも空きカン拾いでも道の掃除でもいい。一時間働いたら正当な労働の報酬として胸を張って、パン券を受け取れる。尊厳も残される。パン券を取りに行けるくらいの体力のある人なら、軽作業はできるはずだ。
 こういう行政のやり方を見ている子供の中には、きっと「ボクも大きくなったらホームレスになろう」と思うのが出て来る。ホームレスが新たな業になる瞬間である。
 



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