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人に会っていて、時々、「あ、この人は健康でないのではないか」と思う時がある。私自身も健康か不健康かがもろに顔に出るたちらしく深く反省することが多い。少しくらい気分が悪くたってにこやかな顔をしていられればいいのに、それができない弱い性格は、早めに休んだ方が人を困らせないで済む。 こんなことを思うのもこのごろの週刊誌を見ていると、会社か編集部をあげて「お体が悪い」のではないかと思うことがあるからだ。 これは三月二十七日に出た広告。 「このアイドルたちのいちばん恥ずかしいナマ写真 祝! 初出し」「巨悪も美女も『金曜日』に気をつけろ! すべてを裸にする写真週刊誌」、その他に「連続スクープ!!大蔵の巨悪たち」というのがある。すべて同じ大手出版社から出ている週刊誌の広告である。 「美女でも巨悪でもない人は心配する必要はない」と思わせようとしているのはおかしいが、多分買ったらなんだと思わせる程度の写真しか出ていないのだろう。しかし「当人が恥ずかしいと思うだろうと思うような写真が出ていますよ」ということを売り物にするのは悪辣(あくらつ)だ。しかも「祝! 初出し」と悪のりする編集部の心情は、まさに戦前の女郎屋のオヤジ的、女性の敵的発想だろう。現代風に言えばストーカー以上の悪質な意図である。 こういう態度は、出版文化とも、表現の自由とも、正義の味方とも、何の関係もない。それどころか、人の幸運を妬み、人の不幸を期待し、人の弱みにつけこんで、裁く資格もない立場なのにリンチまがいのことを行う、という昔はイエロー・ペーパーでなければやらなかったことを、有名な出版社が平気でやるようになったということだ。思うに、こういう裁き手顔をしながら汚い手を使う編集者や出版社自身の精神の病み方を分析するのもかなりおもしろい特集の種にはなる。しかし真相は、会社がこんなことをやらなければならないほど経済的に傾いているのだとしたら、私はすぐ同情する側に廻りかねない。 私が不思議でならないのは、この編集部では全員がよくこういう空気に心を揃えて迎合していられる、ということである。私なら造反するか、そこまでして「禄を食(は)む」必要はないと思い、さっさとやめて過疎の村に引き込んでイモ作りなど始めそうな気もする。そんな組織にいたら編集部や会社の幹部たちが看過している毒が、自分自身にも家族にもじわじわと拡がって孫子の代まで崇りそうな気がして、オッカナクてたまらないのである。 私は大蔵省に一人の親戚も親友もいないから庇(かば)う必要はないのだが、大蔵省の役人がやったことは「巨悪」ではなく、むしろ「小悪」だったから、みじめだったのだ。東大法学部を出ただけで自分は秀才だと思い、お楽しみといえば人の金をあてにしたゴルフや料亭や「豪邸建設」という、平凡極まりないご趣味だったことに、むしろ(私は)失望したのである。
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