|
食料は豊富で安い ブラジルの貧富の差は、世界一の“社会主義的平等国家”に住む日本人にとって、想像の範囲を通り越している。統計を見るとブラジルの一人当たり国民所得は、約三千ドルである。だからこの数字から見れば、この国は貧しくはない。だが、それは違う。日本人のように「国民の九〇%が、自分は中流」に属していると思っている人々にとってこそ、この種の平均値は意味があるのだ。 ブラジルの“持てる人”と“持たざる人”に関する統計を見て驚いた。一億四千万人のブラジル国民のうち、所得の順位で上位の一〇%の人々が、この国の全所得の半分を占めているではないか。簡単な算数をやってみると、問題の所在がはっきりする。一億四千万人の一〇%、つまり千四百万人の人々は、この国の全国民所得の半分、つまり二千百億ドルを得ている。一人当たりに直すと一万五千ドル、四人家族だとすると、このクラスに属する家庭の年間収入は六万ドル(一ドル=百二十五円で換算すれば七百五十万円)に達する。 それにひきかえ、上位を差し引いた残り九〇%の国民の一人当たり平均所得は、千七百ドル、四人家族なら六千八百ドルで一年をやり繰りする。もちろんこれは、マクロ統計の分析から導き出した“理論値”なのだが、現地の生活実感から見てこの数字は正しいかどうか。この国に三十年も住み、この国のナショナルキャリア「ヴァリグ航空」のスチュワーデスと結婚し、娘さんもこれまたヴァリグ航空のスチュワーデスをやっている清水さんに聞いてみた。 「まあ、おおむねいい線をいっているんじゃないですか。例えば賃金の決め方。この国は最低賃金の何倍という単位で給料が決まる。インフレ率に応じて最低賃金を上げると、その十数倍に相当する大企業管理職のベアも行われる。現在は月額百十二リアル(一リアル=八十五セント)が最低賃金。この賃金で暮らしている人は、メード、下級店員、未熟練労働者などなど。このほかに、最低賃金以下の非登録の労務者も大勢いるから……」という。 ブラジル人の三分の二は貧困階級に属し、このうち、水道のある家が三〇%、冷蔵庫が二〇%、下水道のある地区に住んでいる人は一五%しかいないという。清水さんのお宅(リオの海に近い上の中クラスのアパート、購入価格は三千万円、家賃なら月額二十万円とお見受けした)にも、メードがいる。最低賃金クラスの彼女はもう十年以上、郊外のスラム地区から、バスと電車を乗り継いで、一時間半かけて毎日通ってくる。 いったい、国民の三分の二を構成する貧困層はどんな暮らしをしているのか。清水さんはいう。「耐久消費財や衣料品は、この国の人々にとって高過ぎるが、食料は豊富で比較的安いです」と。 清水さんに頼んで、リオのセントロ(中央区)にある朝市に連れていってもらった。「一五〇〇年、われ、ブラジル発見せり」にちなんだ公園。黄色のネムの木が雨上がりに鮮やかだ。百数十軒の露天商が、食科品や雑貨を並べている。 タマゴが三十個で一・四リアル、牛肉一キロが三・四リアル、ニワトリ肉が一キロで一・九八リアル、ジャガイモ一キロ=○・七リアル、サツマイモとサトイモがともに一キロで一リアル、ニンジン一キロ=一・六リアル、玉ネギ一キロ=一・○リアル、オクラが一キロで二・四リアル、ミカン一キロ=二・五リアル。目のさめるような黄色のバラが一輪一リアル。 一リアルはおよそ百円。日本の尺度で計ったら格安だが、ブラジルの三分の二を占める貧困層にとって、手が出ない価格ではない。だから、ブラジルはアフリカや一部のアジアとは異なり、餓死者は一人もいない。 「農産物は新鮮でしょ。しかも品質は極上です。これは日本人の移民の努カの結果です」と清水さん。午後になると鮮度はやや落ちてくるが、値段はぐっと安くなる。夕方になると、売れ残りのしなびた野菜は捨てられるが、拾いにくる人もだいぶいる。この朝市だけではなく、ブラジル中の露店がこの調子だから、飢え死にする人はいない。 「スラム街の住人といっても、食生活はそんなに悪くないですよ。メードの家に二、三回招待されたことがあるけど、それなりのごちそうを工夫して作っている。何年かぶりで出かけたら、平屋建てのレンガの家がいつの間にか二階になっている。少しずつレンガを買い集めて、家族労働で建て増しをやるんです。そこに彼女の親戚が大勢集まって、大パーティを催してくれた」 清水さんが何年か前にあげた古い家具や、シーツや、古着も大切に使っていたとのことだ。 「そのパーティにはシュラスコもありましたか」と私。シュラスコとは、ブラジルのカウボーイの豪快なバーベキューだ。牛肉や豚肉の大きなかたまりを串に刺し、岩塩をまぶしてじっくりと炭火であぶり、テーブルの上で好きなだけ切って食べる。「上質の肉とはいえないけどね、もちろん。フエイジョアーダもうまい。もともと、農園で働く奴隷階級の黒人が発明したごった煮ですがね。豚の足や臓モツ、耳とかシッポを黒豆といっしょに煮込むのです」 清水さんはこうもいう。 「フェイジョアーダをサカナに、ブラジルの砂糖キビで造った焼酎(ビンガ、三〇度から五〇度)をやるのは格別でした」 ブラジルの別名は「BELINDIA」である、と米国の社会学者はいう。べルギーに匹敵する工業力(自動車生産世界八位、航空機生産六位、鉄鋼生産七位、武器輸入六位)の工業を持っているくせに、インドと同じスケールの貧困さをもつ奇妙な国という意味だ。 ブラジルの大金持ちは途方もない富者である。五%の人間がブラジル全土の八○%の土地を所有し、軍事政権下の社会主義経済のもとでも、生産手段と資本は事実上私有していた。この国の特権階級の生活はべルギー人の金持ちも、とうてい及ぶまい。だが貧者の生活はインドほど悲惨ではない。最低賃金組も、そこそこにくらしているふところの深い不思議の川ブラジル??これがリオの朝市の実感であった。 ブラジルの不思議といえば、もう一つある。先祖が同じアフリカから奴隷で連れれて来られたのに、大男ぞろいの米国に比ベブラジルの黒人は比較的小柄でスリムだ。なぜなのか? 「米国南部の植民地経営者は、奴隷市場で優秀な労働力、つまり骨太で、頑強な大男をもっばら“輸入”した。それにひきかえポルトガルは……。要するに十六、七世紀の両国の経済力の差ですよ」 これは清水説、うがった見解である。
|
|
|
|