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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ナイフ?追放より使い方教えては…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 116  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/02/03  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   黒磯市の中一の男子生徒が、保健室に度々行くようになったことを叱られただけで、女性の先生を刺殺した。
 最近の子供は、親に叱られたことがないのだという。そのことを知ったのは、私の息子の家庭から教えられたのである。孫がまだ小学校の三、四年生だった頃、息子は朝登校前の自分の息子を大きな声で叱った。すると突然、マンションの玄関の前でわっと泣き出す声が聞こえた。
 同じマンションの同級生が、孫といっしょに学校へ行くために、たまたまドアの外まで誘いに来てくれていたのだが、突然中から叱る声がしたので、てっきり自分が怒られたものだと思い、驚いて泣き出したというのである。私の孫の方はいつも父親に叱られなれしているので、別に少しも傷つかず、けろりとして学校へ行った。
 先生を刺殺した事件で、またナイフを売らないような方策が取られるのだという。日本の教育はどこまでピントはずれになるのだろう。
 アフリカでも中近東でも、世界中の多くの国では、幼児以外のすべての男たちは、毎日いつでもナイフを持っている。それは、生きるための必需品だからだ。薪、布、馬具、食料、などすべて生活に必要なものは、割り、裂き、切る必要がある。それらは主に男たちが、女性や子供や老人を守るために必要な仕事である。ナイフを持たない男は男ではない。
 そういう社会では、毎日自然にナイフを使う対象がある。というよりナイフなしには生活できない。そこで初めて、ナイフというものは、人間の生命を存続させるために必要な道具であって、敵に襲われたような場合以外、普通は決して人を殺すためなどには使わない、というナイフの健全な存在の重みを知るのである。
 ナイフを持ってみたいということまではまっとうな好奇心であろう。西部劇にはよく男らしい主人公が、ナイフで細かく木を切りながら焚き火にくべるシーンがある。暖を取るためだけでなく、人は火を燃やしながら、人生を想うのである。そんなような時、人間は安らぎに満ちてナイフで木を処理している。
 しかしそのナイフをまともに使う方途を、日本の親も先生も社会も一度も与えなかったのだ。だから少年は先生を刺す、というようなことに使ってしまうのである。
 この少年の家庭は酪農家だという。酪農を手伝わせれば、男の子らしく威厳と勇気に満ちて、ナイフを使う折りは必ずあるはずだ。
 ナイフを追放すれば、事件が起きない、と考えるのは姑息な手段である。ナイフがなくても、鉄パイプでも、モンキーレンチでも、花瓶でも殺人はできる。社会から、人を殺し得る物を追放することなど、できるわけがない。すべての道具を正しく、目的を明確に、ひいては楽しく幸福のために使うことを子供に教えずに、教育などないだろう、と思う。
 



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