巻頭言
日本財団のこの10年は、前会長・笹川良一氏の死去に伴って、初めて33年続いた指導者交代という事態に見舞われた時であった。
私は一小説家という立場から、初めて組織に入ったのだが、日本財団が利潤追求の営利会社だったら、この任務もとうてい不可能であったろうと思われる。
ここでは、まず第一に原則がはっきりしていることが大切であった。日本財団は国家からのお金は1円も受けていない。国土交通省の監督の元に、競艇の売上の3.3パーセントを受けて、それを日本の海洋船舶の発展と、国内外の人道的支援事業に使う。そのお金の使い道は公平で、誰に聞かれても、理由がはっきりしているものでなければならない。
どの仕事もそうだが、すべての事業には思想とも言うべき原則が大切であった。原則を守り、それに命を吹き込まねばならない。不特定多数の日本人から預かったお金は、柔軟に迅速に必要とされることに使う。その途中に齟齬があると思われたら、すぐさま撤退し、経緯はすべて細かく公表する。
前会長の残して行かれた路線のうち、時代と人道が必要とし続けているものはすべて確実に残し、新たな時代と人道が求めるものには即刻道を開く。こうした原則がはっきりしていたから、私以外の誰が会長になっても、あまり迷うことはなかったであろう。
官と民は、お互いに役割分担を決めて闊達に補完しあうものだ、というのが私の考え方であった。それは車両の両輪のようなものだから、どちらが過度に存在を主張しても、車は真っ直ぐ進まなくなる。この大前提も、幸せなことに私の在職中はまことにうまく作用し、私は両者の間に立って苦しんだことは一度もなかった。
日本財団の任務は、他者に深い同感を持ってこの時代を担うことであろう。人の苦しみと喜びをごく自然に自分のものとして職員が生きて来られたこの10年に、私は深い感謝を捧げている。
日本財団 会長
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