フリータウンのスラム街(シエラレオネ) |
恒例になったマスコミと霞が関の若手官僚とのアフリカの旅、いかがでしたか。 これまでの旅で、体力的には一番大変だったのではないか、という気がします。でも現場で若い人たちが「もう、こういう所には二度と来れないだろう」と、言うんですね。彼らはこれから官庁で偉くなって外国にも出るでしょうけど、それはジュネーブであり、ワシントンであり、ロンドン、パリでしょうね。アフリカの田舎は一生に一度かもしれません。若いうちにいいところを見せて差し上げられた、と私は得意になっているんですよ。 |
インターネットの報告を見ると、防衛庁の医官はじめ各省庁とも専門の分野だけでなく、よく観察してますね。 シエラレオネです。私は今までにどんなに説明を受けても、どうしてそのような憎しみと残忍なことができるのか、今もってわからない。加害者と被害者の部族は違うのでしょうけど。小さい子供の足を切ったり、両手を落としたりしているんですね。それは一説には、ダイヤモンドを採れないようにするためだとか言うんですけどね。また殺してしまえば、それですむけども、そういう子供を生かしておくと、社会の重荷になっていいと言う。そこまでとしたら恐ろしい考え方ですね。 私なんか、どこまでそういう残忍性が自分の中にあるのか、そして、それがいつ稼動するのかということの恐ろしさを見せつけられた、と思いました。それは、極限のテーマなんです。ヨーロッパやアジアのシステム化された社会と、まったくシステム化されない社会というのが、どういうふうに現実にあるのか。そういうところに医療設備や経済援助や教育制度を持っていても、どうなるかということが、ニオイのようにかんじられたと思うんです。人間のマイナス点を見せることしかできなかったんですけど。ただ、みなさん「子供が幸福そうな顔をしていた」と書いていましたね。 中央アフリカのバンギに着くと「曽野さんのために家を作っておいてあげました」と鹿島建設のかっての現場所長さんがおっしゃる。その家というのが素敵なんです。その辺の道に生えている草、それを刈ってぐるりと回して上に葺いただけの家なんです。建築費に3,000円もかかったと、恩に着せられましたけどね。一応、雨露がしのげて、いい香の若草に包まれて住めるんですよ。家というものの原型をふっと感じました。 で、そのとき思ったんです。早くひまになって家を一軒建てようと。2m×3mぐらいの、いや寝られるように4m×3mかな、日本だったらブロックを買ってきて。そして可燃性の物は一切置かない、電気も引かない。夜はランプで、トイレはその辺ですることにして。泊まりたいという人、うちの孫の友だちみたいなのに貸す。いま、そういう体験ってできないでしょうから、きっと、基本的なおもいを揺すぶられるものがあるとおもうのですよ。 やはり、家を建てたことのない人間というのは、正常ではないですね。大人になっていない、そう、偏ぱな人間。だって、家って個人が建てるべきものなんですから。 |
子供の手足も切り落とされた |
末期のエイズ患者 |
暖衣飽食と対極の現実をみて、みんな本当にいい体験をしたようですね。 ええ、直接、専門と関係がなくても貧しさと人間性とか、病気と生涯とか、そういうことに深い考えが得られるわけですから。人間として厚みが増すでしょうね。私たちが乗り込んだ所は、どこも野戦病院―若い人はわからないでしょうけど―であり、しかも原始医療なんですね。原始医療の材料もなくなると、呪術師のところに連れていく、それは近代医療の敗北でも何でもない。生きるためのヒューマニズムの問題になってくるんです。狭義でなく広義に物事を見られるようになる、と私は思うんです。 高度医療と原始医療は両論併記しなければいけないんですね。高度医療の輪の先に原始的医療と放置する状態があることを、みんながわかった上で、日本は国家的、社会的、個人的使命として高度医療を引き受けるのが正しいような気がします。 |
アフリカの特徴をダニ、ホコリ、割り込み、と聞いたことがありますが、トラブルは。 荷物はなくなりましたし、飛行機は5時前に空港に行ったのに、延々と待たされ飛んだのは翌朝の9時ということもありました。でも、それがアフリカのシステムなんですね。私は、この地球上に在るすべての状況に対して、できるだけ穏やかな感情で、まず、その存在を確認できるということが必要だと思います。それから、ゆっくりと改変していけばいい。 このごろ笹川理事長が、日本のハンセン病の方々をインドにお連れしています。日本のハンセン病対策に対して、それぞれがいろんな考えを持っているわけですが、「インドのハンセン病を見ることによって、客観的な見方ができる」とおっしゃっています。その通りですね。見ることによって一人一人が、ある考えを持てばいいのであって、そういうチャンスは必要ですね。私は今度のアフリカの旅も、肉体的には大変だったけど、ほんとうはとても贅沢な旅だと思うんです。 |
スラム街の台所 |
カミシュリのマーケット(シリア) |
本隊と別にクルド地域にいらしらそうですね。 シリアからダマスカスに出て、北へ800キロのカミシュリというトルコに一番近い国境の町までいきました。イラクとトルコには入れないんです。もっとも、うちの財団の人はほっとしたようですけど。というのは笹川理事長と私は、人質になってもいっさい身の代金などお金は払わない、とお互いに確認していますから(笑)、私の身の代金も、財団は決して払わないんですよ。 クルドで、わかったことの一つは彼らが中学くらいまで勉強しても、私たちと共通語がないということ。クルドの言葉とアラビア語、それに数字が違う。私は少し覚えましたが、「5」は「○」、おだんごなんですよ、ホテルもホテルじゃないし、サンキューもない。たった一つ彼らの言葉でわかったのは「マネー」。それで私、クルド人で英語を話す方に愚劣な質問をしました。「クルドの方は商才があると聞いていますが、何を商っていますか」と。そうしたら「エブリシング」。これは恐ろしいことですね。 ほんとうにあらゆるものが想像できる、セックス産業から、臓器売買もあるかもしれません。それに『フレンチコネクション』という推理小説に描かれているトルコのケシ栽培、麻薬ですね。トルコには暴力団もいるそうです。だから、サダム・フセイン後のクルド支援も、日本はよくよく考えてやった方がいいですね。 もう一つ。サダム・フセインは化学兵器でクルド人を虐殺していますから、敵なんですけど、クルド人はそれよりブッシュ大統領を憎むんですよ。敵ですらないと。部族社会ですから、敵である他部族でさえない。ですからアメリカは、このまま武力攻撃をすると全アラブを敵に回す、それを覚悟しなければならないでしょう。こういうことも、日本にいるだけではわかりませんね。 |