日本財団 図書館


 日本では道路両側の緑が野生の草花で、人工的にならした草地ではなかった。あるとき道路の中央分離帯を見たら、中国にもよくあるエノコログサだった。これは今提唱されている元の生態系の概念だろう。実際、その土地の植物が最も当地の土壌や機構に適応している。北京や大連では数年前に費用を投じて国外から草の種を輸入したが、それらは北方の乾燥した気候に適応せず、大量の水資源を投じて灌漑してやらねばならないものもあり、もともと水が不足気味の私たちにとって泣き面に蜂だった。北京がオリンピックの申請をしたときにいたっては長安街の枯れ草を緑色にそめたそうである。これも目に見えない距離ということか!東京の街の姿を見ていて感じたのは緑化率が極めて高いことである。裸土の見えている土地はほとんどなく、たまに片隅が少し空くと、木が植えられたり花の鉢が置かれたりしていた。当然、京都、奈良や沖縄はさらによく、一種の自然やロマンティックな景色が長寿の元だろうと思う。ガイドの話によると、東京などと比べストレスが少ないせいでもあるそうだ。
 日本の学生は学内だけで授業を受けない。学生を連れ出しての学習もよく見かけられる。景勝地には、祖先の努力を見に行き、企業には、どうやって発展したかを見に行く。考えてみれば、時代についていけるか、社会の需要に適応できるかを見ているのだ。これは日本人の公共道徳教育や思想教育、ないし徳育と呼ぶべきものである。日本人は徳育を重視し、多くの投資をしている。参観した各地で最も多く見かけたのは小中学生だった。特に沖縄で多かった。ガイドの話では、日本政府が小中学校に手当を支給するため、教師が児童を引率して訪れるのだそうだ。日本の学生の服装を見るのも面白かった。全国で統一された様式らしく、女子生徒は一律でスカートにハイソックスと革靴、男子生徒は帽子をかぶり、いずれも濃紺や深緑などの暗い色だった。
 日本の路上にはほとんどくずかごが見られなかった。ごみを分別するため、皆がごみを自宅に持ち帰るからだそうだ。それでくずかごは要らないのだという。しかし学校の中にはあった。これには私も感心した。街を歩いていて、捨てたいものがあってもすてる場所が見つからず、自分のバッグに入れてホテルに持ち帰るしかなかったからだ。
 ビュッフェで食事をするとき、人々は食べ終わると自分でテーブルを片付けていた。こぼれたものは紙ナプキンで拭き、食器を集めて置き場にもって行き、椅子を元の位置に戻していた。タバコを吸う人も灰を散らかしたり吸殻をポイ捨てしたりせず、街中で吸うときには携帯用灰皿(大連理工大学の劉副館長と楊館長は日本から数個ずつ買って帰っていた)を持っていた。
 日本の電車やバスの中では電話ができないそうだ。休んでいる人に影響を与える恐れがあるためだという。私たちはそういう車両に乗る機会がなく、専用車に乗っていた。全員が内輪だということもあってか、私たちのリーダーとガイドは電話をかけていた。
 早朝に散歩をしていると、日本が確かに「先を争う」お国柄だと目に見て分かる光景と出会った。ドアが開くと、戸口に詰め掛けた人の群れが殺到して出てくる。地下鉄だけでなく、エレベーターも、見本市会場の出入口も・・・。地下鉄の駅では、通行人がさながら徒競走の選手のようで、私たち中国からの訪問者はかなり「置いていかれ」てしまった。私たちが中国のぶらぶらと歩く速さに慣れてしまったせいかもしれない。最も不可思議だったのは、エスカレータに乗っている日本人が「一分一秒を争っている」ことで、誰もが左側に立っており、右側は前へ歩きたい人のために空けてあることだった。左側に寄っている人は自覚して一直線に並んでいる。日本人とは何をしてでも優れた秩序をつくるものなのか!夜の6〜7時にホテルに着く日もあったが、明かりの消えていないビルがいくつか見えた。ガイドによるとこれは残業で、残業手当のついていないものだそうだ。
(4)日本人の礼節
 私が目にした日本人の礼節は主に私たちが乗っていたバスでのものだ。何度か車を乗り換えたが、運転手はみな礼儀正しかった。下車時には日本語でお気をつけてと声をかけ、乗車時は会釈をするなど。私たちがいった商店やホテルの店員は更に礼儀正しかった。会釈、お辞儀、いらっしゃいませ、またお越しくださいなど。最も典型的だったのは、空港で、車椅子に乗った人が空港の女性スタッフに何か話しかけると、そのスタッフが空港ロビーで膝をついてその話に耳を傾けたことである。
 ネットで見かけた文に、こういうものがあった。「人々は挨拶するたびに、会うたびに、双方の社会的関係を表現しなければならないというのがあった。ある日本人が他の日本人に対して「食べる」や「座る」と言う時、相手と自分との親密さや相手の年代に基づいて異なる語彙を使わなければならない。「あなた」という語も同義語がいくつかあり、場合によって異なる「あなた」を使う必要がある。動詞にもいくつか異なる語尾をつける。言い換えると、日本人はその他の太平洋民族と同様に、「敬語」を使い慣れており、話すときには適切なお辞儀もするということだ。
 こうした動作にはいずれも詳しいルールや慣例がある。誰にお辞儀をするべきか理解するだけでなく、その深さも理解しなければならない。ホストの場合、ゲストの方が目上とみなされるため、適度なお辞儀の深さでは失礼となってしまう。お辞儀の仕方は多く、膝をついて両手を伏せ、額が手の甲につくのを最高とし、簡単に肩を動かしたり頭を下げたりと続く。日本人はどういった場合にどういった礼をすべきか、小さい頃から学ばなければならない。日本の礼節とはつまりどういうものなのか?専門的な研究が必要なテーマかもしれないが、私の印象としては、顧客やゲストに対する礼儀などはその相手に好感を与え、私もいずれにせよ悪くは思わない。他の人も同じように感じているはずだと思う。この点も私たちが学ぶに値する。
 訪れた図書館でもそうだった。図書の貸出や返却の係には図書館の従業員でなく、業務のアウトソーシング先から派遣されてきている人もいた。日本人の仕事する態度はとてもよい。私たちの行ったレストラン、ホテル、図書館、商店では、決まって気を遣い親身だった。手伝いのできることは決して放置せず、手伝いのできないこともあらかじめ断って情報を提示する。こうあるべきなのだ。サービスの態度が非常によい。
(5)日本の食文化
 異なる国に来たのだと一番感じるものは食についてだろう。誰もが毎日直面することがらだからだ。国際肥満問題チームの最新統計によると、先進国のうち、フランス女性の肥満率は11%、米国では34%だが、日本ではたったの3%で最も低い。このほか、日本女性の平均寿命は85歳で、最高である。イタリアとフランスが84歳、スウェーデン、スイスとオーストラリアが83歳である。
 伝統的な日本食には魚、野菜、果物、米と大豆が含まれる。日本の伝統文化では「新鮮至上」を崇めているので、日本女性は魚や野菜、果物などを好んで多く買う。肉や菓子類、加工食品は余り買わない。ネットによると、日本では厨房が小さく食べ物の保存場所が少ないため、スーパーへ新鮮なものを買いに行く頻度が高いのだそうだ。反対に、米国では、何週間分もの食べ物を一度に買って冷蔵庫に入れておくのが好まれている。「腹八分目がよい」と言われており、これは余り食べ過ぎないようにということである。日本人はこの点で割とうまくやっている。日本人は一日平均2700Calを摂取するが、米国人の平均は3700Calで、両者には1000Calの開きがある。
 食べ物に対する態度は中国でいう禅宗式で、最も新鮮な材料を選び、心を込めて料理する。食事をする時はがつがつ食べず、美味佳肴を嗜むと同時に、美しい献立の鑑賞も学ぶ必要がある。美しい外観は日本料理の命である。ネットでは日本人の長寿がいくつかの要素によるものだとあった。飲食や生活方式、緊密な社会と精神的な絆、発達した保健体系、他にも、遺伝や訓練によるものもあるという。西洋人と比べ、日本人はより散歩や自転車を好む。私たちが行ったところでも少なからぬ自転車が停めてあった。
 日本人がよく生で食べるのは魚だけではない。牛肉、馬肉、鶏肉やエビ、カニ、貝類、野菜などもあり、水さえも生で飲める。私たちの食事にも毎食こうしたものが含まれており、味もいろいろあった。しょっぱさはそのうちの一つでしかなく、しょっぱさを主としながら元の食材の味を感じられるものが多かった。生ものを何日食べてもお腹を壊すことはなかった。これは日本人が清潔好きで、特に食品衛生に気をつけていることを証明している。
 こうした気遣いは日本人の暮らしの随所に見られる。ネットで『環球時報』記者が書いていたのは、日本の大小スーパーで鮮魚を何度か買ったとき、日本のスーパーでは売られている魚が新鮮なだけでなく、スーパーが保冷用の氷を用意し、顧客の帰宅中に鮮度を保てるようにしているという。包装時に氷が要るか質問するスーパーもあり、氷箱を用意して自由に取れるようにしているところもある。日本では、鮮魚を買うときは一般に切り身なので、家に帰ってから洗わずに直接料理できる。洗う必要がある場合、店が包装上にラベルを貼り、洗ってから食べるように明記している。スーパーでは、よく「生ものですのでなるべく早くお召し上がりください」と書かれたラベルを目にする。刺身などの生ものは必ず当日中に食べるよう注意を促すものだ。
 飲み物には清酒という米を発酵させて作る醸造酒があり、日本で千年以上の歴史を持ち「日本酒」とも呼ばれている。アルコール度は低めで、約17〜18度。日本での洋酒は戦後、特に70年代以降に流行しだした。最も販売されているのはウイスキーである。よく氷や氷水を混ぜる。日本人が飲むビールにはキリン、アサヒ、サッポロの三大銘柄がある。中国の白酒のように度数の高い酒は少ないのか、見かけられなかった。私たちは何回か「飲み放題」、つまり量に制限なく各種の酒が注文できるところへ行き、それぞれ好きに飲んだ。
 芝浦工業大学での茶道体験はチョット難儀した。大学生がしていたのだが、彼らいわくこうしたことを好む若者は少なくなったという。
 参観の道中に買った飲み物には茶飲料もあったが、もともとの茶の味がするもので、砂糖などの添加物がなく、茶葉の原産地が中国というものもあった。朝に食べたヨーグルトもそのものの味がして、中国のように砂糖とかサッカリンのようなものはそれほど入っていなかった。
(6)日本の図書館
 五つの大学図書館を参観し、全体の印象としては静かで秩序があるという感じだった。当然、国会図書館の人は多かったが、後で訪れた瀋陽の開放式図書館のように学生だらけではなかった。キャンパス上のリソースが豊富で日本の学生が自習する場所も多いからかもしれない。
 参観した芝浦工業大学、武蔵工業大学、成蹊大学の図書館はいずれも資金が潤沢で、中国のものとは比べ物にならない。机や椅子がイタリアから輸入したものだったり、自分でデザインしたものであったり特長的だった。椅子の背もたれを倒すと机になったり、ソファーの背もたれも自分の机にできたりした。ほかにも軟らかい素材で背もたれができた椅子もあり、座り心地が快適だった。武蔵工業大学図書館では、全ての図書とディスクにチップが貼ってあるのを見かけた。とても先進的なもので、借りたい本を卓上の機械に近づけるだけで読者のデータを表示し、すぐ貸出手続が完了するのでとても速い。
 これらの図書館の共通点の一つに、正式職員が多くないというのがある。多くの業務がアウトソーシングされ、学生アルバイトが行っているものもあった。
 参観した図書館の集中書架や書架上の照明は多くが感知式で、エネルギー節約意識がよく表れていた。
 国会図書館の設立趣旨は、心理は私たちに自由をくれるという聖書の一節である。また、成蹊大学の学名の由来は『史記・李将軍列伝』の「桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す」が出典である。東西の文化からその精華を吸収して用い、自身を失うこともない。これは今日の日本のキーポイントであり秘訣なのだろう。
 七日間という時間は瞬く間に過ぎてしまい、本当にざっと見ただけで深く入ることはできなかった。この8日間、日本科学協会のスタッフには時間の按配を尽くしていただいた。私たちが日本を多角的に理解し把握できるよう願ってのことである。並大抵の苦労ではなかっただろう。特に最後、大阪についてから、京都と奈良を見に行きたいと言うと、日本科学協会のスタッフはリクエストを聞き入れてくれた。おかげで私たちは日本の現代と過去を深く理解することができた。
 再び日本に行くこともないかもしれない。私の見聞きして書いた感想は誇大だったり卑小だったりするかもしれないが、この七日間の印象は永遠に記憶に残り、絶えず反省を促す材料となるだろう。他山の石という言葉がある。中国は発展しつつある国であり、経済の面だけでなく、文化や教育そして国民の素養により多くそれが表れている。私たちの道のりは長い。
 隣国を友とし、隣国と善くするのは中国の重要な国策である。日本は中国の隣人であり、流れを同じくしている。浮雲に目を遮られることなく、中日友好が永遠に名声を残すと信じている!
2006.12.25


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