日本財団 図書館


大連外国語学院日本語学院 副院長 宮 偉
「第四回中国大学図書館担当者訪日交流」参加の感想(日本語原文)
 
 2006年12月4日から12月11日の8日間、図書館の圏外にある私が、大学側の判断で、日本財団・日本科学協会主催の『第四回中国大学図書館担当者訪日団』に参加させていただくことになりました。この団に私でいいのか、と最初はかなり躊躇していましたが、行ってよかったと今はそう思っています。
 まずは、日本財団・日本科学協会が実行している「教育・研究図書有効活用プロジェクト」を、この目で見てわかるようになったのでよかったのです。日本科学協会から数多くの図書をいただいて、日本語学院の学生諸君が存分に利用していることをずっと前から聞いてそして感謝はしていますが、一体どのようなルートからなのかなどは、よくわかりませんでした。今回は、実際に日本財団及び日本科学協会の皆さんと接して、贈書事業のことを詳しく説明していただいただけでなく、物流会社にも行ってみて、日本から中国へ、そして大連外国語学院をはじめとする中国の諸大学へ贈書が来てくれる流れがよくわかるようになりました。国と国との友好交流には、まずはその国民の相互理解が不可欠です。日本財団・日本科学協会からいただいた本は、まず中国の日本語学習者に利用されていて、彼らの日本語勉強及び日本理解に役に立っています。帰国後、本学日本語学院の学生諸君に贈書のことと日本財団・日本科学協会から一杯感じ取った情熱を話しました。いただいた贈書の、2562名の日本語学習者を持っている大連外国語学院日本語学院―世界一日本語養成基地での更なる利用を期待しております。
 それから、日本財団・日本科学協会の皆さんと知り合って良かったのです。中国に対する情熱があってはじめて贈書事業が始まったと思います。訪問中、日本財団・日本科学協会を訪問して、笹川陽平会長をはじめとする方々にお話をいろいろ聞かせてくださいました。中国に対する皆様の熱意にはまず感心しました。そういえば、日本に行く前にも、教育・研究図書有効活用プロジェクト室の皆さんが、いろいろと訪問の日程を考えてくださったことを何度も感心させられました。何回も私たち訪問者の希望を聞いてご丁寧に日程を作ってくださって、各地の天気予報と日本滞在中の注意事項までも教えてくださったりして、至れり尽くせりの手本といっても決して過言ではありません。本当に感激しました。言葉は時には無力だとよく言われますが、まさにその通りだとしみじみ感じました。日本通と言われる私も、今回の訪日を通じて皆さんからたくさん勉強できました。
 そして日本の図書館を見学できて良かったのです。読書好きな私は、小さいころから図書館に馴染んでいます。中国の図書館のことはよくわかりますが、今回は日本財団・日本科学協会の皆さんのご手配の下で、日本国会図書館をはじめ、武蔵工業大学図書館、芝浦工業大学図書館、成蹊大学図書館及び琉球大学図書館など国・公・私立など特色を異にする図書館を存分に見学しました。日本の図書館の設備とそのサービス理念には、正直に言ってまず驚きました。そんな図書館に恵まれたら、こんな愚鈍な私ももっと頭が良くなるのではないか、と考えたことさえあります。
 第四に、中国大学図書館の関係者と知り合ってよかったのです。図書館によく行っていますが、よく知っているのは本の貸し借りを実際にやっている職員だけで、トップクラスの人に接するのは今回が初めてです。図書館の蔵書同等の知識を持っている人間だ、というイメージは今も変わっていません。それだけではない。皆さんはなかなか親切で、高い人格の持ち主です。訪日中、私がたどたどしい日本語で皆さんのためにちょっとしかやっていなかったが、皆さんから高く買いかぶられて、恐縮そのものです。帰国後も、大連での大学図書館館長の集(酒)会に、私までも仲間入りさせていただきました。日本語教員の仕事を辞めて図書館館員になろうか、と真剣に悩んでいます。
 最後に、日本文化も身をもって感じ取って良かったのです。日本社会言語学を専攻にしている私は、図書を通しての勉強だけではなく、実際に日本に行って、日本人と話をして、日本文化に接する機会を常に大切にしています。今回も、日本財団・日本科学協会のご配慮の下で、東京、沖縄、大阪、京都、奈良など日本を代表できる所を見学して、日本文化を満喫して日本に対する理解をさらに深めました。訪日中の写真などを日本語科の学生諸君にも見せたりして、今回の訪問の成果をさらに拡大させようと思っております。
 簡単ではありますが、私の感想とさせていただきます。本当に、日本財団・日本科学協会の皆さんに感謝します。私も、日本財団・日本科学協会のために、中日友好交流のためには、微力ですけれども何かができればと思っています。
 今後ともどうぞよろしくお願いします。
 
遼寧師範大学図書館 館長 張志宇
勤勉で仕事熱心―民族の強さの源
 
 日本は面積が中国東北部の黒龍江省の82%しかない島国で、四方に隣接国がなく、資源にも乏しいのに、どうして世界の経済大国になれたのか?日本を訪れたことがない中国人に言わせると始終が謎である。2006年12月初め、幸いにして日本科学協会の招待を受け、「第四回中国大学図書館責任者訪日代表団」として訪日し文化交流を行った。往復8日で5都市を回り、成蹊大学図書館、国立国会図書館など5つの図書館を訪問し、琉球王朝遺跡、古都奈良、京都の古い建築を一部参観した。ざっと見ただけではかなく消えてしまったが、心の謎は少し解けた気がする。勤勉で仕事熱心な精神についていくつか人やものを見ただけだが、少しは分かったと思う。
 日本科学協会の担当者は、今回の文化交流活動を準備するためには細かさや面倒ごとを厭わず、心血を注いでくれたといって過言ではない。訪日予定の3ヶ月前から準備作業に着手したとのこと。私本人は担当者とスケジュール関連で電子メールやエアメールを十数回も送り、何度かは直接電話したこともある。私たちが訪日で交流する機関やスケジュールを綿密かつ入念に手配してくれたうえ、一行の意見を聞いて調整し最善の案を作ってくれた。それだけでなく、各人の食習慣を確かめたり、訪問予定都市の天気予報を送ってくれたり、果ては必要になる服装や日焼け止め、雨具などといった細かいことまでメンバーに代わって一つ一つ考えてくれた。訪日中は、参観や交流、表敬訪問、乗車中、宿泊中、食事中いずれにも担当者の爽やかな笑い声が聞こえた。僅か8日だったが、私たちはずっと、春風が頬を撫でるような、家にいるような空気の中で過ごすことができたように感じる。
 日本社会の各業界では、通常、朝九時から夕方五時に勤務し休息をとる時間制である。日本に着いた日、私たちは成田国際空港から東京へのバスに乗った。市街地に入ると、現地時間で夜の6時を過ぎていたが、街道両側のオフィスビルや工場では明かりが点っており、車窓やビルの窓から、中の人々が勤勉に仕事をしている様子がはっきりと見えた。私にはどうも不可解だった。同行していた日本側スタッフに、日本では普通に残業する習慣があるのかと聞いた。残業代はどうやって支給しているのか? その回答では、残業代の有無に関わらず、部門の責任者がその日の業務進捗を見て自主的に勤務時間を延長し、部下が異議なく従うのが普通だという。
 訪日の二日目は早起きして散歩した。宿泊したホテルの前には十数台のタクシーがいた。車種が一致で色も同じ、止まる位置もきちんと並んでいた。運転手は皆が五十歳前後で、革靴をはき、白い手袋をはめていた。三台目以降の車では、運転手が車内で静かに順番を待っており、前二台の運転手だけが外で車の掃除をしていた。二台とも非常に清潔だった。好奇心が出たので足を止め観察してみると、運転手は二人だけ先に車内の客席を整理しており、手袋をしていた。慎重に、貴重な芸術品を壊すまいとしているかのような態度だった。それから両側のドアを開け、外に立って車内を細かく見回す。穏当でない箇所がないか調べているようだった。続いて試すように両側のドアを開閉し、最後に四輪の空気圧を検査する。満足するまで行っていたようだ。こうした情景は、実のところ、中国国内で目にしたことがない。そのとき思ったのが、何が彼らに自分の仕事道具をそう扱わせているのか?ということだ。ホテルの部屋に戻る途中、自分でその答えを見つけた。それは民族が長らく育ててきた仕事を重んじる精神なのだ。二人の運転手はここまで心を込めて仕事道具を扱い、心では乗客への責任を思い、同時に自分の就いている仕事への責任も感じているのではないだろうか?
 私たちが各地の訪問に利用した交通機関は主に旅行社の大型バスで、運転手はだいたい40歳から50歳ぐらいだった。代表団は全部で27人。全員が一個は荷物を持ち、一人で二個という人もいた。荷物を持って出かける必要があるたび、運転手は前もって車の傍で待機し、30個近い荷物を順番にトランクへ入れ、目的地に到着すると先に下りて一個ずつ取り出した。荷物を持ってでないときは、乗車や下車のたび、運転手はメンバー一人一人に挨拶をしていた。私はふと中国の運転手を思い出し、その対照的なさまに赤くなった。
 日本のホテルの清潔さは世界公認で、無駄に語ることもない。ほんのちょっとしたことが中国では見かけないことなのだ。泊まる部屋のライティングデスクは位置が分かりやすく、紙のカードが置いてあった。何ヶ国語かでいらっしゃいませ、ご意見をお待ちしておりますといったことが書いてある。面白いなと思ったのは、カードの目立つ位置にその部屋のサービス担当者が直筆で署名していることである。何のために?私の答えは、表面上は顧客とのコミュニケーションをしやすくするためで、より深いところでは厳格に自律した仕事を重んじる精神の涵養のためだ。
 12月9日、私たちは沖縄の那覇空港から大阪への搭乗手続きをした。待合ロビーで遭遇したできごとが感動で目頭を熱くし、ずっと忘れられない。車椅子に座った乗客が、なにやら焦った表情で何かを訪ねようとしていた。すると空港制服姿の女の子が早足でやって来た。年齢は20歳前後。車椅子の傍でスカートを調えると両膝を床につき、頭を起こして、根気よくその乗客に何か答えていたのだ。カメラをもうスーツケースに入れてしまったのでこの感動の場面を撮影することはできなかったのが今でも非常に残念である。しかし当時の光景は深く私の中枢神経を刺激した。ナイフのように脳に刻まれている。両膝をつくのは私たち中華民族では古くから若手が先輩に対し、家臣が君主に対してとる敬礼である。私は自分の良心に尋ねてみた。私の同胞は何人が今でもこうした意識を持っているだろう?何人がこうした行いをできるのだろう?約20歳の日本の女の子が、日本で、気づかないうちに、私たち中国人に深く反省させる授業をしてくれたのだ。これは源を同じくする優れた伝統文化なのか?厳格な仕事を重んじる精神なのか?それとも別の何かなのか? 21世紀の今、中華民族と日本民族の違いはどこなのか?確かに深く考えさせられる。
 日本への一行は行きも帰りも慌しかった。短い間ではあったが、見聞きしたもの、感じ取ったものは、詳しく整理されてこそいないが、とても大きい利益となった。一衣帯水の隣国にあって、中日両国の政府はきっと両国国民の大局の利益から出発し、親睦友好関係を更に発展させてくれるだろうと深く信じている。大同小異で、経済や文化ないし政治領域での協力を強化させることを。中日両国国民の友誼が長城や富士山のように、世代を超えて保たれることを。
(2006年12月23日 大連にて)


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