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平成17年第二審第25号
件名

油送船第21九翔丸貨物船ブンガマスラパン衝突事件
[原審・門司]

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成18年4月26日

審判庁区分
高等海難審判庁(山田豊三郎,平田照彦,大須賀英郎,坂爪靖,長谷川峯清)

理事官
雲林院信行

受審人
A 職名:第21九翔丸船長 海技免許:二級海技士(航海)
補佐人
a,b,c
指定海難関係人
B 職名:ブンガマスラパン船長

第二審請求者
補佐人a

損害
第21九翔丸・・・右舷中央部外板に破口等
ブンガマスラパン・・・球状船首左舷側に破口,左舷船首部外板に擦過傷等

原因
ブンガマスラパン・・・港則法施行規則不遵守(主因)
第21九翔丸・・・警告信号不履行(一因)

主文

 本件衝突は,第21九翔丸を追い越す態勢のブンガマスラパンが,関門航路の特定航法及び航路事情について不知で,追越しを中止しなかったことに因って発生したが,第21九翔丸が,警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 指定海難関係人Bに対して勧告する。
 
理由

(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成16年12月10日19時15分
 関門港関門航路
 (北緯33度57.8分 東経130度57.8分)

2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 油送船第21九翔丸 貨物船ブンガマスラパン
総トン数 999トン 8,957トン
全長 83.00メートル 132.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,765キロワット 7,800キロワット
(2)設備及び性能等
ア 第21九翔丸
 第21九翔丸(以下「九翔丸」という。)は,平成9年7月に進水した限定沿海区域を航行区域とする船尾船橋型鋼製油送船で,主として大分港から博多港へのガソリン,軽油などの輸送に従事していた。
 船橋は,船尾楼前端付近に配置され,船首端から船橋前面までの距離が64.20メートルで,船橋前方に貨物油倉5個が設けられ,船体中央部の甲板上にはクレーン1基が備えられていた。
 操舵室には,前面中央にレピータコンパス,中央部にジャイロ組込型操舵スタンド,同スタンド左舷側にGPSプロッター,自動衝突予防援助装置(以下「アルパ」という。)付き2号レーダー,アルパ付き1号レーダー,同スタンド右舷側に主機遠隔操縦装置がそれぞれ設けられ,後部左舷側には海図台,後部右舷側には作業台があり,そこに同室後面窓が各1個設けられ,後方が見通せるようになっていた。
 可変ピッチプロペラの翼角と速力との関係は,港内速度表によれば,機関回転数毎分265のとき,全速力前進が翼角11.0度で9.9ノット,半速力前進が同9.0度で8.7ノット,微速力前進が同7.0度で7.2ノットであった。また,海上公試運転成績表による操縦性能は,航海全速力前進が同毎分280同17.2度で13.8ノット,同速力前進中に舵角35度をとって左旋回したとき,旋回縦距,旋回横距及び90度回頭するまでの所要時間が,それぞれ181.6メートル,95.5メートル及び45.1秒,同右旋回したとき,206.6メートル,116.9メートル及び50.1秒で,同速力前進中,全速力後進発令から船体停止までに要する時間及び航走距離が,3分10秒及び728メートルであった。
イ ブンガマスラパン
 ブンガマスラパン(以下「ブ号」という。)は,1998年に進水し,日本と中華人民共和国間の定期航路に就航する船尾船橋型鋼製コンテナ船で,船橋は船橋楼前端に設けられ,船首端から船橋前面までの距離が約111メートルであった。
 操舵室には,前面中央にレピータコンパス,その後方にジャイロ組込型操舵スタンドがあり,同スタンド左舷側にVHF無線電話,航海灯操作パネルなどを備えたコンソール,アルパ付き2号レーダー,同スタンド右舷側に主機遠隔操縦装置などを備えたコンソール,アルパ付き1号レーダーがそれぞれ設けられていた。
 操縦性能は,船内掲示表によれば,満載時,航海全速力前進が機関回転数毎分132で17.54ノットで,同速力前進中に舵角35度をとって左旋回したとき,旋回縦距,旋回横距及び旋回径が,それぞれ224.2メートル,146.7メートル及び240.6メートル,同右旋回したとき,236.3メートル,171.0メートル及び295.3メートルで,最短停止距離が645.9メートルであった。

3 事実の経過
 九翔丸は,A受審人ほか7人が乗り組み,空倉のまま船首1.05メートル船尾3.80メートルの喫水をもって,平成16年12月10日14時45分博多港を発し,大分港に向かった。ところで,A受審人は,船橋当直(以下「当直」という。)を4時間交替の3直制とし,0時から4時の当直を甲板手,4時から8時の当直を一等航海士,8時から12時の当直を甲板手にそれぞれ単独で行わせ,出入港時や狭水道通航時などには自ら操船指揮を執ることとしていた。
 18時05分A受審人は,六連島北西方の六連島西水路第2号灯浮標付近で,関門海峡通航に備えて昇橋し,当直中の一等航海士を手動操舵とレーダー見張りに,一等機関士を主機遠隔操縦装置の操作にそれぞれ就けて自ら操船指揮を執り,航行中の動力船の灯火を表示して六連島西水路を南下し,18時15分関門第2航路西口に至り,機関を回転数毎分260翼角15度の航海速力にかけ,折からの西流に抗して11.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で,同航路を東行して18時21分関門航路に入り,その後先航する数隻の同航船に後続し,同航路の右側をこれに沿って東行した。
 18時34分A受審人は,関門航路第18号灯浮標(以下,灯浮標名については「関門航路」を省略する。)付近で,3海里レンジとしたレーダーで船尾方約1.2海里のところに1隻(以下「第三船」という。)の映像を,さらに,その後方で自船から約2海里のところにブ号の映像を初めて探知し,これら2隻がいずれも同航船であることを知り,後方を振り向いて第三船の灯火を認めたものの,ブ号の灯火を認めず,同船まで距離が離れていたこともあって,特に気にも留めずに進行した。
 18時45分A受審人は,関門航路湾曲部の大瀬戸に差し掛かり,第24号灯浮標の北西方約250メートルの地点に達したころ,先航船との間隔が狭まったので,翼角を7度に減じ,10.0ノットの速力で続航し,18時57分第30号灯浮標の西南西方150メートルの,門司埼灯台から219度(真方位,以下同じ。)1.9海里の地点に達したとき,針路を関門橋橋梁灯(C1灯)と同橋梁灯(R1灯)との中間に向首する037度に定め,西流に抗し,6.4ノットの速力となって進行した。
 定針したとき,A受審人は,左舷船尾方にいた第三船が自船を追い越す態勢で接近しているのを認め,そのころ,第三船に後続するブ号が自船に1.3海里まで接近したのを肉眼で認め,ブ号も自船を追い越す態勢で次第に接近してくるのが分かったものの,後続船であるブ号が自船に注意を払うものと考え,前方約460メートルの自船とほぼ同速力の先航船に注意しながら続航した。
 19時10分A受審人は,門司埼灯台から227度800メートルの地点に達したとき,ブ号が右舷船尾8度1,050メートルに接近したのを認め,同船がそのまま進行すれば,門司埼沖合で自船に著しく接近する状況であったが,門司埼沖合で自船を追い越すことはあるまいと思い,警告信号を行うことなく進行した。
 その後,A受審人は,左舷後方から自船を追い越そうとしていた第三船との間隔が開き始め,同船が追越しを中断したように見えたことから,ブ号も同様に減速して自船に追随するものと考えて続航し,関門橋下を通過して間もない19時13分門司埼灯台から249度260メートルの地点に達したとき,ブ号が右舷船尾16度540メートルまで接近していたが,依然,警告信号を行わずに進行した。
 19時14分A受審人は,門司埼灯台から296度130メートルの地点に達したとき,航路に沿って転針することとし,操船信号を行わないまま,右舵を令して徐々に右転を始めた。
 このとき,A受審人は,ブ号が自船の右舷船尾間近に迫っていたが,転針側後方の状況確認を行わなかったため,このことに気付かずに右転を続け,19時14分少し過ぎ門司埼灯台を右舷側約110メートルに並航したころ先航船との間隔が開いてきたことから,翼角を10度に上げ,19時15分わずか前針路が航路に沿う067度に向いた直後,当直交替のため昇橋していた機関長の叫び声により,右舷正横至近にブ号を認めたが,どうすることもできず,19時15分門司埼灯台から012度130メートルの地点において,九翔丸は,船首が067度を向いて4.4ノットの速力で,その右舷中央部にブ号の船首が後方から35度の角度で衝突した。
 当時,天候は晴で風力2の北西風が吹き,潮候はほぼ高潮時で,付近には約3.6ノットの西流があった。
 また,ブ号は,B指定海難関係人ほかインド国籍の船員21人,マレーシア国籍の船員4人が乗り組み,コンテナ312個4,393トンを積載し,船首6.40メートル船尾7.70メートルの喫水をもって,同月9日04時12分(現地時間)中華人民共和国大連港を発し,関門港東口部埼沖合の錨地に向かった。
 ところで,B指定海難関係人は,当直を4時間交替の3直制とし,0時から4時の当直を二等航海士,4時から8時の当直を一等航海士,8時から12時の当直を三等航海士として各直に操舵手1名を配置して2人で当直を行わせ,出入港時や狭水道通航時などには自ら操船指揮を執ることとしていた。
 翌10日17時30分B指定海難関係人は,関門航路西口北西方沖合約8海里の地点で,関門海峡通航に備えて昇橋し,一等航海士を船長補佐に,操舵手を手動操舵にそれぞれ就けて操船指揮を執り,航行中の動力船の灯火を表示して同航路西口に向かい,18時15分同航路西口に至り,機関を回転数毎分87の港内全速力前進にかけ,西流に抗して11.0ノットの速力で,同航路の右側をこれに沿って東行した。
 18時59分B指定海難関係人は,門司埼灯台から212度2.9海里の地点に達し,第26号灯浮標を右舷側160メートルに並航したとき,レーダーで船首方1.3海里に九翔丸の映像を,その前方に1隻の映像を,さらに,九翔丸の後方に前示第三船の映像とその船尾灯をそれぞれ認め,アルパで捕捉してこれら3隻が自船より速力の遅い同航船であることを知った。
 19時06分B指定海難関係人は,門司埼灯台から218度1.7海里の地点で,正船首方わずか左1,550メートルに九翔丸の船尾灯を視認し,そのころ自船のすぐ前を同航する第三船が左に寄ったので,これを追い越すこととして少し右転し,19時09分門司埼灯台から217度1.2海里の地点に達したとき,針路を037度に定め,関門航路東側境界線上を11.3ノットの速力で進行した。
 19時10分B指定海難関係人は,門司埼灯台から217度1.0海里の地点に達したとき,九翔丸の船尾灯を左舷船首8度1,050メートルに見るまでに接近し,そのまま進行すれば,幅員が最も狭い関門航路屈曲部の門司埼沖合で,同船に著しく接近することとなり,同船が自船を安全に通過させるための動作をとらなければ追い越すことができず,しかも右舷前方から強い西流を受け,右舵をとっても舵が効きづらい状況であったが,関門航路の特定航法及び航路事情を知らなかったので,門司埼沖合で自船が予定していたのと同様に九翔丸が航路に沿ってゆっくりと右転するので大丈夫と思い,減速するなど追越しを中止することなく,追越し信号を行わないまま,九翔丸の右舷側至近を追越す態勢で接近した。
 19時13分B指定海難関係人は,門司埼灯台から217度700メートルの地点に達し,九翔丸を左舷船首16度540メートルに見るようになったとき,針路を門司埼を50メートルばかり離す032度に転じ,依然,減速するなど追越しを中止することも,追越し信号を行うこともせずに続航した。
 19時14分少し過ぎB指定海難関係人は,関門橋下を通過し,19時14分半門司埼灯台から255度100メートルの地点で,航路に沿って転針しようと右舵10度を令したが,強い西流の影響を受けて舵効が現れず,19時15分少し前九翔丸が自船に向かって急速に接近してくるのを認め,右舵一杯,半速力前進,次いで機関停止としたが効なく,ブ号は,ほぼ原針路のまま,8.2ノットの速力で,前示のとおり衝突した。
 衝突の結果,九翔丸は,右舷中央部外板に破口などを生じ,ブ号は,球状船首左舷側に破口及び左舷船首部外板に擦過傷などを生じたが,のちいずれも修理された。

(航法の適用)
 本件は,夜間,港則法の適用される関門港関門航路において,両船が東行中,追い越す態勢で後方から接近するブ号と先航する九翔丸とが門司埼沖合で衝突したものであり,その適用航法について検討する。
 ブ号が,九翔丸の船尾灯だけを視認し,同船を追い越そうとする場合,西流が強く,幅員が最も狭い関門航路屈曲部の門司埼沖合の転針地点に差し掛かり,しかも同船の前後に他船が存在するなど,周囲の状況を考慮したとき,九翔丸がブ号を安全に通過させるための動作をとらなければ追い越すことが困難なうえ,ブ号が他船の進路を安全に避けられなくなる状況にあったといえる。かかる状況下,ブ号が九翔丸を追越し中に発生したものであり,港則法施行規則第39条第2項を適用するのが相当である。

(本件発生に至る事由)
1 九翔丸
(1)A受審人が,ブ号が門司埼沖合で自船を追い越すことはあるまいと思っていたこと
(2)警告信号を行わなかったこと
(3)A受審人が,転針前に転針側後方の状況確認を行わなかったこと

2 ブ号
(1)B指定海難関係人が,関門航路の特定航法及び航路事情を知らなかったこと
(2)追越し信号を行わなかったこと
(3)追越しを中止しなかったこと

3 その他
 衝突地点付近が関門航路屈曲部で,同航路のうち幅員が最も狭い水域であるうえ,当時西流の強潮流時にあたっていたこと

(原因の考察)
 本件は,九翔丸が船尾方に追越しの態勢で接近するブ号を認めたとき,警告信号を行って追越しを中止させていたなら,防止できたものと認められる。
 したがって,A受審人が,ブ号が門司埼沖合で自船を追い越すことはあるまいと思い,警告信号を行わなかったことは,本件発生の原因となる。
 A受審人が,転針前に転針側後方の状況確認を行わなかったことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,九翔丸の右舷後部至近にブ号が接近しており,直進または左転して同船を避航しようとしても時間的余裕がないばかりか,強い西流の影響を受けてその後の操船が困難となることが予想される上,門司埼沖合の航路屈曲部で,圧流されないよう操船に専念し,前方を注視して同航船に後続して航路に沿い通常の転針を行っていたことから,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,これは,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
 一方,ブ号が,九翔丸を追い越す態勢で関門航路を東行中,同航路の特定航法及び門司埼沖合における強潮流による圧流の影響などの航路事情を知っていたなら,関門埼沖合で同船に著しく接近するおそれがあるとき,減速するなど追越しを中止することにより,本件は発生しなかったものと認められる。
 したがって,B指定海難関係人が,関門航路の特定航法及び航路事情を知らず,追越しを中止しなかったことは,本件発生の原因となる。
 ブ号が,追越し信号を行わなかったことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,これは,追越しを前提としたものであり,追越しを中止しなければならない状況であったのであるから,本件発生の原因とならない。
 衝突地点付近が関門航路屈曲部で,同航路のうち幅員が最も狭い水域であるうえ,当時西流の強潮流時にあたっていたことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。

(海難の原因)
 本件衝突は,夜間,関門航路門司埼沖合において,両船が東行中,九翔丸を追い越す態勢のブ号が,同航路の特定航法及び航路事情について不知で,追越しを中止しなかったことによって発生したが,九翔丸が,警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人等の所為)
 A受審人は,夜間,強西流下の関門航路門司埼沖合において,同航路を東行中,右舷船尾方から自船の右舷側を追い越す態勢で接近するブ号を認めた場合,同船を安全に通過させることが困難な状況であったから,同船に対し,追越しを中止するよう,警告信号を行うべき注意義務があった。しかるに,同人は,ブ号が門司埼沖合で自船を追い越すことはあるまいと思い,警告信号を行わなかった職務上の過失により,門司埼に並航するころ同航路に沿うよう右転し,ブ号との衝突を招き,九翔丸の右舷中央部外板に破口などを,ブ号の球状船首左舷側に破口及び左舷船首部外板に擦過傷などをそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B指定海難関係人が,夜間,強西流下の関門航路門司埼沖合において,先航する九翔丸を追い越す態勢で東行する際,同航路の特定航法及び航路事情について不知で,追越しを中止しなかったことは,本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対しては,海難審判法第4条第3項の規定により勧告する。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文 平成17年9月12日門審言渡
 本件衝突は,関門航路において,第21九翔丸を追い越す態勢のブンガマスラパンが,追い越しを断念し,安全な船間距離を保持しなかったことによって発生したが,第21九翔丸が,動静監視不十分で,ブンガマスラパンに対して警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する


参考図
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