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マ・シ海峡における航行安全評価に関する調査
(マ・シ海峡プロジェクトの費用対効果分析)
伊崎 朋康
(財)運輸政策研究機構国際問題研究所(JITI)
 
1. 調査の目的
 マラッカ・シンガポール海峡(マ・シ海峡)における航行安全の向上・海洋環境の保護に関し、これまで多くのプロジェクトが提案されてきているが、その必要性・重要性については、定性的な説明が中心であり、定量的評価、特に費用対効果の観点からの評価は、ほとんどなされていないのが現状である。
 最近では、多くの国で、公共事業を実施することを政策的に決定する際には、事前アセスメントの一つとして費用対効果分析を行うことが一般的となってきている。マ・シ海峡においても、所要プロジェクトの費用負担を求められている利用国・利用者にとって、個々のプロジェクトの定量的効果を知ることは、極めて重要であると考えられる。
 本調査では、日本政府で用いられている手法を用いて、マ・シ海峡の所要プロジェクトの費用対効果(B/C)分析を行ってみることを目的としている。
 
2. 評価の手法
[ガイドラインについて]
 本調査における費用対効果分析の手法としては、日本政府が海事・港湾関係の公共事業を実施する際に用いている次の2つのガイドラインを用いることとした。
・「港湾投資の評価に関するガイドライン」1
・「航路標識整備事業の費用対効果分析マニュアル」2
 
 費用対効果分析の手順は、概略次のとおり。
・現在と将来における船舶通航量を用いて、マ・シ海峡における「プロジェクト有り」と「プロジェクト無し」の2つの状態において海上交通流シミュレーションを行う。
・シミュレーションの結果を用いて、安全便益と輸送便益を定量的に計算し、経済的価格として算出する。
 
1 港湾事業評価手法に関する研究委員会編、港湾投資の評価に関する解説書2004、平成16年10月
2 海上保安庁、航路標識整備事業の費用対効果分析マニュアル、平成16年1月
3. 対象プロジェクト
 対象プロジェクトとしては、日本船長協会(JCA)の意見を踏まえ、2006年IMOクアラ・ルンプール会議で沿岸国から公式に提案された6プロジェクトのうち2つ、及びJCAからの要望プロジェクトを2つ、合計4つのプロジェクトを選定した。
(1)沈船除去
(2)航路標識維持管理更新
(3)通航分離帯(TSS)内の浅瀬の浚渫
(4)TSS東航レーン中のDW(深喫水)レーンとSW(浅喫水)レーンの入れ替え
 
(1)沈船除去
 クアラ・ルンプール会議での沿岸国からの提案では合計12の沈船リストが提示されていたところ、所要コストが極めて大きいこと、また、実際には大きな通航障害とはなっていないと思われる沈船も含まれていることから、JCAからの意見を踏まえ、優先順位が高い次の4つの沈船に絞り込んだ。(表中のNo.は、IMO-KL会議での番号を示す。)
 
No. 沈船の船名 緯度 経度 水深(m) 優先度
1 (不明) 02°56.547N 100°50.536E 16.0 1
2 MV Royal Pacific 02°27.148N 101°36.304E 16.1 2
7 (不明) 01°20.295N 103°15.468E 23.0 3
9 Sambu Indah 01°15.898N 103°19.820E 24.0 4
 
 No.1の沈船はOne Fathom Bank付近の東航レーン中に位置しており、レーンが実質的に南北に二分され、通航可能な航路幅が狭くなっている。当沈船の除去により有効幅が広がって通航船が分散され、結果として船舶密度が低下し安全性向上に寄与することとなる。
 No.2の沈船の「MV Royal Pacific」付近では、東航する深喫水船はDWレーンに向けて大きく右に転舵するため、直進してSWレーンに進入する浅喫水船との交差が発生している。この沈船を除去して可航域を広げることにより、衝突・座礁のリスクが低減される効果がある。
 また、インド洋方向から東航してくる深喫水船は、水深の浅いところが多いシンガポール海峡でUKC(アンダー・キール・クリアランス)を確保しやすくするため、シンガポール海峡に差し掛かるあたりで高潮時となるように時間調整をして航行計画を立てる場合が多いが、その場合、No.7とNo.9の2つの沈船付近を通航する時は高潮時にならず、UKC3.5メートルを確保することが難しくなる。さらに、この付近の通航路は特に狭いため、大型船は、これらの沈船を避けるために、変針を頻繁に行わざるを得ない場合が多い。
 このプロジェクトの所要コストとしては、IMO-KL会議での沿岸国からの提案どおり、調査費として4百万USドル、沈船1隻当たりの除去費の15百万USドルをそのまま用いて、合計で64百万USドルとした。また、プロジェクトの耐用年数としては、マ・シ海峡では約3年毎の頻度で障害物となる沈船が発生していることから、4隻分として、耐用年数12年とした。
 
(2)航路標識の維持管理更新
 本プロジェクトは、現在、マラッカ海峡協議会(MSC)が実施しているものをベースとしている。IMO-KL会議で提案されたものは、2007年以降、10年間分のプロジェクトとされているが、本調査では、目標年次を2020年としていることから、評価対象プロジェクトも2020年までとしてコストを算出した。
 
(3)浅瀬浚渫
 これは、JCAとして最も優先順位が高いプロジェクトである。この2つの浅瀬付近は、大型船にとってマ・シ海峡中で最も航行が難しい箇所であり、実際のところ、大型船同士の衝突事故の多くがこの2地点付近で発生している。
 1箇所目の浅瀬は、Batu Berhantiの北に位置している。東航するコンテナ船の大多数がシンガポール港に入港するが、それらの船舶は、SWレーンを通ってBatu Berhantiを通過してから、シンガポール港に向かって大きく左に転舵し、速度を落としながらDWレーンを横切ることになる。その結果、DWレーンを東航する深喫水船の進路を塞ぐこととなる。さらには、この近辺の強い潮流の影響で船位制御が難しいため、浅瀬に近づきすぎたり、反対(西航)レーンに進入したりという危険な状態に陥ることがしばしば起こっている。
 2箇所目の浅瀬は東航DWレーン中、Buffalo Rockの西に位置している。
 浅瀬の北側を通る東航船は、しばしば、浅瀬との距離を大きく取りすぎて、西航レーンに進入してしまうことがある。その一方で、西航レーンはこの先でやや左に曲がっているため、西航行船は、ショートカットをするためにレーンの南側のほうを航行する場合が多く、このため、し東航船と西航船が輻輳することとなる。
 本プロジェクトの所要コストは、海図上、水深24メートル以浅のエリアについて浚渫することとして、約43百万USドルと算定した。
 
(4)DWレーンとSWレーンの入れ替え
 JCAからの要望の2つ目のプロジェクトは、東航レーンにおけるDWレーンとSWレーンの入れ替えである。本プロジェクトは、実現すれば大きな効果が見込まれるが、現行の航行ルールを大きく変更するものであるため、将来、通航量が増加した場合における一つの選択肢として考えるものである。
 本プロジェクトの効果は、マ・シ海峡中の多くの箇所で見ることができる。まずは、東航船におけるRacon D付近のDWレーン進入口では、現在、深喫水船は内側(北側)を、浅喫水船は外側(南側)を航行しているところ、多くの浅喫水船は、ショートカットをしてDWレーンにまで進入してきており、DWレーンが混雑し、深喫水船の航行が困難となっている。
 次に、レーンの入れ替えにより、TSS全域にわたり、東航する深喫水船と西航船との距離が大きく保たれることとなる。
 また、Batu Berhanti付近では、SWレーンが内側(北側)に位置していることにより、東航してシンガポール港に入港しようとする浅喫水船が、東航する深喫水船の針路と交差することが無くなり、同様に、シンガポール港を出港して東航レーンに入る浅喫水船においても、深喫水船の針路と交差することがなくなる。深喫水船は、シンガポール港に入港することは希であり、外側(南側)に位置するDWレーンを、シンガポール港に出入港する浅喫水船の影響を受けることなく、直進することが可能となる。
 本プロジェクトの所要コストについては、TSS中、何カ所かの浚渫が必要であることから、322百万米ドルと算出した。
 
4. 通航量予測
 費用対効果分析における入力データとして、マ・シ海峡における2004年と将来予想値(2010年と2020年)の通航量を用いた。将来のマ・シ海峡通航量の予測手法は次のとおり。
・過去の全通航データ(OD表、ワールドワイド)から、国連統計・OECD統計の経済指標の予測値を用いて、将来の荷動き需要(OD表、ワールドワイド)を推定する。
・将来の荷動きのOD表から、マ・シ海峡を通過するものを抽出する。
・荷動きデータを貨物量(DWベース)に変換し、更に隻数に変換する。
 予測結果は下表のとおりであり、通航量はコンスタントに増加して、2020年には2004年の約1.5倍に増加することが分かる。
 
暦年 2004 2010 2020
DWトン(10億DWT) 4.0 4.7 6.4
隻数(千隻) 94 117 141


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