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門川 貴信(かどがわ たかのぶ)
(昭32.12.26生)宮崎県宮崎市
 
 宮崎の豊かな自然と人々に触れる中で、不登校児の生命力を高め、豊かにして、学校と社会に必ず戻すことを目的にセカンドスクールを開校し、無償の活動を続けて大きな実績を挙げている。
推薦者:長谷川 隆治
 
Mr. Takanobu Kadogawa (born December 26, 1957) Miyazaki City, Miyazaki Prefecture
 
 Since openmg a "school for outdoor life," Mr. Kadogawa has engaged in continuous volunteer activities with the objective of enriching the vitality of children that refuse to go to school. Through contact with the bountiful nature and people of Miyazaki, these activities are intended to ensure that such children will return to school and society. These endeavors have had remarkable success.
Recommended by: Mr. Ryuji Hasegawa
 
 1984年、わが子の死産をきっかけに、人生を無償の社会貢献に捧げようと決心し、海岸の公衆便所の清掃や青少年を指導する夜間パトロールを始めた。公衆便所の清掃やバイパス下のゴミ拾いは現在も毎日続けている。学校の保健室で不登校児の世話をしていた時、傷ついたこども達の居場所を作る必要性を痛感し、1999年2月宮崎の豊かな自然や地域の人との触れ合いの中から不登校児に学校に戻る力をつけさせることを目的として「自然楽校・未来船(しぜんがっこう・みらいせん)」を開校した。
 自然楽校では具体的な活動を予め定めることはしない。その時の気分次第、天気次第である。アカウミガメの観察、川での釣り、サイクリング、遠足で採った貝や山菜などを使った料理、サーフィンなどなど、自然の力を借りながら、生きる喜びを伝えることが、同校の授業である。
 同校の特徴は、不登校児が学校に行けないことを認めるのでは無く、学校に必ず戻すことを明確にしていることである。「学校に通うことが全てではありません。けれど、環境の整った日本の学校教育を放棄するのはもったいないです」と門川さんは言う。楽校と我苦校の二つで未来船、常に表裏一体。優しさと同時に厳しさも併せ持ち「学校や社会では理不尽なことにも直面する。耐える力も必要なんだ」と言う。ひきこもりや不登校などで、門川さんを頼ってきた子どもは全員受け入れ、開校7年で既に102人の子ども達が学校・社会に自ら帰って行った。門川さんはこれらを全て無償で行い、子ども達からの月謝や実費などの費用は一切とらない。「大人の社会で傷ついたのだから大人が協力するのは当然だ」という信念からである。
 教育とは型にはめることではなく、それぞれが輝き、他人を認め、共に自由に学ぶ楽しさに気付かせることであると語る門川さんは、現在宮崎市立木花中学校の生徒指導兼挨拶協力も委任され、毎朝校門に立ち、大きな声で挨拶しながら子ども達の様子を見守る活動を続けている。(靴のかかとを踏んで登校する児童は0人です。)
 
 
受賞の言葉
 子ども達、自然さんに協力をさせて頂き21年に成ります。未来船を開校させて頂き8年です。子供たち、すべての生き物さんに感謝々です。ありがとう子供たち、ありがとうすべての生き物さん。すべての生き物さんが幸せで平和でありますように。
 
未来船の入口には「じゆうにあそんでください」とある
 
自然楽校を説明する門川氏
 
自然楽校・未来船教科書の一部
 
自然楽校・未来船の事務所
 
根本 昭雄(ねもと あきお)
(Fr. Nicholas Nemoto, O.F.M.)
(昭6.9.21生)ロシア
 
 南ア共和国で死を目前にしたエイズ患者の心のケアと看護に15年にわたって取組み、彼らが人間の尊厳を保ちながら喜びと平和のうちに旅立つよう力を尽くし、また孤児・身障者・ハンセン病患者の福祉向上とスラムの支援に尽力した。
推薦者:社会貢献支援財団 事務局
 
Father Nicholas Nemoto, OFM (born September 21, 1931) Russia
 
 For 15 years, Father Nemoto cared for and nursed terminal AIDS patients in the Republic of South Africa, endeavoring for them to die contentedly, peacefully, and with human dignity. He also strived to improve the welfare of orphans, people with disabilities, and sufferers of Hansen's disease while also supporting people living in slums.
Recommended by: Secretariat, FESCO
 
 フランシスコ会の根本神父は1991年60歳で南アフリカ共和国に赴任した。同地で猛威を振るうエイズで、貧しい人々特に幼い子供が次々と死んでゆく現実を目のあたりにして、エイズ患者のケアに全力を尽くすことを決意し、ヨハネスブルク郊外の末期エイズ患者ホスピス「セント・フランシスコ・ケアセンター」で、エイズ患者の心のケアと看護に携わってきた。
 ケアセンター約74のベッドの半数には乳幼児の患者、残る半数には成人の患者が収容されている。患者はここに入って平均3日で息を引きとる。生きてここを退院した人はいない。嘔吐が始まると死は数時間のうちにやってくる。マザーテレサの「死を待つ人の家」を思わせるが、ここでの生存期間はそれより遙かに短い。根本神父が看取った患者は毎年数百人に上る。神父は朝晩2回全ての患者を見回り、爪をきってほしい、足をさすってほしい、髪を切ってほしいなど、一人一人の要望に応え、またカウンセリングを行う。耐えられないほどの痛みとだるさを訴えるエイズ末期患者の足をさする神父に成人の患者は喜びを表すが、幼児の患者にはその元気すらない。大切なことは彼らが人間の尊厳を保ちながら喜びと平和のうちに神のもとに旅立つことだと神父は言う。
 世界のHIV感染者約4000万人の3分の2はサハラ以南のアフリカ諸国に集中し、南ア連邦の人口4400万人のうち、HIV感染者は500万人を超えて年々増加している。HIV感染の母から生まれた幼児の感染者も多い。エイズ問題はアパルトヘイト後遺症や貧困の問題と切り離せず、その解決の道は「命の教育」しかないと根本神父は信じて青少年の教育に取組んできた。神父はまた、孤児・身障者・ハンセン病患者の福祉向上に努め、スラムでの相談活動や食糧・資金援助に力を尽くし、更にエイズ患者同士の国際交流と連携・国家間協力の必要性を説いて止まない。一昨年秋から神父はロシアに移り、ストリートチルドレンやエイズ患者の水面下での急増など同国が抱える困難な問題との取組みを始めている。
 
 
受賞の言葉
 私は南アで黒人地区の教育とHIVエイズ患者のケアに私の毎日を捧げて来ましたが、正直、私は、彼らに何もしてあげることができませんでした。
 しかし、この度の表彰で大きな励ましと力を頂きました。頑張って生きます。
 
スクウォータキャンプ(黒人スラム)の子どもたちと父のように接する神父
 
 
痛みを訴えるエイズ患者にマッサージ
 
霊安室に納められた死者の冥福を祈る


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