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フォーラム本編
マンガフォーラム第3回 「マンガを使った魔法の(チャレンジ)授業」
 
【午前の部】
 
東京財団会長あいさつ/日下公人
 
 日下――先日、学生時代にどのクラブに所属していた仲間が一番出世したかという話になりました。1人は、山岳部の仲間がみんな偉くなっていると言いました。私は、写真部の友だちがみんな偉くなっていると言いました。これは総合的にものを見るからです。
 山岳部は、山の上から見ていると気持ちがいい、人生も社会活動もそれでやってきたと。そして、みんな写真機を持っていました。素晴らしい景色をみんなに見せるためで、自分の感動を人に見せるにはどんな写真がいいかを考えているのです。写真部の連中は、撮るときに焦点を決めて、それにふさわしい背景を決めて写真を撮ります。ただ美人がいるから撮るというのではなく、もっと美人に見せるための道具立ても考え、タイミングも考えている訳です。どうやらそういうことが、官庁に行っても、学者になっても、サラリーマンになっても、良かったらしくて、局長、次官、あるいは重役、社長になっているし、大学教授になっても目に見えるようなものを書くのです。本人がイメージを持って書いている。学術論文でもそれがこちらにちゃんと分かります。
 「知識教育とイメージ教育の両立」がこのフォーラムのテーマです。今まで文部科学省はなぜ、知識教育、頭脳教育ばかりしてきたのか。それは身の回りに実体験とイメージがたくさんあったから、学校で教えるまでもなかったのだと思います。ところが最近は、子供たちは実体験の場がなくて、それに代わるのがマンガ、アニメ、ゲームなのです。
 そういう訳で、このフォーラムに期待をしています。
 
講師紹介
 
 谷川――私は、今年度のフォーラムの全体のまとめ役を務めています。
 
 笹本――筑波大学で芸術をやっています。本来の専門はグラフィックデザインですが、マンガ、絵本などの研究をしており、絵本学会、日本マンガ学会の役員などもしています。マンガの研究にしても、色々なアプローチの仕方があると思いますが、私の場合は、マンガを映画や小説と同等の物語表現の1つとして捉えて、マンガの表現を支えるメカニズムを研究しています。
 
 二瓶――筑波大附属小学校は専科制をとっており、私は国語を専門に教えています。愛読書を1冊挙げろと言われれば、手塚治虫の『火の鳥』を挙げます。本日は、小学校の国語教育に手塚マンガを導入出来ないかと考え、実践したことをご紹介したいと思います。
 
 牧野――京都精華大学のマンガ学科でマンガを講じています。昨年、比叡山に表現研究機構マンガ文化研究所が立ち上がり、最初の支援事業として日本マンガ学会を作りました。京都精華大学は来年からドクターコースを設けますので、いよいよマンガ博士が誕生することになります。
 
 長澤――寛政中学校の美術科で教えています。マンガを熱心に研究しているという訳ではなく、素人の立場から中学校の教育現場にマンガをどう活かしていくかということを、少し書いたことがあります。今日は、後ほどいくつか提案をし、また勉強させていただきたいと思います。
 
 渡邊――神奈川県で34年間、歴史教師を務めました。20数年前に、知識を教えているだけで授業が面白くないという不満が出たのにショックを受けて、それ以来、生徒と共に考えられる教材が必要だということで、実物、絵図、写真などと共に諷刺マンガを取り上げるなど、自分なりに授業を工夫してきました。今日は、諷刺マンガが教材としてどういう意味があるか、問題提起させていただきたいと思います。
 
 萩原――横浜の県立白山高校で英語を教えています。マンガの実践をしたのはかなり前のことです。授業に関心の向かない生徒を教えていたこともあって、生徒をどうやって英語に向かわせるかということで、歌や映画などと共にマンガも使ってきました。今日は、こんな風にマンガを使えるというアイデアを紹介してみたいと思います。
 
 谷川――最初に牧野先生にご講演をお願いします。
 
「マンガで教育」牧野圭一
 
 牧野――私は読売新聞で諷刺マンガを描いていました。京都精華大学では、諷刺マンガは芸術学部デザイン学科の中の諷刺画として、当時の文部省に届けてあり、「マンガ」という言葉は大学の政策上の表現でした。30年以上そういう状態が続き、2000年度に至ってようやくマンガという言葉が使えるようになりました。しかも、大学の中では大変な昇格をしてマンガ学科が出来、今年で3年目になります。1クラス40名、カートゥーンには20名の学生がいますから、精華大学のマンガ学科には毎年60名の学生が入ってきているのです。そこには、日本語を2年ぐらい学んでから入ってくる韓国の学生、台湾、中国、アメリカなどの留学生もいます。試験の倍率も10倍から20倍近くなっていて、大変優秀な学生が全国から集まってきています。4月に入学して、何もテクニックを教えないうちに5月末には1冊のマンガ誌を作ってしまうような学生たちです。精華大学ではもっと施設を充実させなければいけないと考えていますが、例えばCG(コンピュータグラフィックス)教育をしようとすると、すぐコンピュータの台数が問題になりますから、学生数をむやみに増やせばいいというものでもありません。
 そして、精華大学では情報館と言っていますが、大学図書館に4万冊のマンガ本を入れています。マンガ学科を作る時も、図書館にマンガを入れる時も、内外から大変な抵抗がありました。比較的に外の方は理解があるのですが、内の方はなかなか説得が難しかったのです。それでも学生たちが大学図書館で熱心に本を読む姿を見て、批判はほとんどなくなりました。アニメーションに関しても、ビデオテープ、映像機器等がそろっていて、資料も大変に豊富です。そういう恵まれた環境の中でマンガ教育が行われています。
 現役の作家である竹宮恵子さんが教授を引き受け、脚本演習を担当しています。アメリカ人助教授、マットさんが担当する、外国マンガと日本マンガの比較文化論もあります。また、元小学館編集長の山本順也さんも教授として来てくださっているので、東京のほとんどの出版社との人的つながりが出来ています。だから、日本画や洋画を選んだ学生がストーリーマンガを描いて、竹宮さんや山本さんに見せに来ることもあります。
 学科開設以来、大勢の方が見に来られ、たくさんの質問を受けますが、代表的なのが「マンガは教えられるのですか」というものです。マンガは教えられるものではないという考えが根強くあって、マンガを理屈っぽくしたら面白くなくなるでしょう、サブカルチャーとして人の目を盗んで描かれたようなものが力があるのであって、学校で教えるようなマンガは面白くないでしょう、というのです。特に仲間の作家たちは、今でもそれを厳しく指摘します。だから牧野のマンガは面白くないんだという、個人的な攻撃もあります。(笑)
 ところが大学では人気学科となっていて、たくさんの学生が入学してきますので、守備範囲も広げていかなければならない。京都の一番高い場所である比叡山に元ホテルを購入し、文部科学省の支援を得て立派なマンガ文化研究所も作りました。表現研究機構という枠内に、文字文明研究所、マンガ文化研究所、映像メディア研究所が鼎立しています。マンガ文化研究所の最初の支援事業として日本マンガ学会を立ち上げました。学長が会長という形を採っていますが、事実上は独立した研究者の集まりであって、3年後には東京の大学に拠点を移すことになるでしょうが、今は揺籃期ということで比叡山が拠点になっています。
 手塚治虫さんがおられた頃は、PTAから悪書の作者として吊るし上げられたほどですから、授業でマンガを使うといった現在の状況をご覧になったら、きっと驚かれると思います。それほど短期間にマンガのイメージは急転回しました。
 私が京都に来てから7年になりますが、その間にもマンガ学科が出来、文部科学省がマンガ研究所の資金を出し、ドクターコースが出来てマンガ博士が誕生するというように、大変な変化です。問題は、学生たちが何をするのかです。「みんなマンガ家になるのか」という質問もあります。そんなにマンガ家を作ってどうするのかと。これまたマンガ家たちから指摘されます。専門学校もあるし、各プロダクションでもアシスタントとして育っている。もう飽和状態だというのです。
 そういう声に私たちは正面から答えなければなりません。私は「全部がマンガ家になる訳ではありません」と言い切っています。実際、自分の住む町内でマンガがちょっと上手い奥さんという評判を得たいという学生もいますし、マンガの描ける看護士、医者、弁護士という人がいてもいいではないかという話にもすなおに頷いてくれます。だから、マンガ技術を究めてマンガ博士になるというよりも、自分の研究成果をマンガで伝えたいという意図から、医学博士が精華大学でマンガのドクターも合わせ取る、といったケースがあるのではないかと考えています。
 大学の理事会、同僚なども、マンガ学科ではどんなことが行われていて、将来どうなっていくのかを、実像としてしっかりと捉えているわけではありません。私は、ここで1つの事例をもって、その答としたいと思います。
 「ロボットの現実性とマンガの空想性を融合した創造性育成法の開発」という、高知工科大学の王碩玉先生を中心とした研究が行われていて、これは「新世紀型理数科系教育の展開研究」という文部科学省の科学研究補助金が付いた特定領域研究の1つになっています。文部科学省には、理数科離れが激しい中で、なんとか学生の興味を理数科に繋ぎ止めたいという深い思いがあって、こういう補助金事業になっていると理解しています。
 たくさんの研究が行われていますが、その中で王先生だけがマンガという言葉を使っています。理数科といえばマンガとは一番遠い分野であるように思いますが、王先生は中国人ですから、日本の教育現場でマンガが継子扱いされていることを知らず、率直にマンガを使おうとお考えになったとご本人から伺っています。
 王先生は、ロボットを研究しておられ、先生の研究室でまず目を引かれるのは、馬のあらゆる動きを再現出来る、等身大ロボットです。他に真横に移動出来る車椅子というのもありますし、中国医学で人体のツボを学習するためのロボットも作っています。王先生のゼミの学生たちは、毎年行われているロボットコンテストに参加するため、学校に泊り込んでロボットを製作するそうです。その時、王先生はあることに気づきました。
 ロボットコンテストでは、例えばボールを早くバスケットに入れて対戦相手に勝つといった課題のためにロボットを作るのですが、設計図を引いて製作を始めると、学生たちはアルミ材料を切ったり穴を開けたりする作業だけに神経を集中させてしまって、創造力がどんどん失われていくのです。これではまずい、と王先生は感じました。最先端の技術開発は常に豊かな夢と一緒でなくてはいけないのではないか、と思ったのです。
 そこで、人を介して私にお話がありました。王先生は、先に述べた文部科学省の補助金事業に触れて、共同研究者として名前を使わせて下さいと言うのです。「それは構わないですが、マンガという言葉を使うのはまずいのではないですか」と私が言うと、「いえ、マンガを使うからいいのです」と王先生は自信を持っておっしゃいました。実際に、王先生の企画は採用されました。
 大変行動力のある先生ですから、早速1つのロボットを製作して、2002年11月から2003年1月までに小学校の現場で動かそうとしています。ロボットには子供が乗れるようになっていて、すでに王先生のお子さんが乗っている映像がコンピュータに入っています。真横に動く車椅子の原理を応用した駆動部分は自在に動きますが、わざわざスムーズに動かずガクンとなるよう設計してあります。これに子供たちを乗せて感想を聞こうというのです。完璧に出来てしまうより、欠陥があった方が創造力が生まれるのではないかという訳です。つまり、もっと速く、もっとスムーズに動いて欲しいという希望が出るのではないか、というのが王先生のお気持ちです。
 ロボットを設計して作れるような人は、これまでの評価でいえば理数科の成績が上位の人たちです。しかし、マンガ家には、理数科が得意だったような人はほとんどいませんから、従来型の評価では落ちこぼれでしかなかったと思います。自分はロボットを作って一緒に空を飛びたいけれど、それが出来ないからかえって夢がふくらむ。精華大学マンガ学科の学生たちは、やはり理数科はあまり得意ではないと思います。
 しかし、王先生とお話しているうちに、開発の場に両方の発想法が必要であることが分かりました。もちろん、ルールに則って相手方の製作物を凌いでいくためには、相当の知能と技術力がなければ出来ないのですが、その時に創造力が失われていく。王先生は、現実的にロボットを作る能力を空想性で繋いで、そこで生まれた想像を製作に生かすというサイクルを考え、それがスパイラル状に上昇していくイメージを持っています。そして、マンガの表現力を高く評価しており、それを導入したいというのが希望なのです。
 では、具体的にはどうなのかということで、2つの資料を持ってきました。1つは、ストーリーマンガの一部を切り取ってありますが、マンガ甲子園ブックバージョンに掲載されたもので、高校生が家族をテーマに描いています。この家族は、交通事故で自分の係累を失った独り者が3人集まっている、特異な家族です。一番年上の人はロボット工場に勤めていますが、ある日、そこで作ったロボットを家で面倒を見ることにしたと言います。それも、大上段にふりかぶってロボットが入るから賛否を問うとかいうのではなく、さらりと言っている。人間と区別出来ないような精緻なロボットが出来るのは何十年先になるか、あるいは出来ないかもしれませんが、マンガの中ではすでに完成が約束されていて、それがどういう状況で特異な家族に入り、家族たり得るのかというテーマで、高校生がマンガを描いているのです。
 もう1つは、精華大学の3年生が描いたマンガで、3D映像人間が恋人になるという話です。バーチャルな映像ですが、触覚も体温もあって、人間と変わりがない。それが恋人になった時、主人公の意向に沿ってどんどん変身をしてしまうのです。どんなニーズにも応えてくれる恋人が出来た時、それは幸せなのかどうかということを、作者は考えているのです。他にもたくさんの事例があります。もちろん、アトムもドラえもんもそうですが、マンガの世界ではすでにロボットと共生する事はごく当たり前のこととして扱われてきました。
 学生たちが課題に沿ってロボットを作って、競技で相手に勝ったとして、そのロボットは何のために闘ったのか?何の目的で作ったのか?という問に、答えなくてはなりません。
 私はロボットコンテストを最初の頃からずっと見ていますが、現在すでに初期の単純な課題ではなくなり、部外者の眼からはおそろしく難しい課題を出して、それにチャレンジするように仕向けられています。工科系の課題としては当然かもしれませんが、その延長線をたどればアメリカのロボット研究のように、いかに自軍は血を流さずに相手を全滅させるかといった、軍事戦闘用ロボットの研究になってしまうのです。機能性だけを追求するとそういうロボットになってしまいます。
 日本は違いますね。おばあちゃんたちが、「アイボ」を本当に可愛がっている。あるいは、階段を登るだけなら四足歩行や六足歩行のほうが安定しているのに、ホンダの「アシモ」のように、わざわざ二足歩行にした。上司が現場の技術者に「きみ、アトムを作れよ」と言って、あの二足歩行ロボットが出来たそうです。介護ロボットなどのように人間の側にいるロボットは、二足で歩いた方がいいし、お酒を飲んだら赤くなったり、風景を見て「きれいですね」と言える方がいい。そういう人間臭いロボットの研究は、すでに日本各地で行われています。
 これらは工学系だけの発想ではなく、おそらく相当にマンガ的思考が入り込んでいるのではないか、手塚さんや藤子さんの影響がきっとあるだろう、と私は感じています。王先生のような方の出現で、その意をますます強くしております。
 マンガは自在な発想で、本音を伝えます。
 ケータイの複雑な機能を、若い人は自在に使いこなしていますが、私などは携帯電話としてしか使えません。私ほどひどくなくても、年配の人たちは、電車の中で凄まじいスピードでメールを打っている「親指族」の若者にはついていけないと思います。いかに機能を盛り込んで携帯電話を付加価値の高いものにし、市場を独占するかという発想は当然ですが、老人でも3つぐらいのボタンで使えるようなものもぜひ作って欲しいと思います。
 この前、精華大学の学生と滋賀県の笠縫公民館の親子、さらに小田原のマンガ家の3ヶ所を繋いでマンガ教室を開きました。課題は「新しい携帯電話をペンギン博士が作りましたが、それはどういう携帯電話でしょうか」という同じ課題で、マンガに挑戦してもらいました。例えば、こちらでケータイのボタンを押すと、向こうではお母さんペンギンに指圧をしてくれる、出張先から親孝行出来る携帯電話。会いたい人にダイヤルすると、ドラえもんのタケコプターみたいになって相手のところに運んでくれる携帯電話。
 昔だったら、「そんなことばかり考えているから理科の成績が上がらないんだ。」と先生に叱られたでしょうが、そういう自在な発想をする連中が頭のいい学生の横にいて、茶々を入れながら共同で新しい機器を開発していくという姿がいいのではないか。そうすれば落ちこぼれがいなくなる、という話を王先生としている訳です。つまり、王先生は優等生の代表で、私は劣等生の代表として会談しているのです。
 “劣等生”という言葉はこれから使ってはいけなくなるでしょうが、先生の目を盗んでマンガを描いているのも、決して頭が悪いのではなく、使っている脳の場所が違うのではないかと考えます。だから、そういう自由な発想が出来る学生と、ロボットを作れるような学生が一緒になって勉強することが大切であるということ。その間を繋いで表現していくのがマンガということです。
 王先生が作ったロボットに対して、小学生が、僕ならこういうデザインにする、こんな機能にするといったことを描いてくれる。それを王先生のグループが取り込んで機能を高めて、また学校に持っていって見せる。子供たちは、とんでもない要求をするかもしれないけれど、それをダメだとは言わずに、面白い発想だと捉えていくことが大事です。そこに、マンガを単に作品としてだけではなく、自由な発想法として、授業の中に生かしていくヒントがあるのではないかと思います。


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