日本財団 図書館


フォーラム本編
 谷川――私自身がマンガに長年、どっぷりと浸り切ってきたという訳ではございません。『釣りキチ三平』で著名な矢口高雄先生にお会いして私のマンガの人生が開かれ、それ以降、自分の教育研究の幅が随分広がったと実感しております。
 マンガフォーラムでは、特にマンガというものに教育の世界でどのように取り組んでいくのか、あるいは人間の形成にとってマンガはどういう意味を持っているのかということについて、多角的な視点から1年間かけて討論しようということで、全体のとりまとめ役を私が仰せ付かりました。
 最初に主催者である東京財団の日下会長から、ご挨拶をいただきたいと思います。
 
【主催者挨拶・三つの視点】
 日下――東京財団は日本財団からお金をもらって、「良いことに使え」と言われている団体です。もともとはモーターボートの舟券の売上高の3.3%が法律によって日本財団へ行くことになっておりまして、曽野綾子さんという会長が自ら良いと思ったことにお金を出す。それが1年に何億円か回ってくる訳です。私はまた私で良いと思うことがありまして、色々な事業テーマを立てております。
 ちょっと口幅ったいことになりますが、私は30歳ぐらいからありとあらゆる審議会、研究会、懇談会、座談会などに出て、自分も本を書き、意見を言い、人々と議論を40年もやってきたものですから、世の中で言われる大抵の議論については、「ああ、それは1965年型だ」「それは1980年型」と自動車の年式のようなものが見えます。全く新しいものが出てきたら、「あっ、これは知らなかった」と感心しますが、その中の一つにマンガ・アニメの研究があります。幸い、野崎さんが「それはおもしろい、私がやります」と言って、色々な人を集めてきてくださいまして、集まった方の議論を聞くと、今まで社会の表通りでは聞けなかったことをおっしゃいます。裏通りと言っては失礼ですが、マンガ・アニメの世界、子供の世界を教えて下さいます。それをようやくこの頃は文科省も、「教育上プラスであろう」なんて認めるようになりました。
 しかし、マンガ・アニメ論にも、古いタイプの議論が入ってくる恐れがあります。どういうのを古いタイプかといいますと、3つあります。
 まず、1番目は経済からの視点で、日本はすでに世界で最高の所得を持っている国になっているということを忘れて、相変わらずその昔の貧乏時代の考えが正しいと思って言っている議論です。これだけ金を持っていて、不景気だなんて言ったら、世界で笑われます。不景気でないという意見は今のところ新聞やテレビには出てきませんが、多くの国民は黙って実行しています。従いまして、ここから子供に何を教えるべきか。今までの教育で言っていた学力というのは、イギリスやアメリカに追いつくための学力です。追いついてしまった時の学力は全然別です。それを示しているのが、宮崎さんであったり、任天堂であったり、ピカチューであったりする。それを、アメリカの子供は分っていますが、日本人が分かっていません。
 2番目は、今までは効率良く追いつこうと思っておりましたから、議論がすべて部分最適なんですね。人は皆専門家になって、自分の守備範囲の中で「一番いいのはこれです」と言う。したがって総合最適という議論が全く日本中から抜けてしまった。昔はあったんですけれど、高度成長の過程で総合最適を言える人がいなくなった。多少総合最適の兆しがあるのは、野球よりサッカーがおもしろい、ということですね。野球よりサッカーの方が総合的でイメージ的なスポーツですが、そちらの方へ目が開いてきたようです。
 文部科学省とか教育学の教授とかが出てくると、多分立派なことはおっしゃるでしょうが、でもそれは皆、部分最適です。総合最適としてどうなのか。これは子供は分かっていまして、「学校で褒められてもちっとも幸せにならない」「いい点を取ったって仕方がない」「もっと本当のところを責任を持って教えてくれ」と、子供がそう言っています。
 ですから、教科書で教えるのではなく、マンガでもやらせておいた方がよほどいい。子供はそう思うから、自信を持ってマンガをやっている。という訳で、2番目の切り口は、総合最適という視点からのマンガ・アニメ論を聞きたいということです。
 3番目は暗黙知です。まだ言葉になっていない英知が心の底の方に沈んでいる。それを暗黙知と言いますが、暗黙知に関する教育は、マンガやアニメの方がいい。そういう目で見た議論をしたいものだと思っております。
 こういう研究が進めば日本のためになるであろうということでございます。
 
 谷川――経済、総合最適、暗黙知という3つの視点から問題提起をしていただきました。今日は、大きく分けて2つ半くらいの内容で話をしていきたいと思っております。第1に、新しい世紀に入って子供を取り巻く環境などが変わりつつある中で、現代の教育の動きとマンガ・アニメの問題について、文部科学省の中軸にあって、教育改革について多くの著書を出されておられる寺脇研さんにお話をいただきたいと思います。
 寺脇先生は、文部科学省の重要なポストにいらっしゃる方ですが、かなり自由な発言をされておられまして、(社)日本漫画家協会の会員でもあるということで、マンガについても造詣の深い方です。
 第2のテーマは、里中先生を中心に、そういう状況の中でマンガはどういう意味を持っているのかということを、マンガ家の立場からお話をいただいて議論をしたいと思います。
 最後の方で、知識教育とイメージ教育という、教育の2つの面をどうマンガ・アニメーションと絡めて考えるかをまとめる方向で話をして、終了したいと思います。
 まず、寺脇先生に、日本の教育をご覧になってお考えになっている1番ポイントのところをお話しいただきたいと思います。
 
【学校週5日制は人間力を育てるため】
 寺脇――文部科学省が取らなければいけない政策を国民の皆さんに理解していただくため、昔だったら審議会の文書みたいなのを読まなければいけなかった訳ですが、より効果的にするために、初めて里中先生にマンガでパフレットを描いていただいた。今日の行政は、情報公開と説明責任が求められるわけです。情報公開といっても、ただ開けばいいという問題ではなく、アカウンタビリティというのは「説明して理解してもらう責任」な訳ですから、出来るだけやさしい言葉、分かりやすい説明をしていかなければいけない。
 そこで、マンガで描いてある方が分かりやすいのだったら、マンガで描こうと。
 あれが出た時も話題になりましたが、3年前につくった『家庭教育手帳』『家庭教育ノート』は全編マンガで説明をしている。つまり、親の世代に届く言葉で語らなければ、どんなすばらしい子育ての理念を言っても、なんぼの物でもないということです。
 行政が権威を持つことによって成り立った時代から、理解を得ることによって成り立つ時代に変わってきているのです。権威が求められた時代にマンガで示したりすると、権威なんかないじゃないかと言われたと思うんですよ。それは、真の民主主義社会になって、お上のご意向で動く社会から国民の意思を反映した社会にしていかなければいけないということと結びついている。
 先程日下先生がおっしゃったように、社会は変化している訳ですから、前はこうだったと言われても困る。まして、子供たちはこれからを生きていく訳ですから、未来に適合しなければいけない訳です。
 よく「お前がこの教育改革の首謀者だろう」みたいな言われ方をしますが、そんな事はないです。里中先生も含めて、多くの方が議論されて、未来のことを見据えれば、教育を変えなければいけないとおっしゃっている訳です。それで、そういうことを具体的に実現できるようにするのが、官僚の仕事であります。そして、まだブツブツ言っている人もいるけれど、もう4月から始まってしまったのです。
 学校週5日制も始まりました。これは今日のテーマから外れていますから簡単に触れさせていただけば、学校に長くいて先生と過ごすよりは、土曜、日曜の2日間は親や地域のおじさん、おばさんなどと触れ合えるようにしようというのが、5日制です。人間力を育てるのは、本当は学校よりも地域社会や家庭の方が得意であるはずです。
 学校的なものは必要ですが、学校的なものがあまりにも多くなりすぎてしまって、宮台真司さんや上野千鶴子さんの言葉を借りれば「学校化社会」といって、世の中が何でも学校みたいになってしまっている。学校でない所まで学校みたいになってしまって、点数は何点だったか、偏差値が何点だったか、人と同じことをいかに人よりそつなくこなすか、そういうことばかりを問われるようになってしまっている窮屈な社会だ、だから子供たちも窮屈なのは当たり前だ、と言われます。そこを変えようというのが、完全学校週5日制です。
 
【新しい学力=人間力=知識の使い方】
 今日のテーマは「学力」です。私に与えられたタイトルに沿って、4点ほどお話をしたいと思います。
 まず、新教育課程と学力低下論についてです。学力というのは何か。抽象論で言っても何の意味もない。具体的に子供に身につけて欲しい学力とは何なのかということを、整理しないで議論しても、単なる水掛け論に終わってしまうだけです。そこで、学力を4つに整理しましょう。
 1番目は、基礎学力です。「基礎・基本の学力とは人間が生活していくために必要な学力」と定義しましょう。子供たちが、「それをやって自分の生活の何になるの」と言った時に、「新聞が読めないと世の中がどう動いているか分からないから、新聞が読めるだけの国語力はつけようね」とか、「選挙に行って1票を行使する力がないと、世の中の動きに引きずられてしまうから、選挙の仕組みとか民主主義とかを学ぼうね」と言う。簡単な計算などもあります。
 2番目は、仮に応用学力と呼びましょう。「基礎学力ではないすべての学力」と定義したらいいでしょう。それを知らなくても生活に困るわけではないが、知っていた方がいいことです。ギリシャ時代の歴史なんて知らなくても毎日の暮らしには関係ないだろうけれど、知っていることによって考えを深めることができたり、それが自分の仕事に何か役立ったり、あるいはそういうことを知っていると人生が楽しいと思えるような事柄です。
 3番目に、受験学力というのがあります。受験学力を定義すると、「応用学力の一部ではあるが、試験の時にしか役に立たない性格を持っているもの」となり、日本や一部の国にだけ特有のものでしょう。
 3〜4年前にNHKが、「受験学力はこれからも必要でしょうか」というアンケートをしたら、「必要だ」という親が8割いた。その親たちにさらに、「受験学力は、あなたのお子さんの将来に役立つか」と尋ねたら、「役立つ」と答えた人は5%しかいなかった。つまり、受験には役立つけれど、思考を深めたり教養を深めることには関係ないというのです。
 そして、4番目は、今回の新指導要領で「新しい学力」という言葉を使っていますが、むしろ「人間力」という言葉の方がよほど分かりやすい。新しい学力=人間力は、知識を貯め込むのではなくて、知識の使い方を教えるということです。
 先の3つの学力は、知識を貯めることに主眼が置かれていて、使い方は全然教えてこなかった。貯める時には、国語とか算数とか理科とか社会とか、ジャンルに分けて貯める方が貯めやすいですが、使う時には、理科の力だけ使って何かをしようということはまずない訳で、色々な力を組み合わせて総合的に使っていかなければいけない訳です。
 コンピュータを使いこなす能力は、確かに今までなかった新しい力ですが、それが生きていくために必要な力になっていれば基礎学力だし、そうでなければ応用学力です。そうではなくて、どう使うかということで、これが次の「総合的学習のあり方」という話に結びついてきます。
 総合的学習というのは、まさに総合的に知識の使い方を学ぼうということです。それは、自分の考えを持つ力、自分の考えを他人に伝える力、そして価値観が分かれたり、対立したりしても、平和的に共存できるよう調整していける力の3つが、新しく求められる学力の使い方だろうと思います。
 ここで学力低下論にとどめを刺しておかなければなりません。この新しい学力は、さすがにどんなに文科省を批判する人でも否定はしません。今までは一切やっていなかったことを新たにやる訳ですから、これは力がつくに決まっている。


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