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『恋愛と贅沢と資本主義』(ヴェルナー・ゾンバルト著)
-----  日下公人
 それでは最後になりましたけれども、日下先生によろしくお願いいたします。日下先生はやはりいろいろな本を読んでいらっしゃいますが、ここではヴェルナー・ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』を中心にお話ししていただくことになっています。(拍手)
日下】 こんなに感動的な討論会に出たことは初めてです。私がこの三番目に何かが言えるかどうか、黙って聞いていて、私の時間は全部李登輝さんと金美齢さんに時間を差し上げたい、そう思っておりました。
 話が「アイデンティティ」になってまいりました。私もそう思って、この本を選びました。変なんですけど、なぜこの本かというと、これはヨーロッパが自慢する文明・文化がいかにして生まれたかという本なんです。皆さん、日本人もそうですけど、ブランド物を買いますよね。フランス、イギリス、イタリア。それから、お金ができて自分の部屋をつくるときは、どうしてもベルサイユ宮殿のようなものをつくるのです。または純日本風もあります。あるいは中国風のもありますけど、その中の一つにベルサイユ宮殿風の文明・文化があるのです。そのことをヨーロッパの人は自慢して、アイデンティティにしている。
 しかし、それができた当時、これは宮廷文化、王様の贅沢贅沢だったのです。それもサロンの女性に、パトロンがお金を一億円ぐらいあげて、今度のパーティーは盛大にやってやるということになると、その女性が職人と芸術家を集め、そのお金によって芸術家と職人が生まれてきて、そしてベルサイユ宮殿ができたんです。それが百年ぐらいたつと、ヨーロッパ人のアイデンティティになっているのです。そして世界の人がまねをするから、商売にもなっているわけです。ということをこのヴェルナー・ゾンバルトが書いているのです。
 私はなぜこの本を選んだかといいますと、十数年前、中嶋先生に呼ばれて、アジア・オープン・フォーラムに参加しました。第一回は台北の圓山大飯店で行いました。私はわりと中国の人を知っているんです。宋美齢さんのことも知っていますし、こんな途方もないホテルを建てて何を考えているかということが少しわかるわけです。ですから、国民党なんて大嫌いでしたが、国民党が何をしてきたかということを知っているんです。その時に国民党の歴史を編さんする係だという人が来まして、李登輝さんにいろいろな質問をしたら、苦しそうに返事していらっしゃいました。でも李登輝さんはそのとき総統でいらっしゃいまして、さぞやお心の内は苦しいだろうと勝手に想像しておりました。あまり人のことを立ち入って聞いてもいけませんが。
 「アイデンティティ」という問題は日本にもあるわけです。
 私個人にもあります。個人的なことをいえば、キリスト教の家庭に育って、家の中に本が山ほどあった。本だけは山ほどあるが食べる物がない。ですから、おかずの変わりに本を読んで育ったのです。一般の日本人から見ると、私はやっぱりエイリアンです。頭の中はヨーロッパ人であったり、中国人であったり、あるいはキリスト教であったりしまして、周りの日本人が不思議に思うくらいです。自分のアイデンティティは何かという問題も持っておりました。
 それで、今「台湾の独立」と言うか言わないのか難しいことは存じませんが、大陸から離れる、もう既に離れているから言わなくてもいいのだと思います。そこで考えるのは、台湾の人の根本的なアイデンティティというのは何なのか。皆さんの多くは日本語もしゃべれます、しゃべれない人もいるんですけれども、そのかわり英語、北京話をしゃべれます。家に帰ったらミン南語をしゃべっておりますとか、ややこしいですね。でも、これは古いほうを探しているのです。つまり、アイデンティティを歴史に探すというと、沢山の文化がまざっている。そんなことはどうでもいいじゃありませんか、今から台湾文化をつくりなさい、台湾精神を今からつくりなさい、もう大分できているでしょう、そういうふうに見えないですか。こういう気持ちで選んだのがこの本です。
 この本の中身は、先ほど申しましたように、ヨーロッパのアイデンティティは贅沢から生まれた。その贅沢の中心にいたのは女性です。恋愛ごっこをしたのです。宮廷の偉い人たちは仕事がありませんから、お互いにひっついたり離れたり、女性をめぐっていろいろ贅沢をする、女性にお金を全部あげて、何か好きなものをつくりなさい、思う存分の贅沢をしなさいと言って出来たのが文明・文化であった。
 ヴェルナー・ゾンバルトは、もともとはマルクス主義の学者です。マルクスと一緒になって、プロレタリアが搾取をされる、ブルジョアジーは贅沢をするという論を論じていたのですけれども、ある時はっと気がつきます。産業革命で資本家がもうけたとき工場では何をつくっていたか。木綿の製品をつくっていた。多少は羊毛と絹もありますけれども、繊維産業です。そういった製品が、生産性が向上したので蒸気機関の力で百倍、千倍つくれる。それがどうしてかということです。全部の人が欲しがって買った、百倍、千倍の衣料品を買った。
 だけど、それまで裸でいたわけじゃありません。それがどうして百倍、千倍の衣料品を買うのか、売れるのか。それは、憧れになったからです。なぜ憧れたか。それは、ポンパドゥール伯爵夫人とかルイ十何世とかいう人たちが、ひらひらした木綿を着て、レースのカーテンを部屋につって、いろいろ贅沢をしてくれたのを見て、自分も欲しくなったからなんだ。今までだって裸でいたわけじゃないんですけれども、あれを着たくなったということで、蒸気機関でたくさんつくって、値段が安ければ争って買った。それが産業革命だと。つまり、文化が普及していくことが産業革命ということです。
 文化をつくったのはだれか。それはだれかが贅沢をしたのです。それを女性につぎこんだ。そのお金をもらった女性が、文化を創造する才能を持っていた。あるいは、才能を持った人がその周りに集まって、一緒になってつくった。そのあたりが、ゾンバルトは急に面白くなりまして、それを詳しく調べたのがこの本です。
 女性は当時、高級売春婦なんです。伯爵夫人と言ったって、結局似たようなものでしたし当時はそんな操なんてありません。魅力的な男性をたくさん集めて、また女性も集まってパーティーばかりしていたわけです。そのときにお部屋を飾るわけです。どういうふうにお部屋を飾れば人が喜んで集まるか。まず生花を飾る。ヨーロッパは寒いから、そんなに花なんてない。ですから花をあふれんばかりに飾る。それから絨毯、これはトルコ、ペルシャからのを持って来る。値段が高くて、贅沢な物です。
 それから、大きな鏡を部屋におく。ヨーロッパはガラスをつくれません。ガラスをつくれる技術を持っているのはアラブです。そして、アラブから技術をもらってきて、ようやくベネチアでガラスがつくり始まった。そのベネチアの職人を台風の嵐の晩に十数人、引き抜いてきて、ようやくパリでもガラスをつくれました。それで王様がほめてくれまして、「よし、たくさんつくれ」と言ったのがベルサイユ宮殿「鏡の間」、大きな鏡がずらっーと並んでいる。行ってみればわかりますけれども、まだ未熟な技術ですからでこぼこです。でも、それを並べておけば部屋が明るくなるんです。当時はろうそくですから、鏡をいっぱい並べるておくと部屋が明るくなって、そこでダンスパーティーをすると、少しは鏡が曲がっていたほうが「私」が美人に見えるのです。そんなようなことでベルサイユ宮殿鏡の間ができあがります。
 それから本棚です。革表紙の本や百科事典を並べて立てておく。そうすると格好がつく。今でもテレビに学者が出てくると必ず背景は本棚です。そういう流行があります。
 それからレースです。最初はハンカチ、それからブラウス。そしてそのレースでカーテンをつくってしまう。途方もない贅沢です。それからシャンデリア。
 それから長椅子。長椅子というのは、大体この上で不倫をしていたんですけど、今はそんなことは知らない人が多いです。
 それから瀬戸物、チャイナのお皿です。お皿を自慢して食べないのに並べておく。お皿だけのディナーパーティーがありまして、僕もやってもらったことがありますけれども、お皿に食べ物がのらない。スープのお皿、メインディッシュのお皿が出てくる。コーヒーのポットが出てくる。全部それだけで終わってしまうのです。お腹がすいてしようがないので心配になったら、後で食べますよと言われました。それはたくさん持っているチャイナのセットを見せるという自慢です。そのくらいチャイナは憧れの品々で、遠路はるばる中国から船またはシルクロードで運ばれてきて、スペインかポルトガルの港で入札会をすると金銀と同じ値段で売れたのです。お皿一キログラムを銀一キログラムの値段で王侯貴族が引き取っていったのです。一枚でも持っていれば自慢になったという話もありました。
 それから香水です。香水もそこで発達いたします。あの人たちは洗濯しない、お風呂に入らない、それで香水をばんばんかけるのです。
 そんなことがあって、そこで知的な会話をしなければならない。ギリシャの話をしてみたり、何かの詩を朗読してみせたり、それによってまた女性の人気が得られる。女性もまた男性の人気が得られるという知的な会話がそこで行われまして、見えの塊です。でも、お互い見えを張っているところからヨーロッパの文明・文化ができてきた。そういうようなことがこの本にはたくさん書いてあります。何で見えを張ったかというのは、男と女が恋愛ごっこをしたからです。本当に恋愛していなくても、恋愛しているふりをするという恋愛ごっこが、この先はルネッサンスに行くわけです。
 ルネサンスの頃、恋愛ごっこがあって、それから宮廷に贅沢ごっこがあって、それを一般の人が欲しいと思ったとき、産業革命が起き、それで経済発展が起きて、技術進歩になって、今日の我々がこんなにせかせかと働かなきゃいけなくなった。そんなことが本当に自慢なのかというところが、この本を見て我々日本人が感じることであります。
 二十年前に私はこの本を元にして、『文化産業論』という本を書き、賞金をいただいたりしました。そこで言いたかったことは、文化は「今」からつくるものなんだということです。文化をつくるのは、金もうけよりもっと難しい、芸術的センスが要ります。想い、情熱が要る。それから上品な心がないと、世界の人が憧れてくれるような文化はつくれない。日本人もそれをしなくてはいけないと思って、日本で書いた本でありますけれども、台湾の方にも私は同じことを申し上げたいと思いました。
 今、会場でブックフェアをやっています。日本の漫画、アニメというのがたくさんあります。台湾の若い人が本当にいっぱい来ています。台湾の人は本当に日本好きで漫画好きです。漫画は程度が低いなどと言ってはいけないのです。新しいものは必ず程度が低いと最初は言われるものです。これは程度が高いのです。これからどんどん高くなります。台湾の男の方、どんどん漫画を描きますね。すばらしい漫画を描きます。そういうことが台湾の新しいアイデンティティにつながっていくんじゃないかと、そのような私の話でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
中嶋】 ありがとうございました。日下さんの語りというのは、日下節と私は呼んでいます。本当に順々と日下さんの考え方に説得されます。日下さんのファンが非常に多いんですね。今のお話も面目躍如なるものがあります。ありがとうございました。
 
「水の上」(モーパッサン著)  -----  中嶋嶺雄
中嶋】 それでは最後に、私は司会ですけれども、実は私も一冊の本ということで、読売新聞に一週間に一遍、「時の栞」という欄がありまして、たまたま二月の初旬に、そこに一冊の本を書いてもらいたいということがありましたものですから、それは今日皆さんにお配りさせていただきました。私は司会者ですから、ごく短くお話しさせていただきます。
 モーパッサンの『水の上』、「シュール・ロー」というんです。これに私がとりつかれたのは、まだ高校生の時です。私の故郷は長野県の松本市で、山国ですから海というものにものすごく憧れていました。高校のフランス語の教師がガリ版でプリントで『水の上』というモーパッサンの作品の重要なところを刷ってくれたのです。フランス語を始めて間もなくでしたが、一生懸命授業を聞いて自分で訳して、そして同時に暗記するのです。
 当時、新制の高等学校でフランス語を正課としてやっているところは非常に少なく、松本深志高校というのはフランス語とかドイツ語をやる高校として知られていました。並木先生という大変ユニークな先生と出会ったことが、フランス語なりフランス文化を知るきっかけになりました。
 大学受験もフランス語でいたしまして、やがて大学では中国語を勉強したりしますので、フランスとはしばらく離れていました。プロバンスのサンラファエルという場所があります。ピカソとかルノワールとか、画家や芸術家があの太陽を求めて地中海に最後に居を定める人が多いんですが、偶然、私の一番仲よくしている外国人でフランス人のクロード・カナールという中国系の技術者がサンラファエルの近くのプロバンスの田舎の山の上の山小屋の別荘を持っていたので、ご夫妻のところへしばしば行くのです。
 その本にはモーパッサンが若いときにヨットで周遊した都市がたくさん出てきまして、そこから事情を知らされました。モーパッサンは『ベラミ』とか『女の一生』とか、たくさんの単編を書きますけれども、最後は精神的に非常に不安定で、神経衰弱になったり、自殺を試みたりして、精神病院で四十二歳で亡くなります。
 亡くなる直前に、地中海に船を浮かべて、舟戸(カコ)という船頭さんみたいにして思いのままに思索をするのです。彼は決してアナーキストとか、あるいはマルクス主義者ではないんですが、その思索は非常に自由で、まさにさっき李総統がおっしゃったように、自由という尊さをいろいろ説くのです。その言葉の中に、「政府はかくのごとく国民に対して生殺与奪の権利を持っている。時として国民は政府に対して生殺権を持っていてはいけないのか」というようなことが書かれています。それから、「政治をする人はだれでも船長は難船を避ける義務がある」、そういうようなことも言っているのです。
 そういう言葉の端々が、私自身の若いとき非常に影響を与えました。しかもそれを暗記していましたから、しばしば口ずさみ、私も若いころ、六十年安保の前ですけれども、『共産党宣言』を読んだり、マルクス主義の文献ももちろん読みました。随分読みましたけれども、そのために学生運動に走ったというよりも、自分の家の家業に不幸がありまして、逆境に陥っていたためです。そういう意味では、まさに若いころ、人間の世界で見てはいけないものをみんな見てしまった。親戚、近所の人、そういう中で、私は家ではとても甘やかされて、薬局の一人息子で、おやじは地方の文化人で、子供のころからヴァイオリンや絵を習っていたりして、恵まれた生活なんです。
 でも、あるとき、今で言う倒産をしてしまいました。私は一人っ子でしたから、両親と家の裏からすごすごと全部家や屋敷を人に渡して、ちょうど高校一年生のときに家を出るという逆境に陥りました。そのときに、もう本当に人間の社会はこんなものかと。自分たちがいいときはみんな寄ってくるのですが、一たび逆境に陥ると手の裏を返すという、そういう人間模様を全部見ちゃったんです。
 それで、一時は学校に行くこともできなくなり、働かなくてはいけないという状況になりました。そういう中で、モーパッサンに触れまして、そして、このモーパッサンの正義感に非常に触発されたことが、ひょっとして、私自身を救い、学生運動に夢中になるきっかけをつくってくれたのではないかと思います。
 そういう時代を経たモーパッサンの『水の上』というのは私にとってはやっぱり一冊の本であったということを新聞に書いたんです。やはりここに書いてある言葉がひょっとすると、さっきの自由という問題と関わってくるのではないでしょうか。台湾ではかつて政府が生殺与奪の権利を全部握っていて、そういうところと共通するような気がします。台湾という今の存在が難破しないように、どうか李登輝さんにうんと頑張っていただきたい。この船がどこへ行くか、非常に大事だと思います。まさに台湾という一つの船だと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
 以上をもちまして、それぞれのパネラーの方から心に残る一冊の本についてお話をいただきました。


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