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「自分の決意」
 河野一郎氏が農林大臣になったとき、昭和天皇に「これからは杉の植林を進めます。これは採算がよくて、将来は輸入材に代わって日本の住宅建築に使えます」と言ったところ、天皇は「アッソウ」とだけお答になった。
 それはいつものことで、天皇はご自分の意見を述べないように自制しておられたが、しかし賛成か反対かはその言い方で分かるのが日本である。
 
 この場合は気がない方のお返事だったので、河野氏は心配になって側近に尋ねると、天皇は植樹祭などでの非公式懇談ではいつも「落葉樹を植えなさい。落ち葉は樹下につもって肥料となり、雨水はそれをとおって谷川に入ってプランクトンを養う。谷川は水田に流れて米をつくりやがて海に入って海藻を育てる。沿岸漁業もその基礎は山林にある」と話されているとのことだった。それで河野大臣は恐縮して農林省に帰り、杉の植林政策はやめにせよと言ったが、相手にされなかったらしい。
 
 そのおかげで今や春になると、花粉は山をかくすほどの雲となり、霞のように棚引いては都市に及んで大量の花粉症患者を作り出している。
 “霞ヶ関”とはこのことか、と毎年花粉症の時期になると農林省の大失政をうらみながら私はうるんだ目でそのビルを見上げている。
 
 河野大臣はそのとき自分の決意として“奮発”しなかったのが悪かった。「大御心は落葉樹であるぞ」と言っただけでは部下は動かなかった。
 その昔、昭和十六年の開戦前夜に東條新首相が「大御心は平和であるぞ」と言って陸軍省や参謀本部の中を回ったが相手にされなかったのとそっくり同じである。
 河野も東條も上の意見を取次ぐだけでは軽く見られた。そんなことでは部下は動かない。
 
 もともと杉の木が有利だというのは単なる机上の計算である。三十年も四十年も先の価格や需要見込みは人智の限界を越えている。
 
 それが分からぬ農林官僚ではないから、新大臣は心の底から本気だと分かればそのように計算や政策を変えたと思う。もしもそのとき植林を自由化していれば山林地主はそれぞれに樹種を選ぶからこんな異常な事態にはならなかった。
 
 という次第でこのエピソードは、
一、日本は意外にトップダウンの国ではない。
二、計算や理由には賞味期限がある。それは意外に短い。
三、他人が納めた税金を自分が使うのは楽しい。楽しすぎる。
四、官僚は足並みそろえての全国政策が好きだが、それは失敗時の損害が大きい。
 などいろいろな話の例証に使える。
 
 が、しかし、本稿では別の話に使うことにしよう。
 結婚より離婚の方が大きなエネルギーを要するのと同じで、不要有害な愚策をストップするときの指導者にはさらに大きなエネルギーが必要だという話に使おう。
 
 それから、所信断行の理由を部下に伝えるのは上の意向や世論の風や業者からの陳情などをまわりからかき集めて使うようではダメだという例証に使いたい。
 
 やはり「自分の決意」が理由でなくてはならない。自分が奮発すれば部下も奮発する。
 進むも退くも、事が成るのはそういうときで、今の日本の政治家や官僚に求められているのはその奮発力である。
(二〇〇五年六月「奮発力」)
 
“ほりえもん”に学べ
 人は将来をいろいろに想像するが、想像が一段落するとそれを整理して何かを「想定」をする。
 
 想定とはありうるシナリオの中から一つか二つを選ぶことでそれがすむと次は対策を考える。またはあらかじめあきらめをつける。これを逆に言えば想定とは対策が立つシナリオか、またはあきらめがつくシナリオのことである。
 
 以上は単に言葉の解説だが、これを実際の場面で考えると枝葉が広がって面白い。
 “ほりえもん”に人気が出た理由だが、多くの人は二つのことに感心した。
 一つはフジTVとの争いに関する「想像力」の広さで、つぎは「現状についてはあらかじめ想定していた」と答えたことである。つまり対策かまたは覚悟ができていると言ったので、人々は“ほりえもん”を見直した。
 
 その後すぐ、JR西日本の脱線事故があって、JR西日本は事故を想像もせず、想定もせず、漫然と電車を走らせていたことが分かって人々は大いに怒った。私は心の中で「“ほりえもん”を見習え!」と叫んだが、そんなことをテレビのコメントでいう人は一人もいなかった(変ですね)。想像か、想定か、そのどちらかをしていたらもちろん手を打って対応していたはずで、当然事故は起らなかったのである。
 
 そこで結論がでる。
 想像力と想定力と対応力はセットである。
 そのどれかが欠けている人の下で働いてはいけない。――時には殺される。
 それから、個人も同じく自分の仕事については想像力と想定力と対応力をいつもセットで磨いていないといけない。さもないと泣きをみる。
 
 景気はよくなりかけたと言うが、それは一部の会社の話で世の中にはその会社から整理された気の毒な人があふれている。これからもどんどん増えるだろう。
 下々の人はたくさん自殺した。一年間に二万人だった自殺者が突然三万人になって、それがこの七年間つづいているから、この増加分の七万人は誰に殺されたのか。
 
 もしかしたら金融行政の改革とかに殺されたのではないか、と思うが、そういう改革を想像し、想定し、あらかじめ対応を考えておけ、と説く識者がいなかったのは残念なことである。評論家も学者も「“ほりえもん”に学べ」である。
 
 森金千秋の名著『攻城 日中戦争最前線』(叢文社)の中に「独立歩兵第九十五大隊命令(昭和二〇年)七月二十三日一六〇〇 白沙舗」が全文掲載されているが書き出しにこうある。
 「一、・・・(前略)・・・特ニ大隊西南正面ヨリ予想サレル敵ノ攻勢ハ予断ヲ赦サザル状況ニアリ」(傍点筆者)
 
 大隊長稲垣大佐は予想はしているが、予断はできないと言っている。つまり想定力は今の自分にはないと最初に断っているところが中々知的である。命令だから対応策は明確に示しているが、そこには臨機応変の余地が残っていることを説明しているのである。
 
 近頃の行政や経営をみると、上の人にこういう知性が欠けている。そして下々がやむなく臨機応変の措置をとると、「スピードの出しすぎ」とか「コンプライアンス」とかの流行語ですませる。自分の想像や想定が不備であることは認めない。「想定の範囲内」という“ほりえもん”の一語に人気が集まって流行語になったのはそういう事情によると思う。
 
 さて、結論は本年二〇〇五年五月号の巻頭言と同じである。
 麻雀か競馬か競艇をしつかりやって、想像力と想定力を養いなさい。さもないとわが身が危ういですよ。
(二〇〇五年七月「想定力」)


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