日露戦争と日本精神
数年前、「二十世紀最大の事件は何だったか」というアンケートが『文藝春秋』からきた。「それは日露戦争だ」と答えたのは私一人だったので、本年、日露戦争百周年を機に日本人の日露戦争に関する歴史認識が深まることを喜んでいる。
古い話だが、一九五九年、二十九歳の私はアジア各地、インド、パキスタン、エジプトを経て、ヨーロッパに入り、約一ヶ月間の旅行のあと日本へ帰ってきた。
機中で一夜を過ごし、羽田へ着いたとき、「おや、ここの国の人は有色人種なのに靴をはいている」と思った。もちろんそれは瞬間の印象で、すぐに「日本へ帰ってきたに過ぎないのだ」と気づいたが、そのとき私は国際感覚を身につけた国際人になって帰ってきたことを知ったのである。
当時の国際感覚では、有色人種はハダシが常識だった。バンコクその他のタクシーの運転手はハダシで、そんな人に自動車の運転ができるのが不思議に見えたくらいである。
日本だけが例外の国だった。
それが一九五九年のことだから、日露戦争当時の一九〇四年にはなおさらのことで、有色人種に対する白人支配は当然中の当然というのが国際感覚であった。
そのとき日本は独力で白人と戦って勝ってみせたのである。つづいて大東亜戦争でも白人と戦った。
その結果、白人支配の世界が終わって有色人種はそれぞれ自分の国がもてるようになった。
こんな大変化はない。白人にとってもこんな大事件は他にない。まずは「人種不平等」の常識を捨てさせられ、さらに「植民地搾取」の利益を失った。
日本が憎らしくて当然だが、それを口に出しては言えないほどの理想的な人種平等世界が今は完成してしまった。
日本では常識の人種平等が世界の常識になってしまったからで、これは日本の“完全勝利”である。
日露戦争のとき軍事力で勝ち、その後精神でも勝って、世界を根本から変えたのである。
しかし、日本人はそれを言わない。自存自衛のため当然のことをしただけだと思っている。そもそも人種差別意識がないから、人種平等に貢献したという自覚がない。だから日露戦争の世界史的な意味が分からない。白人達の心の中の口惜しさを想像する力もない。あってもそんな次元の低いことには深入りしない。
この辺が日本精神の底の深さかも知れない。大らかで明るくて共存共栄が当然という日本精神である。
さらに日本には名誉を尊ぶという精神がある。それが独立を守る精神になる。
そのためには団結する。団結のシンボルは天皇であり、国内統一の実としては二千年に近い歴史・文化・伝統がある。
団結の結果として日露戦争の勝利があった。
戦後の高度経済成長も同じことである。これも大成功したので、今の日本人は“人種差別”とは日本人が白人を見下すことかと思うほどになった。
もしも日露戦争に日本が負けていたら、中国はロシア領とイギリス領になっていただろう。地球上の有色人種は今もハダシで暮らしていただろう。
日本人も。
(二〇〇四年五月「制海力」)
洞察力について私が書きたいことの骨子はつぎの通りである。
一、人間には洞察力がある。
二、たくさんある。
三、洞察力に自信をもっている人が多い。
これを本稿の出発点とする。
四、しかし、ときどきは間違う。
五、その外れたときの方を気にする人がいる。
六、その人は科学や理論に走る。
七、その人は賢い人に見える。
八、子供はその真似をする。結果として、洞察力不足時代や洞察力否定社会になるが、それは人間がもっている叡智の半分を自ら捨てることになる。
というのを立論の補助線とする。
九、洞察がよく当たることを当然と考える人がいる。
十、その人は実行する。
十一、その人は世の中を変える。
これが本論である。
十二、世の中が変ってから成功の解説をする人がいる。
十三、その解説を聞いて楽しむ人がいる。
十四、楽しむだけで自らの洞察力を磨くことはなく、実行もしない人が多い。
これはただのあてこすりで本論ではない。
十五、洞察力がある人は常に明日を洞察している。
十六、それを発表する人としない人がいる。
十七、洞察が湧いてくる不思議を自ら吟味する人としない人がいる。
十八、吟味した結果を後進に教える人と教えない人がいる。
これは本論のその二である。
十九、洞察力のない人がある人を統制する社会がある。
二十、洞察力があると自称する人がたくさん出現したときの社会秩序はどうあるべきか。
これは本論のその三で、社会問題としての洞察論である。
以上が私が言いたいことの骨子で、これに実例をたくさんつけて読み物にすれば売れるだろう・・・とはささやかな洞察。
だが、それによって洞察力をもった人が日本にたくさんふえるとはあまり期待できない。
二十一、そこでどうすれば洞察力をもつ人が大量生産できるか。
これが本論のその四になる。
ところで、私が書くのはこんな雑感だけで、これ以上は書かない。
生まれつき謙虚だからということもあるが、それより洞察力があっても大して良いことはないという、歴史の先例を知っているからである。
アレクサンダー大王は東征の途中、エジプトでシバの女王とねんごろになった。夜明けには兵を率いて出発しなくてはならないのだが、その夜明けを知らせる一番鶏が鳴くと、ウルサイとばかりに殺してしまう。二番鶏も殺される。三番鶏を聞いてようやく床を離れたという故事があって、洞察力の発揮は生命が危い。
イギリス人はこの話を諺にした。
「鶏が鳴くから朝がくるのではない。朝がくるから鶏が鳴くのだ」
この話を可愛そうな鶏の霊前に捧げよう。
(二〇〇四年六月「洞察力」)
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