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講義2 緊急支援とシェルターの機能
1. 国、自治体の責務で自立支援を
 北京会議のころ、全国で7か所だった民間シェルターは、その後枝葉を伸ばして100か所近くになっています。これらの民間シェルターはネットワークなしでは成り立ちません。法律ができて、相談機能が充実して、シェルターが増えても、女性たちは、加害者が処罰されず、拘留されないいまの社会・世の中では自分と子どもの安全を目指していつまでも逃げ惑わなければならない現実があります。
 全国女性シェルターネットのシンポジウムが最初に行われた98年、参加者は「DV防止法をつくろう」というアピールを採択しました。そのときから当事者の声を中心に4年かけて現場の声を練り上げ、2001年にできたのがDV防止法です。この法律制定はDV根絶を願う女性たちの歴史への登場でした。
 法律制定直後から、3年後の見直し改正に向けて179項目の改正要求をまとめた全国女性シェルターネットは、粘り強い省庁交渉や意見交換会の開催を経て、第一次改正を成し遂げたのです。
 保護命令制度については、子どもを対象にする、退去命令の2か月への期間延長、再延長手続きの簡素化などを実現しました。さらに、自立支援の責務が国や自治体に課せられました。シェルターは一つの通過点であり、当事者はシェルターを出てからが大変。当事者を支える姿勢が公的機関に乏しいからです。それが、国と自治体が基本計画をつくって最後まで責任を持って自立支援施策を実行することが、法律に書かれたのです。女性たちの活動は新しい社会変革のモデルを提示しました。これまで男たちがつくり、解釈し、運用してきた法律を、女たちがつくって提案したことです。男たちが書けない法律を、女たちが書いた。それは女たちが差別と被害の当事者だったからです。私たちが「当事者主義」を運動に掲げるのはそのことなのです。当事者こそが自分の直面する課題の専門家なのですから。
2. 特定できない加害者像
 どんな男たちがどんな暴力を振るうのか、私たちは3年間、加害者像を調べてきました。結果として、あらゆる年代、職業、学歴、文化的、宗教的背景を持った男性が加害者になっており、加害者像を特定できませんでした。同じようにあらゆる階層の女性たちが被害者になっていることがわかりました。すべての男性が加害者に、すべての女性が被害者になりうる、という結論でした。
 調査の中で一番多かった加害者グループは、自営業の人たち。会社の社長や弁護士、医師、農業経営者など。次が公務員。小中高校の先生が多く、自治体の職員、警察官、自衛官など。3番目が一般企業のサラリーマン。あとは定年後の人やフリーター。
 DV犯罪に対しては100%不処罰のままです。私たちがたくさんの女性や子どもたちを支え抜いたとしても、暴力を振るい続ける加害者の行動が変わらない限りこの問題のゴールはありません。
 実際に北海道シェルターネットワークのあるシェルターで、4人の被害女性の相手が特定の1人の男性だったことがあります。同じシェルターに逃げ込んできた4人の女性への加害者が同じ男性だった。DV犯罪を説明するときの特徴的、象徴的なケースといえます。
3. 処罰法・禁止法への転換を
 次の法律改正には「加害者処罰」をどうしても加えなければなりません。
 相談から自立支援まで一応のサポート体制が法律に明記され、残っているのは加害者処罰です。できれば「DV罪」を新設したい。処罰して責任を負わせ、再び暴力を振るわないようにさせるのと同時に、最初から暴力を振るわない方法で生きていく人間を育て上げなければなりません。
 DV防止法ができて、第一番に警察官は被害者に対応しなければならない職務を負っているのにもかかわらず、当事者の意思を確認して被害届や刑事告訴の手続きを踏むことになっている。ありえないことです。うめいて血を流していれば殺人未遂だし、けがをしていれば暴行傷害に決まっている。すぐにも逮捕、拘留すべきであるし、当事者が警察に現れたときは、すでに加害者は長年にわたる累犯者だと考える必要があります。当事者がそこにいることが、累々とした犯罪の証拠なのです。
 それなのに警察官は「夫を犯罪者にしていいのか、子どものお父さんを前科者にしていいのか、奥さんよく考えてください。たとえ拘留しても24日で出てきますよ。報復されたらどうしますか」と脅す。警察は、犯罪防止どころか、あらたな加害行為を促進させていると現場は思っています。もちろん一所懸命やってくれるお巡りさんもたまにはいるのですが。
 加害者処罰を盛り込むことは、防止法・保護法から処罰法・禁止法へと法律の性格を変える一大転換になります。
 特に女性にかかわる法律は圧倒的に不当な内容になっています。たとえばレイプされた人が犯罪を訴えても、どれだけハードルが高いか。セクシュアル・ハラスメントで職場を追われ、病気になった人が相手を訴えるのにどれだけハードルが厚いか。被害者に立証責任を求めたり、更なるハードルを課すことがあってはならない。犯罪行為を犯した方が責任を問われるべきであります。
4. DVサポートは、緊急対応が原則
 こういう女性たちを、地をはうように支えてきたのが草の根の女たちによる民間シェルターでした。法律ができてから国や自治体がDVセンターの看板をかけて仕事をするようになりましたが、サポート理念にはまだまだ大きな開きがあります。
 公的シェルターなどは法律に基づいて仕事をするので、その範囲の中でのサポートしかできません。民間の女性たちは自分の仕事、闘いと思って衣食住から病院の付き添い、裁判や離婚訴訟、自立した後のあらゆるケアまで一緒にすすめますから仕事の量が違います。民間の女性たちはどこからかお金をもらうわけでもなく、運動として、自分たちの思いの丈で仕事をしています。
 法律ができてから厚生労働省予算の配分の中で婦人相談所(センター)が民間と一時保護の一時委託契約を結ぶことができるようになり、国と自治体の半分ずつの負担で何がしかのサポート料が支払われるようになりました。北海道では民間のシェルターネットワークが先行してDVサポートに取り組んできたので、実際のサポート件数は道立のセンターを上回っています。
 民間シェルターは、いつでも、どこでも、さまざまなところから当事者とつながりができます。緊急ケースについて、そのつど公的シェルターと一時委託契約手続きを進めていては仕事にならない。北海道では民間シェルターネットと道とが委託契約を結ぶ際に、どこのシェルターでも当事者を受け入れたら一時保護とみなす、という確認をしました。いろいろなケースはあるが、民間シェルターが受け入れたものはこちらから報告書を出すことで、委託料が支払われます。どこの自治体でも一時委託契約をそういう手続きにすべきであると思います。
 そうでなくても当事者は大変な思いでシェルターなどにたどり着くのだから、「あそこに行け」など判断するまでに何日もかかるなんてとんでもないことです。それについて国・自治体が費用を支払うことにしたのだから、黙って支出してもらわなければなりません。今度の改正では自立支援へのサポートについても民間への業務委託を加えてもらうつもりです。
 北海道のDVセンターでは、一時保護利用者の半数近くが、自宅に帰ったり、帰郷したり、知人、友人宅に引き取られたりしています。これでは十分な自立支援とはいえません。加害者のいる自宅に戻るのは危険行為とわかっていても、子どもの状態が心配だったり、行くところがないから、暮らしていけないからと彼女たちはそうしてしまうのです。
 しかし、民間シェルターでサポートした当事者はほとんど自宅に戻りません。アパートを探したり、生活保護を受給したりして、なんとか戻らずに自立します。民間シェルターの方が自立後の安全策について責任を担えているということです。
 このようにシェルターを出た後のサポートはおもに民間シェルターがやっています。公的な援助センターを出た後も民間シェルターにやってきてそこから自立するケースもあります。その費用について、つまり公的機関が果たすことのできない仕事を、民間の女性たちが身銭を切って担っていることに社会がなにもしないのは本当におかしいことです。
5. 不可欠な官民連携のサポート
 役所に任せては限界があってできない仕事を、当事者性につながれた女性たちだからこそ担ってきたサポート活動。そう考えると、相談から自立までの一貫したサポート業務のすべてについて必要な委託契約をすること。公的機関に払うだけの税金を民間の担い手にも払うという流れに変えなければならないと思います。
 実際に縦割りやセクションの関係でやりたくてもできないことがあります。たとえば一所懸命仕事をしている婦人相談員は売春防止法の規定によって「非常勤とする」と規定されています。女性相談員には行政上の権限がないため、必要な行政措置を講じられないこともあります。
 それに対して民間は自由に、迅速に当事者の意向に沿ったきめこまかいサポートができます。
 法律ができ、さまざまな機関が動き出し、自治体の印象は変わってきたものの、まだまだちぐはぐな地域間格差があります。行政の窓口による二次被害・三次被害もあとを絶ちません。それらを抜本的に変えるには、DV相談対応マニュアルやサポートマニュアルをつくり、どこに逃げても命を落とさないようなネットワークの構築と官民の連携で、最低限のサポートを受けられるようなナショナルスタンダードを打ち立てる必要があると考えています。
 札幌では、市が改正DV法に基づいて配偶者暴力相談支援センターを立ち上げ、私たちがその業務を委託されました。年間920万円しかない委託費で、2人のスタッフがセンターで365日対応しています。かなりきつい業務内容ですが民間の経験とノウハウをかってくれての委託なので、当事者に沿った実践を積み上げ、DVサポートコーディネート機能のモデルを追求したいと思っています。
 主人公はあくまでも課題を抱えた当事者。自治体や行政のあり方を変えてきたのも当事者たち。女性たちは力を持っています。女性たちのネットワークで次の世界の枠組みを創りましょう。この運動は必ず成就すると思います。期待と確信と希望を持ってすすみましょう。
 
解剖医は知っている −事例・2
 少年がある晩、すさまじい夫婦げんかのやり取りを聞き、耳栓をして寝てしまいました。翌朝、寝室で母親がどす黒い顔をして死んでいるのを見つけました。隣では父親が高いびきで寝ていたそうです。
 少年は「母親が殺された」と担任の先生に訴えました。先生は、すぐにサポートグループや弁護士、地元の議員などに連絡、県警に法医学による解剖を要請しましたが、立ち会った医師は病死の診断書を書いてしまっていて、解剖を要請しない。お巡りさんも現場には問題なく、医師も病死というから事件ではない、として法医学解剖を拒むのです。
 不審な点があるから調べてほしい、と要請する道が残されていましたが、少年は未成年。
 要請行動をとっている間に父は葬儀屋を呼び、埋葬許可書を取り、火葬場で妻を骨にしてしまいました。
 まわりが見守っているうちに遺体は骨と灰になってしまい、加害者である父親はなんのとがを受けることもなく、社会生活を営み続けているのです。
 最愛の母親が父親に殺されたことを知っている少年は、大きくなるまで、殺人犯の父と暮らしていかなければなりません。
 
理不尽な加害者不処罰 −事例・3
 10年前、私たちのシェルターに、道内地方都市の医師の奥さんが駆け込んでこられました。当事60歳を越えたくらい。半世紀近い結婚生活で子どもが3人。本人は薬剤師。学生時代に医学部の学生だった夫と出会い、熱烈な恋愛をしてわけもわからず結婚。勤務医を経て開院した夫の手足のようになって仕事をしてきたそうですが、その人がすさまじい暴力の被害を受けてきたというのです。
 飯がまずい、酒のかんがよくない、といっては殴られ、血みどろになる毎日。週末になると暴力的なセックスを求められ、顔や手など外から見えるところには痕を残さない暴力、巧妙な暴力行為が繰り返されました。
 あるとき山の中に連れて行かれ、ジープの中ですさまじい暴行、強姦を繰り返されたあと「クマにでも食われたらいい」と全裸で置き去りにされました。「ここで死ぬ」と思ったそうです。しばらくたって迎えにきた夫は「今日だけは助けてやる。命の恩人はオレだ。一生言うことを聞け」と脅迫。焼却炉を購入した夫に「あとを残さず徹底的に焼いてやる」と脅かされたこともある。こうしたことが続くようになり、ようやく、殺される前に逃げようと思ったそうです。
 たまたまテレビのスポットで民間シェルターの存在を知って脱出を果たしたのです。
 最初は月に1回殴られても、我慢すればよかったが、半月、1週間と暴力の間隔が狭まり、イライラすると理由なくターゲットにされる。夫の犯罪行為を立件したら、何百年も刑務所から出てこられないような凶悪犯罪者だった、といっていましたが、本当にそうだと思います。
 しかし彼は、一度も法廷に立たされることなく、刑務所にも入ることなく、地域の名士として、医師会会長として生き抜いています。反対に、彼女はすべてを捨てて逃げてきました。70歳を過ぎて、どう生きていけばいいのか、こんな理不尽なことはないとあらためて思います。継続的な暴力支配には重罪規定が必要なのです。


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