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マンガアニメ学術的研究会 第3回(2005年7月12日)
弘兼憲史「日本人論をマンガ文化から考察する」
 
●導入議論としての歴史的キーワード
 この研究会での結論のようなものを日本人論につなげていくということでしたので、私なりに総括的なところを整理してみました。日本人のマンガ文化から考察するということになぞらえて、いかにして日本人のミーム、つまり文化的遺伝子ができたかということを私なりに考えてみました。
 日本人の文化的遺伝子、およびマンガ文化のミーム力の発生メカニズムを考える上で、日本の歴史的特徴を外して考えることはできないと思います。
 最初のキーワードは、島国という条件が可能にした、鎖国という非常に面白いシステムです。一部の例外を除いて一切外国文化を入れないという文化の結果、日本独自の文化が、ある程度自分たちの中だけでたぶん醸成されたということです。同時に他国からの影響も最小限だったので、鎖国時代300年間にいろいろな日本人の文化ができてきたであろうと思います。
 2番目のキーワードは、264年間の徳川幕府の政治がもたらした300年に及ぶ平和安定です。この間、後半はバタバタしましたけど特に大きな戦争がなく、非常に平和でした。その中で文化文政元禄という形で文化が栄えました。この時期60年間も日本は平和安定なのですが、文化や芸術というのは、恐らく平和と贅沢の所産で、非常に貧困で貧しいところ、あるいは戦争が頻繁にあるところには文化や芸術は生まれにくいでしょう。世界には、メキシコのように、革命を文化や芸術に結びつけた珍しい例もありますが。日本の江戸時代における文化文政元禄という時代は、芸術をつくるのに、非常にいい時代だったということです。
 その中に歌舞伎や浮世絵がありました。浮世絵には、エロチックな画法もたくさんあり、性文化とも結びつくのですが、浮世絵と同時に北斎の描く風刺マンガ、いまの一コママンガのような芸術ができてきました。
 3番目のキーワードは、参勤交代制度です。全国から江戸へ地方文化を持ってきたので、文化は江戸へ集約的に集まって、さらに地方大名が地方に帰る時に江戸文化が地方へ分散しました。文化(人、物、金、情報)の流入と流出の繰り返しがずっと行われた結果、非常に狭い国土で価値観の統一が成立したのではないかと想います。
 4番目のキーワードは、黒船来航です。浦賀に来たペリーの黒船が、日本中に突然大ショックを与え、パニック状態になりました。これを契機として、日本にどっと世界の文化が流入したのですが、日本人というのは、新しいものへの刺激に対して興味を持ち、その刺激に感化される、感覚が非常に鋭いところがあります。宗教的な縛りが薄いので、いいとこ取りをする柔らか頭がある、というのが日本人に備わっている性質とも言えます。このあと明治維新につながっていきます。
 
●日本人の文化的遺伝子
 日本はアジアの中で突出した経済的発展を遂げたと思います。その理由としていくつかの文化的遺伝子が考えられます。
 1つは、柔ら頭という文化的遺伝子があったと思います。悪く言えば節操がないという感じですが。他国が宗教の縛りがあって新しい文化を受け入れられないのに対して、日本は新しい、良いと思ったものはどんどん採用しました。江戸時代のフランス式の官軍の制服、勝海舟の渡米、杉田玄白の解体新書など。それが明治維新につながります。さらにミームが活発になり、フランス式の議会、ワイマル式の法律、イギリス式の産業など、ちょんまげを切ってザンギリ頭になる、牛鍋を食べる、靴を磨く。堰を切ったように諸外国と外交を始め、海外の良い部分を次々と採用して日本文化と融合させていきました。
 2つ目は、江戸時代の300年以来、日本は、ある種平和ボケだったともいえますが、この間に日本人の中に争いを好まないミームというのが刷り込まれたのではないかと思います。つまりみんな仲良く、差別化しない、ある種共産主義的なところができて、逆に主張しない、付和雷同的な遺伝子が生まれたのではないか。みんなと一緒がベスト、という今の若者の風潮に近く、人と変わったことをすると争いが起きるけれど、争いは起こしたくないので、皆と同じ行動をするというのでブームです。ブームに火がつくとドーンと走る日本人の力はこれではないかと思います。
 マンガ文化が発達したということとミームとを関連付けて考えると、概ね統一された価値観と、「みんなと一緒ミーム」です。
 子どもたちの会話の中に、あのキャラクター知ってる?読んでる?面白くない?赤胴鈴之介ごっこしよう!と、私たち昭和20年代の子供たちは、話しながら遊んで、人気キャラができあがる。そしてそれがブームにつながり、みんながその話題についていきたいということで同じ価値観を良しとする日本人のミームが働いて、同じベクトル方向に向いて大きなブームにつながっているのではないかという気がします。
 それからメンタリティの部分で、日本人は欧米や中国のように合理主義者でもないですし、個人主義者でもありません。これが3つめで、恐らくある種の滅私奉公ミームというのが江戸時代にもしあったとして、同じベクトルで同じモチベーションで現代の会社を運営する日本人に至るまで続いているのです。つまり会社のために自分を捨て家族を捨ててまで働く、まあ我々の世代です。その結果、滅私奉公的なミームから国際競争力がついて、ある意味では経済大国につながったのではないでしょうか。
 以上、江戸時代からの歴史的な推移の中から日本人の中に文化的遺伝子というのが発生してきたのではないか、その結果、国際競争力がついて、経済大国、文化大国につながったのではないかという考察をしてみました。
 それから、野崎さんとタケカワさんのほうから個々の質問という形でいただいたので、今度はそれについて答えていきたいと思います。
 
●タケカワユキヒデ氏に対する答え
 タケカワさんから、基本的には私と同じお考えをいただきました。それは、教育程度や文化程度が高い日本人が同じ方向を向いてひとつのものを追い求めてきた結果、日本が創造するもののレベルが上がった。素地を作り上げた高い教育を作り上げたのは、明治5年から始まった学制であり、国民全般の高い文化程度を作り上げたのは江戸時代に花開いた庶民文化であり、戦後すぐに各家庭に普及したテレビが日本人の横並び、中流意識の素地である。その下地の上に、日本式のマンガが爆発しました。国をあげてのヒステリー状態とよんでもよいと思います。そのヒステリー状態は大人も含めて60年たったいまでも続いている素地になっています。
 その上で、いくつかのポイントをいただきましたので、それにお答えします。
 
(1)「日本式ブームの素地」「ブームになる臨界点」
 ブームになる臨界点というのは、あるのでしょうが、自分の作品がブームになるという臨界点は何時だったか、その時は感じたことはありませんでした。ただこの臨界点を越えた後どういうことが起きたかというと、非常に取材が増えました。私の場合にはマンガ雑誌以外からで、例えば日本経済新聞とかビジネス雑誌からです。恐らくこれはいままでのマンガ家とはちょっと違ったタイプが出てきたなというのでちょっと会ってみようかってたぶんそっちの興味だったと思います。
 
(2)「日本人ということについて」
 作品を描きながら相手が日本人だ、または自分が日本人だということを意識することはあるか、またあるとしたらそれはどういう時かということでしたが、あるとすれば家庭をないがしろにしてまで働く自分ということですかね。そういう遺伝子を持った自分に日本人観を感じます。大体日本人は総働きアリ的なところは戦後の高度成長の時にみんな植え付けられた遺伝子だという気がします。それが自分にもたぶんあると思います。
 
(3)「ブームが日本文化を育んだ」
 これは売れる作品、これは良い作品というのは明らかに分かります。良い作品が必ずしも売れるとは限らないし、むしろ良い作品は売れないことのほうが多いです。例えば谷口さんの『犬を飼う』とか『漱石の時代』とかは、非常に文学的な良い作品ですが商業的には売れないだろうし、つげさんの作品だって素晴らしいが、そんなには売れません。だからブームが日本文化を育んだという感じは、直接的にはないです。
 ただ日本人には作品の良さを判断する能力はあるかということですが、先ほどの日本人の遺伝子の中に人と違ったことを好まない、横並び的なものを好むところがあるという、付和雷同型日本人が多いという点では、批評能力は薄いかなという感じもします。政治の世界でも国際外交的な世界でも国連でもみんなそうですからね。ただ逆に付和雷同自体が、全体として日本のパワーを産んでいるってことも考えられます。ただ、個人的にはそうで政治ではダメでしょうが、日本のパワーは個人個人ではなく、産業や文化では、その付和雷同自体のパワーなのです。
 
●野崎裕司の質問に対する答え
 野崎さんのおっしゃっていることは、日本人のニューロンの爆発的発火とミームの爆発的伝染力の関係と、これは脳の神経細胞の発火がバーっとくると、その後それが伝染して強烈な意識が認知される様子に似ている、従ってニューロンとミーム、ミームというのは文化的遺伝子なんですけれども、その関連性が、今の日本マンガブーム(マンガ文化の世界的伝染)現象を説明できる可能性があるのではないか?ということでしょうか。
 
(1)文化的遺伝子と一条の光
 マンガ文化がここまで来るには、ある種の日本人が持っている文化的遺伝子が左右した、という仮設はある程度分かります。江戸時代に作られた日本人の文化的遺伝子がたぶんいまの日本人の、マンガだけでなく他のブームを作るベースになっている気がしたので、こういう分析をしました。
 私はマンガ現場の人間なので、制作論ふうに、質問にお答えします。作品を作る時に自分もしくは日本人ならではの着眼点、発想点、直感的にこれはイケる、普遍的だと思うものはどういうものかということです。私の着眼点は、マンガ的笑いと、それの対極にある部分をいつも考えています。それはペーソスとカタルシスです。私のマンガはそのぺーソスとカタルシスが信条となっているというか、そこを中心に描いている気がします。直感的にこれはイケるとか普遍的だっていうのは、どんなひどい劣悪な環境にあるマンガを描いていても最後に現れる一条の希望の光があって、それを受け入れるということです。私の『人間交差点』という作品は、かなり題材が暗くて最後のページの最後の一コマでなんとかこれを表そうということに心を一生懸命砕いたという覚えがあります。
 
(2)「もののあはれ」「外来文化の影響後も守り抜いたもの」
 本居宣長の国学と、マンガ哲学が日本独自に発達したこととの関係性についてということですが、宣長は、古事記研究を通して、漢字を利用して、訓読み、ひらがな、カタカナを組み合わせた日本語、日本精神を守ったことを発見した。源氏物語研究を通して日本が外来文化以前からもっていた美意識を発見した。という風に私は理解しています。
 「もののあはれ」という美意識がマンガに表れているかどうかは、分かりませんが、日本語における仮名文字とか漢字とかカタカナとかそういうのがマンガの吹き出しの中に3種類入っていまして、これは他の国の言語とは全然違うものです。この3種類の文字というのはある種、絵的で読みやすいというところがあると思います。マンガって割と瞬発的にポンポンポンと読まなくてはならなくて、吹き出しの中を、一気に一発でポンと目に入る言葉にするには、ひらがなばっかりでも、カタカナばっかりでも、漢字だけでも読みづらいんですが、3種類混ざっていることによって非常に読みやすい、固まりとしてポンと入ってくるという特徴があると思います。
 因みに、少年誌の編集者によれば、少年誌の場合はその固まりとして読ませるために縦の文字があまり長くないほうがいい。7文字ぐらいがいい。ポンと固まりで入ってくる。ということは吹き出しそのものも絵的であるということを考えれば、この日本に3つの文字があったということはある種、絵的で固まりとしてポンと目に入りやすい、読みやすいというということがあるかと思います。


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