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2007年1月27日(土)PM1時〜
場所:御前崎市観光物産館なぶら館
《移動寺子屋》講演レポート
『来るべき東海・東南海地震に備えての広域連携について』
 当日は天気も良く、42名の参加者となった。NPO法人静岡ボランティア協会常務理事の小野田全宏氏と震災がつなぐ全国ネットワーク顧問の村井雅清氏の講話とワークショップを行った。特にワークショップで色々な問題を実践的に考え、学ぶことができたことは皆さんから好評だった。参加者は『初めての経験だった、今後もこのようなワークショップを開催して欲しい』と要望がたくさん寄せられた。
【第1部】
〔小野田氏〕『来るべき東海・東南海地震に備えての広域連携について』の講話だった。小野田氏はこれまでに災害ボランティア・コーディネーター(VC)養成講座受講生は県内819人である。その人達に災害時にVCとして活動ができるか?のアンケートを取り、回答者600人中300人が可能と答えた。しかし、被災を免れ実際に活動できる人は更に少なくなる。
 
 
 被災の範囲が見直され、神奈川県、長野県、山梨県、愛知県は名古屋までとなる。静岡県全体が被災地になり、各市町村で自己完結のボランティアセンターの運営は難しいのではないか?平成の大合併によって、市町村の面積は大きくなった。御前崎市だけでも山側、海側と広範囲になり、行政の体制、職員の人数が不十分なのは明らかである。昨年2月25日に『第1回静岡県内外の災害ボランティアによる救援活動のための図上(DIG)訓練』が静岡市城内中学校で開催されました。県外のボランティアや団体と協働で訓練を行っているのは静岡県だけである。広域連携は重要なキーワードとなり、顔の見える関係作りは大事である。この後、パワーポイントで昨年のDIG訓練の様子を説明してくれた。
〔落合コメント〕昨年のDIG訓練は私も参加した。午前中に御前崎市で行われたDIG訓練の後、午後から途中参加をした。しかし、全くの違う訓練に戸惑った。情報が警察、行政、消防、気象庁などから次々と入り、加えて被災地・被災者からのニーズがどんどん入ってきた。自分達でできる問題とできない問題を振り分け、県内外のボランティアを含め何処へ応援を頼むのか?行政の対策本部へ任せるのか?を瞬時に判断して処理をしていかなくてはならない。強いリーダーシップが大きな力となることが理解できた。
【第2部】
〔村井氏〕『大規模災害時における避難所のあり方』の講話とワークショップだった。村井氏は冒頭に「何があってもまずは生き延びなければならない」と話した。演習を何時間やっても家が壊れてしまって死んでしまえば何にもならない。今日は被災者として避難所に来たという設定でどのように避難所生活と避難所運営を行うか。
 
 
 また、避難所を拠点として地域の再建を考え、被災者の中から元気な人はボランティアをしたら良い。静岡県は「倒壊ゼロ」と題して無料耐震診断を20年弱推進してきたが、進まないのが現状である。ここで『正常化の偏見』の危険性に触れた。自分は大丈夫だろう、まだ大丈夫だろうが命取りになる。2004年の連続水害で250人弱の高齢者が亡くなった。昔は若者が川の様子を見に行ったが、今は若者が少ないため高齢者が見に行った。社会の環境が大きく変わってしまった。その結果、川の急激な上昇に対応できず、また、正常化の偏見により逃げ遅れてしまったのだ。村井氏はその後要援護者の支援について触れた。どこの自治体も要援護者の名簿作りに必死だが、名簿作りが第一目的となってはいけない。普段から地域で把握しておくことが大事であると話した。また、支援策を考える時に当事者を抜きにして決めてはいけない、当事者が参加することで不足している視点に気づける。帰宅避難者は首都圏で600万人と推定されている。一斉にその600万人が移動する方が危険である。普段から家族と話し合い安否の確認だけできたら、その場でボランティアすることを考えたらいい。
 
 
 ワークショップについて村井氏はイメージとして今日のこの館が避難所、研修室は被災当事者が運営管理する避難所内ボランティアセンターと考えて行います。と説明した。
 (1)始めから役割を決めるのではなく、必要な役割を考えやれる人がやるという形で進める。何が大事か?(2)うまくやるというのではなく、どういう風に考えたらよいか?(3)人の話を聞いて、考えが変わること。自分の考えにこだわらない。今までの考えは多数だった。しかし、少数意見も反論も大事。50人いたら50人通りの意見があっておかしくない。それを聞いた上で合意形成をはかることが理想である。
 アメリカバークレーの事例:まちづくり委員会での「お題」出し。意見の一番多い課題から普通は議論していくが、一番少ない意見も同時に議論していく。すると意見の少ない課題が議論白熱し、人々の関心が逆転することもあり参加者の関心が変わる。
 とりあえずこうする→それで解決できない→すると形勢逆転することもある。
 神戸の失敗を含めて一緒に考え学んでいきたい。
〔ワークショップ〕
在宅被災者ニーズ(1)
 「商店街が被災したが、全壊ではないので夜回りをボランティアに手伝って欲しい。」というニーズに対して廻ろうと思う人は12人。廻れないけど留守番する人2人。二次災害の恐れもあるので商品を安全な場所に移し、自分達は避難所に移動12人。その他の人とグループを作り課題を議論した。そのグループで次の課題も議論した。
 
 
在宅被災者ニーズ(2)
 「避難所に行きたくないが、水汲みにボランティアを派遣して欲しい。」このニーズには実際に阪神淡路大震災の時に避難せず高齢の姉妹が10階建てのマンションに住んでいて5月に発見された。調査と別に安否確認チームも必要であることが教訓として残った。《議論の結果》避難所に移動してもらう。自立を促すためにマンションの下までは運ぶ。被災者にも手伝ってもらう。他
在宅被災者ニーズ(3)
 駅前のスーパーだが人手が足りず、片付けがはかどらない。片付けなければ営業が再開できないから、片付けボランティアを派遣して欲しい。
 村井氏は商売だからと言って頭ごなしにダメだとは言えない。地場産業の復旧は地域にとっても大事である。ただの金儲けだけのためなのかボランティアに行けば分かる。《議論の結果》他にも被災している店舗があるから行かない方がよい。いったん聞いてボランティアセンターに持ち帰り検討する。優先順位を考えてからにする。ボランティアを派遣する。他
避難所ニーズ(4)
 避難所に安置されている亡くなった方にできるだけのことをしてあげたい。応援のボランティアを派遣して欲しい。
 阪神淡路大震災の事例:棺桶の数が全く足りず、東京方面からのボランティアが作った。空になったトラックは食料品を運ぶトラックだったが、遺体の搬送に利用した。その会社の人は後で表彰された。
 山形の僧侶は自分にできることはお経を上げてやることしかできないと火葬場に行き、ひたすらお経をあげた。10年目に知った事実です。と村井氏は話した。
避難所ニーズ(5)
 保育所が再開しないので、子供にストレスがたまる。子供と遊んでくれるボランティアを派遣して欲しい。
 
 
 村井氏等のボランティア活動は阪神淡路大震災の時に保育園の遊び相手から始まった。《議論の結果》ボランティアを派遣して遊んであげる。みんなを集めてみんなで遊ぶ。村井氏は子供のストレスがたまるけど親もストレスになる。一時的に子供を離してあげることも必要で公園などで遊んであげるとよい。他、村井氏は続けて津波に触れた。津波の心配がある地域は地震発生してすぐに避難しなければならない。御前崎の周辺には山があるが、津波が来るまでの数分で逃げられるかの1年に1回は避難訓練をしてみるのも大事であると話した。和歌山県串本は正式の避難路を通ると間に合わない。JRの線路を横切ってまっすぐに山を駆け上がると間に合うことがはっきりしていたため県やJRに相談したが道路の経費は出してもらえなかった。しかし、住民は自分達の命を守るために必要だと何度も交渉した結果、災害時に限り線路を渡ることを了承された。
 また、阪神淡路大震災の時に外国人もたくさん被災し、死亡や傷病した人がいた。日本人は弔慰金や見舞金が給付されたが外国人は給付されなかった。そこで外国人を救援するために「肩代わり基金」を設け、弔慰金や治療費を給付した。その後、行政側も外国人の給付を検討するようになった。住民主体で行動すれば行政を動かすことができる。
〔落合コメント〕避難所には赤ちゃんからお年寄りまでたくさんの方が一緒の生活を余儀なくされます。中には身体や精神などの障害を持つ人や男女差別なく同じフロアーで寝起きを共にしなくてはならず、ストレスからトラブルも多発します。場所によっては火葬場の復旧が遅れ遺体も避難所に安置することも考えられます。被災者も自らボランティアに参加して避難所から少し離れてみるのも必要かなと思います。津波は前回の東南海地震の際に和歌山県串本では最大15Mを記録している。御前崎市はどうだろう?気象庁や海上保安庁の予想は御前崎沖で10Mとされている。152年前の東海地震の時と同じくらいと言われているが、当時に比べて自然環境がかなり変わっている。浜岡砂丘も今や小さな山を一山越えたらすぐ波打ち際となる。津波の速度は飛行機並ということを考えたら港付近では避難ビルの設置や景観を考えた避難塔などの設置を急がれたいところだ。また、被災者生活再建支援法の基本は最低限の生活保障なので、生活資金や住宅再建資金は微々たる金額であることも知っておいた方がよいだろう。
【第3部】『災害時における要支援者とは〜障害者市民提言集を参考に〜』
〔村井氏〕要支援者とは?高齢者、障害者、外国人などと言われるが、災害発生直後は誰もみんな要支援者である。しかし、そこから立ち上がることのできる力には格差がある。寝たきりだけどその人には介助の手がある。寝たきりでも精神的に人の力になれる人もいる。このように違った側面で援護する側に回れることもある。だから名簿作りに必死にならず、地域で疎外されないような体制作りが必要だ。神戸では震災後19カ国語の母国語で情報を提供している。しかし、外国人でも日本語の分かる人であれば外国人が外国人を助けることもできる。新潟中越地震での事例:小さい子供を抱えた家族は避難所の外の車の中で生活をしていた。なぜ?子供が泣くとみんなに迷惑がかかるからと答えた。ちょっとおかしくないか?逆ではないか?スリランカ:宗教的なこともあるが、女性や子供は中にいるのがあたり前、男性は廊下などの外にいる。なぜ?当たり前だと答えた。考え方を変えたらやれる事が変わる。日本では考え方が固定されて選択肢がない。心のケア:専門家だけとは限らない。子供も大人も一緒に遊び、話しをしてあげる。ちょっと気遣ってあげることは誰でもできるから、普通にやればいいのです。障害者は守られる存在だけではない。被災した仲間のニーズを一番良く知っている。適切な支援ができるのは「障害者市民」だということ。村井氏は最後にその地域に有名な名物、有名なおじさん、有名な観光地と言ったことを普段から発信していく力を養うことで、普段から“地賛地賞”のまちづくりを進めることが大事。内だけではなく、外へアピールも大事。いざという時に「あっ、あそこか」とイメージしてもらえたら救援の手につながることもある。と締め括った。
 
 
〔落合コメント〕つい障害者を過保護扱いしなくてはいけないと思いがちでしたが、障害者だからこそ障害者の気持ちが分かりニーズが良く分かることを知りました。人と人、地域と地域、行政と行政、施設と施設などのつながりを普段から養うことが大事ですね。
 最後に、このような私ごときの企画に賛同頂き参加して下さった方々に深く御礼申し上げます。今回は生きて避難所に来られたら誰もが被災者であり、ボランティアにもなる。ということを知っていただけたと思います。私はファイナンシャル・プランナーとして経済的被害を調査するために平成17年1月中越地方を訪問しました。小千谷市災害対策本部、小千谷総合病院、小千谷消防署、小千谷応急仮設住宅、小千谷商店街、川口町災害対策本部、旧堀之内町災害対策本部、民家など4日間にわたり調査をしていく内にあまりにも御前崎市民は無防備過ぎると感じました。私のできることはないだろうか?迷走しているところに災害ボランティア・コーディネーター養成講座を知り、防災士を知りました。とにかく勉強しよう、何か役に立つかもしれない。そんな中、村井氏との出会いがありました。また、防災情報新聞社の橋本氏や沢山の防災関係、ボランティア関係の人たちの出会いがありました。どの方達も御前崎を心配してくださいました。今後は一人の命を守るために、また早い復旧、復興に向け皆さんと共に学び、実践していきたいと考えています。皆さんの協力が無くては何もできません。是非、皆さんの力を貸してください。宜しくお願い致します。
 ありがとうございました。
落合美恵子


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