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記録
昭和二十六年
競走会設立統一協議会 十月一日
 競走会の設立申請が三者競願となったため関係者が山口市商工会議所に集合、山口県モーターボート競走会設立統一協議会を開催し三者一体となり東長丸氏を設立委員長とする。
設立認可申請 十月十三日
 運輸大臣へ山口県モーターボート競走会設立認可申請書を提出する。
事務所の設置 十一月十四日
 設立認可申請に関し官文第一二三五号の三をもって運輸大臣の認可が下り事務所を宇部市大字中宇部三九番地の一に設ける。
昭和二十七年
設立登記 一月二十七日
 山口県モーターボート競走会設立登記を山口地方法務局宇部出張所に申請し東長丸氏初代会長に就任する。
昭和二十八年
徳山競艇場開設 八月二十七日
 二十八日より三十日まで初開催競走。
舟券売上は
一日目 二、二五七、六〇〇円
二日目 一、八〇四、六〇〇円
三日目 四、五六一、三〇〇円
であった。
昭和二十九年
全国模型モーターボート競技会 八月二十二日
 山口県大会を徳山競艇場において行なう。
下関競艇場開設 十月二十二日
 二十二日より二十五日まで初開催競走を行ない舟券売上は
一日目 三、九七九、八〇〇円
二日目 二、四五一、三〇〇円
三日目 四、六四四、〇〇〇円
四日目 三、〇四〇、一〇〇円
であった。
第二回全国モーターボート選手権競走 十一月二十六日
 徳山競艇場において二十六日より三十日まで五日間開催する。
一日目  六、一二三、六〇〇円
二日目  五、七八九、一〇〇円
三日目 一二、九五七、一〇〇円
四日目  七、四三八、五〇〇円
五日目 一二、七四四、九〇〇円
昭和三十年
台風二十二号来襲 九月二十七日
 下関、徳山両競艇場共に甚大な被害を受けたので両市に対し各々壱百万円也を寄附する。
昭和三十一年
全国地区対抗競走 五月一日
 下関競艇場において一日より六日まで六日間開催する。
一日目 一一、〇六四、六〇〇円
二日目  九、三六二、六〇〇円
三日目 一一、八四三、七〇〇円
四日目  八、〇一四、七〇〇円
五日目 一一、二一三、三〇〇円
六日目 一三、三九四、三〇〇円
第五回通常総会 五月二十三日
 役員任期満了につき改選次の各氏が選任せらる。
会長 東 長丸
理事 篠崎久治 上田十一 村上 実 村田四郎 白銀礼治 渡辺貞剛 潮村浪雄 山本 清 野村利平 浜本新介 原田虎吉 疋田敏雄
監事 河野良雄 林 定治
下関選手宿舎完成 四月十日
建設場所 下関市長府町松小田競艇場内
建坪 木造二階建 一七一坪
工事費 六、八〇七、〇〇〇円
事務所移転 六月十八日
 競走会事務所を宇部市大字中宇部三九の一より宇部市春日町一丁目三の三に移転す。
 
下関・選手宿舎(昭和31年4月10日完成)
 
昭和三十二年
徳山選手宿舎完成 二月十日
建設場所 徳山市大字栗屋競艇場内
建坪 木造二階建 一八五坪
工事費 八、九〇〇、〇〇〇円
 
徳山・選手宿舎(昭和32年2月10日完成)
 
昭和三十三年
第三回臨時総会 二月八日
 役員選任を行ない次の各氏が就任す。
会長 東 長丸
理事 篠崎久治 村上 実 上田十一 村田四郎 白銀礼治 渡辺貞剛 潮村浪雄 山本 清 疋田敏雄 国広茂久 河上屋千代槌 東 健治
監事 河野良雄 林 定治
第四回臨時総会 三月二十四日
 初代会長東長丸氏辞任に伴い補欠選任を行ない理事 東健治氏が二代目会長に就任す。
第五回臨時総会 七月五日
 理事の補欠選任を行ない職員から初めて常務理事立野静夫氏が誕生する。
事務所新築完工 九月二十九日
 竣工式を行ない十月一日事務所の移転を行なう。
所在地 宇部市西区上町四丁目(現在は住居表示変更により宇部市上町一−六−十四)
敷地 二八七坪
総工費 一三、九〇〇、〇〇〇円
下関競艇騒擾事故発生 九月一日
 八回三節三日第七レース終了後午後二時五十分頃より午後六時三十分頃まで開設以来未曽有の大騒擾事故が発生した。
 事の起りは本命と目されていた四号艇が待機行動中にエンストを起し、数回始動を試みたが過吸入状態にて発火せず一分三十秒位前に工作艇出動(当時待機行動中の事故艇については工作艇が出ていた)して始動したが時すでに発走十五秒前になったため、第二ターンマークを左に見ず(内規として進入は第二ターンマークを左に見て進入するよう定めていた)直接スタートラインに向かいスタートした。
 一二三五六艇は一斉にスタートしたが、六号艇はフライング、四号艇は約三十五米遅れてスタートし、二一三五四の順でゴール、連勝二−一と確定(連勝払戻金五、五〇〇円)発表直後レースを不満とするファンが執行本部前に大挙殺到、急激にその数を増したためである。
 当時執行部は審判判定の正当である理由を繰返し放送したが全然聞き入れず、石その他を投げ始め執行本部のガラス全部を破壊後、本部前の木戸を打破し金網の中に乱入徒党を組んで暴徒と化した集団は大時計或いは双眼鏡等を海中に投込み、又一方ではピットに係留のボートに乗り競走水面を暴走する等、暴徒は跳梁をほしいままに狼籍の限りを尽す大騒擾に発展したが、この頃出動を要請した長府、下関水上各署の警察官及び県警機動隊が到着、警備配置につき漸次騒擾は平静に向かい十六時四十分頃、競技部内の暴徒を網の外に退去させることができた。
 本騒擾事故においては現職警察官が岸壁より突落され重傷を負う等、生々しい記憶が数々あるが、関係者はこれを貴重な経験とし、二度と再び騒擾を生じさせないようすべての面に努力を続けてきた。


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