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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


大阪府都市競艇組合
苦難と栄光の道 狭山・住之江の十五年
 “住之江”は最古参ではないが、最高の成績を維持する競艇場である。やがて名実ともに日本一の競艇場になろうとしている。だが、十五年の歴史の中で、その上半期七年は、生死をかけた血みどろのたたかいだった。
 
I 最高の売上ほこる住之江 純益を十六市に配分
 初夏の住之江競艇場附近は、今日も、人の波と車の流れで一ぱいだ。
 南のゲイトから場内に入ると、これはまたごったかえす人の渦だ。大阪名物の天神祭、シーズン中の梅田、ナンバあたりのターミナルの状態、あるいは五月一日のメーデー広場のような人の渦だ。
 一見して、働きざかりの年令層――だが、ここは圧倒的に男が多い。
 ほとんどが、ふだん着のラフなカッターシャツかスポーツシャツの若者と中年の男性。それらが、多少真剣に、適当に孤独でほがらかに、歩いたり、立ちどまったり、上に向いたり下を向いたり、ギャムブラー共通の表情をもちながら、実は、それぞれ肖像画のモデルにしたい位どこか深みのある顔立ちをしている。
 競艇場の中は、はじめて来た人間は迷い子になる位ひろく複雑で――なれたものにはごく単純に――数々の施設や建物が立ちならんでいる。
 記念の時計台のずっと奥には、いま建設工事中の四階建ての見あげるような大きなスタンド。これが出来あがるとつづいて第二期工事にかかり、すべてが完成すると世界一の競艇場になるという。
 右手、東側が、四五〇メートルと一五五メートルのプールで、女声のアナウンスが、次のレースの紹介を流している。
 スタンドにのぼると、一万数千人の観客が見つめる中で輝く水面に六色のボートが水脈をひいて爆音高く走りまわっている。
 大阪の都心に近く、一二〇、七五〇・七平方メートルの敷地に六三、四〇〇平方メートルのプールをもつこの住之江レース場には、現在、七つの投票所と六つの払戻所、一六、〇〇〇名収容の一般観覧席、大小一五の売店、事務所、本部、入場者のための遊園地、選手控室、艇庫、整備庫など、まず完璧の施設が備わり、南と北の二つのモータープールは六〇〇台の自動車が駐車できる。
 役職員のほか、開催中は一、一〇〇名の従事員が勤務して、昨四十二年度は一三三億円からの売上げをあげ、所要経費を支弁したあとの純益は、規約によって大阪府都市競艇組合を組織する十六市、堺・豊中・東大阪・吹田・八尾・岸和田・守口・高槻・枚方・茨木・寝屋川・池田・貝塚・泉佐野・泉大津・富田林に配分している。
 初開催以来十五年、昭和四十二年末までの開催回数のべ一〇五回、総入場者は八一六万をこえ、売上総額は四七二億円強。五三億五千万円の純益をあげ、配分を受けた関係十六市では、それぞれ、小・中学校や公営住宅の建設費、道路その他の土木工事費等の財源として活用している。
 明るい競艇場だ。
――しかし、この今日の住之江競艇場は、一夕にしてなったわけではなく、たんたんと発展の一途を歩いて来たわけでもない。
 設立以来十五年の歴史の中で、存廃をかけたピンチの時代が、数年間もつづいたのである。
 
II 初開催は名勝“狭山池”で努力むなしく――つづく赤字
 大阪での競艇の初開催は今から十五年前、昭和二十七年九月五日。競艇場は、史蹟名勝の池――応神天皇が、かんがい用にと造られた日本最古の記録のある狭山池であった。この池には、大蛇がすむという伝説もあり、文字通り、千古の池である。
 「大阪で競艇を・・・」という声は、すでに二十五、六年ごろから出ていた。
 当時は、全国の自治体が、戦災の荒廃から立ちあがるため懸命に財源を探していた時代で、大阪府民の中にも投機を求める気分があり、戦前からの競馬や戦後公認された競輪の好況、さらに海国日本の海事思想普及という“大義名分”も加わり、堺市が中心となって、大阪市と衛生都市十六市の市長が話し合いをはじめたのが、昭和二十六年の春ごろである。
 このかげには、笹川良一氏(現日本船舶振興会会長)、当時の南海電気鉄道株式会社の小原社長、同社長の友人、滝脇宏光氏などの物心両面からの大きな支援があった。
 その後、長居で競馬を主催していた大阪市が降りて、残りの十六市が一致してこの事業に取り組んだのが二十七年の初夏。大阪府とも打ち合わせを重ね、十六市の市長の合議で「大阪府都市競艇組合規約」の案を作って、それぞれ各市議会の議決をとり、府の地方財政委員会から、告示第三六号をもって指定の通知を受けたのが七月三十日。直ちに一部事務組合設置の許可を申請し、この許可があったのが翌月の八月十一日だった。
 一方、かんじんのモーターボートを走らせ、競技の運営を担当する「社団法人・大阪府モーターボート競走会」との委任契約、また競艇場の施設一切を借上げするについての「大阪競艇施設株式会社(南海電鉄の傍系)」との賃借契約、さらに監督機関である「近畿海運局」船舶部監理課を通じてのレース開催届の提出などの中で、先輩、三重県津市の津競艇場を視察するなど、初開催前夜まで作業がつづいた。
 競艇場は、南海電鉄の経営していた狭山遊園の狭山池の東側に、三千人収容のスタンド、五千人分の立見席、投票所、払戻所、格納庫、食堂、売店、選手宿舎などを備え、当時としてはデラックス施設に三百人の従事員を用意して準備万端――。
 だが、入場者がなければ事業はなりたたない。ポスターの街ばり、立看板配り、車内吊、スポーツ紙への記事掲載等々、職員全員くたくたになって、不安と期待の中に初の開催日、九月五日の朝を迎えた。
 長崎県大村、三重県津、滋賀県大津につぐ日本で四番目だった。
 開設当時のスタッフは
管理者  堺市長  大塚 正
常任副管理者
堺市助役  福永 英治
事業課長  平 与三松
課長代理  平野和三郎
事業係長  藤木 操
〃 係員  指吸 久夫
〃   河合 章治
〃   清水 文昭
〃   河合 茂雄
〃   中島 富子
以上十名だった。
 
 昭和二十七年九月五日、この日天候晴。
 招待者を含めて、入場者は九千名を上まわり、当時、東洋一といわれたスマートな観覧席は満員の盛況。そして――
 緑濃い狭山池に、エンジンの爆音すさまじく水煙をあげて、初のレースが開始された。
 記念すべき第一回開催の五日間は、天候にもめぐまれて入場者総数二万四千余名。売上金額は一、七六七万一千円。
 ところが決算の結果は、二六一万七、三六一円の欠損だった。
 関係者の落胆は大きかった。
 
III 選手も客よせに出動 “狭山競”ついにならず
 「その頃――」と、往年の選手Aさんの話。「数人の若者たちが、南海高野線にある狭山遊園の狭山池に、ジョンソンのボロエンジンをかつぎ出し、箱舟に取りつけて池をまわり出しました。昭和二十六年の夏のことです。
 その頃は、敗戦の痛手からやっと抜け出したばかりで、もちろん物も心も豊かではありませんでしたが、池の水は無心に青く澄んで人の心を慰めてくれました。
 池を一周か二周すると故障をおこす――ひき上げて修理する――また池をまわる。この異様な集団は、プロモーターボートのレーサーを志す“狭山一期生”と呼ばれた大阪と兵庫の十名で、今の大阪府モーターボート競走会のRさんなどが教官でした。
 訓練といっても、まともなテキストや教材があるわけではありません。スタートはフライングスタートだということを知っているぐらいで、正確な計器もない。ただボートにエンジンを取りつけ、水しぶきをあげてつっ走っているだけともいえる状態でした。
 昭和二十七年春には、大村でレースが始まり、ついで津で公認第一回の競艇があって、狭山のメンバーも活気づいて来ました。この時の一人が、東京まで出かけて「ヤマト」の試作エンジン・ナンバー7を、急行“やまと”で持ちかえり、その後の訓練と実戦に大いに役立てました。そしていよいよ二十七年九月、狭山池での第一回レースでしたがこれはご承知のように赤字でした。
 その後も狭山競艇場は、地理的な悪条件などで入場者も売上げも少なく、第一レースの投票総数が百枚ということさえありました。その頃、一着の賞金は六千円で四着までの賞金合計が一万二千円でしたが“売上げが少ないから賞金は渡せない”という冗談を本気にした選手があった位です。また、一着にはなったが投票者がなく、特別払戻しというので当の選手がすっかり自信をなくしてしまった、という語り草も残っております。
 こんな状態ですから選手も訓練ばかりしてはいられません。ナンバの高島屋の屋上に、特製の水槽を造り、その中にロープで固定したモーターボートを浮かべて、エンジンをかけても前進しないボートの上で映画俳優のようにアクションよろしく操縦してみせるということもやりました。狭山からナンバ、今里あたりまで選手が出かけて、無料バスの客引きをしたのもこの頃です。本当に今の選手には想像もできないことでしょう。
 何しろ、競艇というのはオールでこぐボートの競走だと思っている人たちがいた位ですから――うそのようなほんまの話です。
 このような悲惨な状態が毎回つづいて、選手も、事務局の人たちも、何回、この競艇を打ち切ろうか、と思ったかしれません。
 狭山を去る決定的な要因になったのは、昭和三十年八月の旱魃(かんばつ)でした。池が干上がってしまってレースが出来なくなったのです。ご難つづきの狭山時代でした――。」
 希望のない、暗い数年だった。


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